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東京禁胞区  作者: 朱音ゆうひ@『桜の嫁入り』発売中です!


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待ち犬の祠(2)

 写真の女の子と冬山スノウマンは、偶然にも同じ日に祟られたのだという。『最初の幻覚出現から七日以内に精神状態が急激に悪化し、自害行為に至ろうとする』――二人は五日前に最初の幻覚を訴えているため、猶予は二日だ。

 二者は経過観察のため警察の管理下に置かれることになった。「任せる」とはつまり、経過観察だ。

 場所は警視庁研修施設の宿泊棟。昼間は研修に使われる建物だが、今は中途半端な節電意識が薄暗い廊下を生み出している。


 稲荷は、割り当てられた和室の襖を閉めて息をついた。畳の部屋には、布団が三組敷かれている。

 そのうち一組の上では警護と観察の対象である冬山スノウマンが落ち着きなく座っていて、隣の部屋からは女性調査官たちが幼い女の子と談笑している声が漏れ聞こえる。

 

「常盤先輩。僕思うんですけど、こういう時って絶対、洋室のほうがいいですよ。気持ちの上で。和室だと幽霊出そう度が三倍くらいでかく感じます」

「洋室でも幽霊は出るだろ」

「だいたい、これって調査チームの出番なんですかね。処理班がやる仕事でしょ」

「お前、率先して『任せてください』って言ってなかったか」

  

 呆れた声で言いながら、常盤が煙草に手を伸ばしている。


「泊まり込みしたいわけじゃなかったんです。しかも喫煙者に囲まれて喫煙室に……僕が可哀そうですよ」

「そうだな。帰ってもいいぞ」

「なんでそんなこと言っちゃうんですか。僕は仕事でいるんですよ」

   

 洋室は禁煙室だが和室は喫煙室――そんな私的きわまりない理由で選ばれた部屋だが、冬山スノウマンも喫煙者らしい。まるで精神安定剤のように震える手で煙草を握りしめている。真っ白に変色した手で。


「幻覚を見るんです。やばい幻覚です……夜、眠ろうとすると……」

 冬山スノウマンは明らかに怯えていた。

「じ、自分の全身から……う、蛆が湧くんですよ。最悪なんです。ほんとに……」

「冬山さん、深呼吸しましょう。大丈夫ですよ」

 

 何も保証できないが、こんな時は「大丈夫じゃないですよ」と言うよりいいだろう。そう思って口にすると、「全然大丈夫じゃないですよ」と言い返される。ごもっともだ。

 

 彼の話によると、彼はもともと料理系の配信者で、普段は飯を作って食べたりゲームをしているらしい。

 だが先月、知り合いの怪異系YouTuberに誘われて、妙な企画に乗ったてしまった。


「リスナーが怪談を持ってきたから犬用のごちそうを供えて成仏を祈ろうって誘われたんです。おれたちが可哀そうなワンコの心を慰めてやるよ……って。別に荒らしたわけじゃないんです。ちゃんとお供えして、手も合わせて……」


 悪意があったわけではない。それは、隣室の少女も同じだ。

 祠は、意図に関係なく接触した者を祟る。迷惑だな、と稲荷は眉を寄せた。

 悪い奴だけ祟ればいいのに。


「一緒に行ったコラボ相手は、二日前に自殺未遂を起こしてしまいました。オレ、お祓いも行きました。でも……」


 彼の目は、襖を見て「い、今! 何かが覗いてました!」と布団に逃げ込んで丸くなる。

 視線を追うが、何もいない。稲荷は襖を閉め直した。

 

「何もいませんよ」

 

 ただ、閉めたはずの襖がいつの間にか少し開いていただけだ。

 それを言うと不安を煽りそうなので、言わないが。

 

 ――常盤先輩にどこかに行ってもらって、お祓いしてあげたいな……。

 

「常盤先輩。ホットミルクとか、あと蒸気のアイマスクとか買ってきてもらえませんか。冬山さん、少しでも寝た方がいいと思うんで。あと、塩も」

「稲荷。お前、俺をパシリにしようとしているのか? 冬山さんは俺が見てるからお前が買ってこい」 

 

