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東京禁胞区  作者: 朱音ゆうひ@『桜の嫁入り』発売中です!


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待ち犬の祠(3)

 待ち犬の祠には、花やドッグフードがお供えされていた。


「あたしの推しを殺さないでくれて、ありがとぉ」


 夏海(なつみ)がしゃがみ込みながら、スケッチブックのページを一枚外し、祠に捧げる。

 ふわふわの柴犬と人間の絵だ。

 スーツ姿の稲荷と制服姿の夏海が犬を抱きしめている。

 その周りに、スタンドマイクで歌う七氏(ななし)と、拍手する秋穂(あきほ)がいる。

 背景に赤い鳥居があって、桜の木も描かれている。

 温かみのある、良い絵だ。

 

「七氏さん、歌をお願いします」

「は、はいっ」


 稲荷が頼むと、七氏は緊張気味の声で返事をして、祠に向けて歌い始めた。

 この少年らしさのある、ピュアなハイトーンだ。


「♪迎えに来たよ……」


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 犬は、ずっとご主人様を待っていた。


 ご主人様は犬を気に入ってくれていた。

 狭い檻の中で生まれ育った犬を「お前がいいな」と選んでくれて、家族だと言ってくれたから、犬は嬉しくて仕方なかった。

 

 ご主人様は、よく、狩りに出かける。

 カイシャとかリョコウとか言うのが狩りだ。

 狩りは短時間で済むこともあれば、何日もかかることもある。

 犬は自分で獲物を狩れない。首輪で繋がれ、ご主人様を待つだけだ。ご主人様は優しいので、犬が狩りをしなくても生きていけるように、水も餌も用意してくれた。

 

 ボクも役に立てるのに。

 一緒に連れて行ってくれたら、がんばるのに。

 置いていかないでほしいのに。

 

 そんなことを思ったのが、いけなかったのだろうか。

 ご主人様はだんだんと犬のことを面倒そうに睨むようになって、狩りに出かけない日なのに散歩に連れていってくれないことが少しずつ増えていったのを覚えている。

 

 お前は臭いし、もうでかくなって可愛げがない。

 

 そんなことを吐き捨てるように言われて、犬は申し訳なくなった。


 ごめんなさい。ボクがごめんなさい。

 臭くないように毛づくろいをがんばるよ。小さく縮こまるよ。

 可愛くなったら、もう一度好きになってくれる? 嫌わないでくれる?

 

 ご主人様。ボク、もう役に立ちたいなんて思わないよ。

 ボク、不満なんて何もなくなった。ほんとだよ。さびしくないよ。

 

 ……いってらっしゃい。

 …………いかないで……ううん、なんでもない。


 ……ご主人様、帰ってこなくなっちゃった。

 ボクのせい?


 ボク、待ってる。ずっと待ってる。

 ひもじくて、寒くて、体が重くて、苦しくて、どんなに綺麗にしようと毛づくろいしても綺麗にならなくて。

 ご主人様の顔も思い出せなくなってしまったけど――ずっと待ってるから……。


「♪待たせてごめん」


 ――ご主人様……?


「♪さあ、いこう」


 ――ご主人様……?

 違う。でも、優しい匂いがした。


「♪神様の住む家で、ぼくらは一緒に住んでいたよね」


 そっか。ボクたちのおうち、ここじゃなかったんだ。

 言われてみたら、そうだったかも。


「♪飼い主はこの人だ そうだろ」


 犬は「この人」を凝視した。


 ひょろりとした人間は、ご主人様の服を着ていた。

 カイシャに狩りに行くための服だ。

 黒い髪。まっすぐな目。

 両手を広げて、笑っている。

 でも、少しさびしい匂いがした。


 ああ、そっか。

 ご主人様も、さびしかったんだ。


 そっか……そうだったんだ!

 

 ご主人様。だいじょうぶだよ。

 

 ボク、ちゃんと待ってた。思い出せた。

 もうさびしくないよ。ボクがそばにいるよ。ボクがいるから、さびしくないよ。


 ぱた、ぱた。

 尻尾を振って腕に飛び込むと、柔らかい布がふわりと犬を包み込む。

 ずっと前に体を洗ってもらったのを思い出す。

 ずぶ濡れになった体を拭いてくれた時みたいだ。あたたかい。


「犬ですからね、名前はポチでいいでしょう」

「稲荷さん、ネーミングセンス……」

「夏海さん? 全国のポチの名付け親に失礼ですよ」

 

 仲間と共に幽世に移動し、きつねにお祓いを依頼しながら、稲荷は事件の顛末に思いを馳せた。


 入院していた被害者は、全員回復している。

 女の子も冬山スノウマンも無事だ。

 

 狙っていた冬山スノウマンを勧誘する機会は、失ってしまった。


 ――常盤先輩が霊能者だとは知らなかったな。それで、夏海さんの時も処理班といたのかな。

  

「綺麗になってよかったね、ポチ」

「わん、わんっ」


 秋穂と七氏がきつねに浄化してもらって綺麗になったポチを撫でている。

 清められたポチは、夏海の絵の影響か、柴犬の姿になっていた。


 兄の能力か、兄が招いた何かの能力かは定かではないが、空想や表現は現実を変える力を持ちやすい。

 得体のしれない何かをその身に降ろした稲荷の兄が過去にスケッチブックから怪異を現実の物の怪にしたように、きつねに洗礼された仲間たちはクリエイティブなスキルで現実に作用する異能を開花させた。

 

 夏海は絵を使い、七氏は歌を使う。

 秋穂はクリエイターではなかったので今のところ能力を発現させていないが、他のメンバーとうまく人間関係を構築できている。

 今回はそれを実践の場で試し、犬の飼い主を自分たちだと思わせることができた。

 これを上手く活用すれば、百鬼夜行の祭りの主が兄ではなく稲荷だと怪異や神を欺くこともできるのではないか。


「冬山スノウマン……どこかの祠に連れて行ってゲロ吐かせたら、また祟られてくれないかな?」


 思わず呟くと、夏海が嫌そうな顔をした。

 せっかく上げようとした好感度が、下がっている。良いことをしたのに。


「わん、わん、わんっ」

「そおれポチ、とってこーい」

「この子、ドッグフードでいいのかな? ごはん」

「秋穂さん、ペットショップ行きません?」


 秘密基地は賑やかだ。稲荷は秘密基地を元気に駆けまわる柴犬とそれに喜ぶ仲間たちを見て、スマートフォンで写真を撮った。ここに冬山スノウマンがいたら。そう思った。


 僕は変だな。

 どうして冬山スノウマンに拘っているんだろう。

 別に、いなくてもいいじゃないか。


 でも、なんでかな。いないのが不自然に思えてしまう。

 パズルのピースみたいに、本来はここに彼もいるべきだよな、なんて思ってしまうんだ……。

 まるで片思いじゃないか。気持ち悪いな。

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