 出かける気はなさそうだ。さて、どうしよう。

 睡眠薬でも盛るか。それともボヤ騒ぎでも起こして強引に冬山スノウマンと二人きりになるか。睡眠薬の方が簡単だな。

 稲荷が荷物の中から睡眠薬を探していると、畳の上に黒い折り鶴が落ちていた。

 

 既視感のある折り鶴だ。気味が悪い――稲荷はティッシュを何枚か重ね、折り鶴をつまみ上げてゴミ箱に捨てた。

 壁にかかっていた掛け軸が落ちたのは、その直後だった。

 

「ひっ」


 冬山スノウマンが声を上げた。一瞬、室内に緊迫した静寂が訪れる。


「……」


 誰も何も言わない。フォローの必要性に駆られて、稲荷は笑顔を浮かべた。


「あは、僕の手が触れちゃいました。失礼しました」

 

 夏海に「胡散臭い」と言われる、自分では上手いと思っている善良そうな公務員スマイルだ。

 実際はもちろん、触っていない。怪奇現象を怖がっている冬山スノウマンのための優しい嘘だ。

 

 ――ああ、僕って気が利く男だなあ!

 

 自分に酔いしれていると、常盤が「触ったようには見えなかったぞ」と余計なことを言っている。

 空気の読めない先輩だ。

 

「冬山さん、常盤先輩。気持ちを落ち着かせるココアを作りますよ。隣の女性陣も静かになってますし、僕たちもそれ飲んで早めに寝ちゃいましょう」


 睡眠薬を混入して常盤だけ眠らせ、その後は勧誘タイムだ。きつねに祓ってもらって、仲間に引き入れるのだ。

 夏海さん喜ぶぞ。

 脳内で計画を練っているうちに、異変が起きた。地の底から響くような音と、部屋の壁や天井が軋む音を立てて、ごとごとと地面が揺れる。


 ――地震だ。


「うわっ、大きい」


 思わず声が出る。揺れはすぐに収まる気配がない。常盤が素早く火の始末をしてテレビを支えている。落ち着いている様子なのは頼もしいが、冬山スノウマンがその分、絶叫していた。


「わああああ! ああああ!」

「ちょ、冬山さん、びびりすぎ……!」


 リアクションや感情表現が大げさなのは、配信者適正の高さを感じる。

 揺れは幸い、すぐに落ち着いた。


「震度いくつだったのかな。余震を警戒しておきましょう。でも、怪異どころじゃなくなった感じがしますね。不謹慎かもしれませんが」

 

 稲荷はひっくり返った灰皿と散らばった吸い殻を片付け、スマートフォンをチェックして違和感に気づいた。

 緊急地震速報が鳴らなかった。廊下の放送設備も、何も反応していない。ネットのSNSでも地震があったという声がひとつもない。


 なにより、周辺の部屋が静かすぎる。稲荷は立ち上がり、襖に手をかけた。そして、ぎくりとした。


 襖が開かない。

 ――そんな馬鹿な。

 建付けの問題じゃない。まるで外側から押さえつけられているようだ。

 額に汗が浮く。その瞬間。


「ぎゃあああああ!」

「――冬山さん⁉」

 

 冬山スノウマンが、再び絶叫した。

 振り返ると、彼は布団の上で暴れ狂っていた。

 両腕で自分の体を必死に掻きむしり、何か見えないものを振り払うように空中を叩いている。


「やめろ! やめ……あ、あぁっ、……ひぃぃっ……!」

「どうしたんですか冬山さん!」


 幻覚症状だ。


 自分たちは、完全に怪奇現象の渦中にいる。

 これだけの騒ぎだ。普通なら廊下の誰かが飛んでくる。隣室の女性調査官たちだって気づくはずだ。

 なのに誰も来ない。稲荷が行き来する幽世のように、この部屋は今、怪異によって現実と隔てられている。


 稲荷が状況を理解した時、すう、と襖が開いた。


「……」

 見ない方がいい。そう頭のどこかで悟りつつ、稲荷は視線を向けて顔をしかめた。


 犬がいた。真っ白なやつだ。

 普通の犬ではない。

 体は腐りかけていて、毛の間から生々しい色合いの肉が見えている。皮膚はどろりと崩れ、無数の蛆虫がうごめいていた。

 口からは粘ついた唾液がだらだらと垂れ、目があるべき場所は真っ黒な空洞だった。


「……ぐえっ!」

 

 背筋がぞっと冷えた瞬間、どん、と冬山スノウマンが飛びかかってきた。

 稲荷は畳に押し倒され、伸びてきた冬山スノウマンの両手に首を絞められる。ぐっと息を詰まる。


「ふ、冬山さん⁉」


 両手が首に食い込む。力が強い。覆いかぶさり、稲荷を昆虫標本のように畳の上に縫い留める冬山スノウマンは両目からどろりと濁った白い涙を流していた。その液体から、卵が腐ったような強烈な異臭がする。

 ――き、きもい。苦しい。やばい。

 

「ごめんよう!」


 冬山が叫ぶ声と同時に、その両肩から何かが盛り上がる。石膏のような白いものが、肩から盛り上がる。それが、ぐぐっと伸びて、広がる。


 ――翼だ。


 現実離れした光景を見せつけられる目がちかちかしてきて、意識が遠くなる。

 稲荷は両手で必死に自分の首を絞める手をはがそうとした。しかし、はがれない。ますます強い力で締められる。


「置いてってごめんよう! もう置いていかないよう!」


 ぎり、ぎりと首が締まっていく。

 痛い。苦しい。もう限界だ。視界も霞んで、何もわからなくなっていく。


 稲荷が限界を迎えようとした時、がつん、という鈍い衝撃音と振動がして、首が解放された。

 新鮮な酸素が吸い込める。稲荷は夢中で空気を貪った。

 手足が痺れている。酸欠とパニックでくらくらとする頭が「今、自分は咳き込みながら倒れた姿勢で何かを見上げている」と現実を認識する。その現実が、なにやらおかしい。

 

「……か、はっ! ごほ、ごほっ、……! せ、先輩?」


 現実を理解して、稲荷は目を限界まで見開いた。

 常盤が、どこからか取り出した黒いバールを振り下ろしていた。

 冬山スノウマン目掛けて、土木作業員のように、淡々と。


「……なっ」

 ――何事?

 

 バールが羽に直撃する。

 ばきいっ。

 もう一振り。ばきいっ。

 もう一振り。がんっ。もう一振り。どごぉっ。もう一振り。もう一振り。

 がん、がん、ばき、ばき、と物騒な音を奏でる顔は、無表情に見えて目付きが凶悪で殺気立っている。


 ――せ、先輩がおかしくなってしまった!


 起き上がって呆然としていると、粉砕された羽の欠片が黒い炎を燃え上がらせ、一瞬で灰も残さず消えた。無数の欠片が、残らず全て。


 冬山スノウマンがどさりと倒れて、動かなくなる。

 まさかと思って慌てて確認すると、脈も呼吸もちゃんとあった。生きている。


 稲荷の隣で、常盤はバールを構えたまま、襖の向こうにいる犬を睨んだ。


「失せろ。こいつはお前の飼い主じゃない」


 そして、低く、何かを唱え始める。

 何を言っているのかわからないが、祝詞のような、呪文のような言葉だ。「霊能者」とか「陰陽師」という言葉が脳裏をよぎる。


 犬は明らかにそれに怯える気配を見せて、一歩下がった。

 そして、くるりと背を向けて、闇の向こうへと逃げていった。


 ――追い払った?

 

 部屋の中に、重たい静寂が落ちる。

 稲荷は沈黙に耐えかね、おそるおそる言葉を選んだ。


「……常盤先輩。なんでそのバール、真っ黒なんですか?」

「汚れが目立ちにくいからだ」


 向かえの部屋の医者と隣室の女性調査官が駆けこんできたのは、そのやり取りの直後だった。


「大きな音と悲鳴が聞こえましたが大丈夫ですか⁉」


 全然、まったく、1ミリも大丈夫じゃなかった!

 でも、冬山スノウマンは白色症例の肌が治って、もしかしたら「大丈夫」になったのかもしれない――。

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