こたつは沼【内側に潜むもの】~触手恐怖症
周囲は闇に包まれている。
どこからかははっきりとしないが、うっすらと光が差し込んでいるらしく、四角い部屋だとわかる。出入口はどこにも見当たらない。とすれば完全に閉ざされた檻の中か。
足元にドライアイスのような靄が漂い、そこかしこで蜷局を巻いていた。
意外なことに中央には、ポツンとこたつが据えられているではないか。
正方形の天板と掛布団が形よく整えられている。あまりにも場違いな取り合わせに見えた。
そのときだった。
こたつ本体が突如、ひとりでに揺れはじめたのはどういうわけか。
四面ある布団のうち、手前がめくり上がり、中から白いものが飛び出してきた。
ひょろ長く、さながら蛇のような動きをしている。しかしながらこたつの内部に根が生えているらしく、外へ出るにも限度があるようだった。
次々と、うねうねする物体が、別の面から出てきてのたくった。
いずれも人間の腕だった。
男のものとも女のものとも判別はつかない。肌は真っ白で、青い静脈が浮いていた。尖った爪さえも白かった。
骨すらないのか、関節は不自然に曲がりくねり、まるで海底に揺蕩う海藻のよう。
こたつのあらゆる方向から、天板を中心にして白い腕がいくつも伸び、指を折り曲げた形でゆらゆらと蠢いている。
その異様な姿は、前衛舞踊でこたつ本体を口に見立てたイソギンチャクを表現しているかのようでもある。
とすれば、うねくる長い腕は触手であろう。
無数の触手は闇の中で、仄白く浮かび上がり、獲物がかかるのを辛抱強く待ち伏せしていた……。
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12月も半ばにさしかかっていた。
マンションの窓の外は、チラチラと雪が舞っている。あいにく今朝の空は雲が厚く、町もモノトーンに沈んでいた。出歩いている人はいつもより疎らだし、誰もが肩をすぼめた姿だった。北風も吹いているらしく、女性の髪が乱れ、コートの裾を翻らせていた。
上松瀬 美桜の趣味は雑貨店めぐりとクラブ通いだったが、こうも寒いと出かける気にもなれない。
だからこそである。
こんなときは部屋にこもり、宅地建物取引士の資格を取るため、来年に向けて勉強すべきだろう。10月中旬に初めての試験に挑んだものの、あえなく撃沈した。今年の合格率は18.7%だったそうだ……。
来年こそはとリベンジを誓うのだった。
美桜は21歳。せっかく両親の計らいで、立地条件のいいマンションで一人暮らしをさせてもらいながら、アルバイトと夜遊びの生活に明け暮れていた。そろそろ浮上するきっかけを作りたい。
こたつを出したばかりだった。――1週間前、来るべき寒波に備え、最寄りのリサイクルショップで驚くほどの安価で手に入れたのだ。4人用のこたつで、とても中古とは思えないほど美品で得した気分だった。
オーク無垢材の天板は傷ひとつなく、こたつ布団も淡いピンク色の生地に、おしゃれな柄があしらわれていた。6帖の洋室にお似合いだった。
それに加えて赤外線ヒーターの暖かさたるや……。
まさに、こたつは沼!
腰までふとんに入れ、脚を伸ばしていると、あまりの居心地のよさで勉強どころではない。
30分もしないうちにやる気が失せ、瞼が重くなり、ついウトウトと舟を漕いでしまう。
さすがにトイレに立たないわけにはいかないが、こたつの沼にはまってしまったら、カタツムリか、亀のようになってしまった気になる。なるべくこたつから出たくないので、テレビや電灯のリモコン、スマホも天板に並べておく。
そんなこんなで宅建の勉強は捗らず、1日を無為にすごしてしまった。
途中、うたた寝してしまったせいか、起きるとひどく身体がだるい。
同時に、ピンポイントに足の一部が異様に痒いのはどういうわけか。長時間ヒーターの熱に当たり、血行がよくなりすぎたからにちがいない。
夕方になってしまった。
バイトに出かけなくてはならない。――美桜は気力をふり絞ってこたつから抜け出した。
顔を洗い、化粧をしてジーンズを履き、コートの袖に腕を通した。愛車のキーをポケットに入れる。大手ファミレスのホールスタッフとして働いているのだ。ましてや今日は土曜日。夕食時は激戦区になるのが予想された。
案の定、店は18時前から客でごった返し、眼も回る忙しさだった。極めつけは閉店直後に粘着気質のクレーマーに絡まれるし。
おかげでクタクタになった。
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しばらく寒い気候が続き、美桜はこたつのお世話になった。
バイトへ出かける前は勉強をする習慣にしていた。
こたつに入ったまま、スマホで宅建の動画講義を見ながら、マーカーペンでテキストの重要個所にラインを引く。
宅建の試験は文章読解力が試されると言われている。問題をしっかり読み込み、言わんとしていることを正確に見抜く力を要求されるのだ。
なかでも判決文問題は言葉づかい自体が難解だから、ふだんから文章を読み慣れていないと脳みそが沸騰しそうになる。2カ月前の試験はここでつまずいたのだ。
……とかなんだか言いながら、美桜はひと息入れようと、天板に突っ伏した。
「やっぱ、こたつは沼だよねー!」
さっき、にんにくをたっぷり利かせたペペロンチーノをたいらげたばかりだった。
ほんの仮眠のつもりだったのだ。
ところがハッと気づいて壁の時計を見ると、15時を回っているではないか。
おまけに身体がひどくだるい。――この症状はあのときに似ていた。ひどく血液を失ったあとの気だるさが全身にのしかかっていた。
それだけではない。
またしても片足が痒いのなんの。
ふとんから下半身を出した。
スウェットの裾がずれ上がり、素足がむき出しになっている。
長時間ヒーターに当たったためか、脚全体が火照っていた。
痒い部分は右足の踝だ。
「ひっ!」と、美桜は患部を眼にするなり、悲鳴を上げた。「なんなの、これ! まさか、なんかいるの?」
細い足首には、二つの赤い点がついている。
なんらかの虫にでも咬まれた痕のよう。虻に咬まれたみたいにむしょうに痒い。
いや、二つの痕が並んでいるさまは、アマプラで観た映画『吸血鬼ドラキュラ』の犠牲者の首筋に残された傷痕を思わせた。
反射的に美桜は四つん這いになり、ふとんをめくり、こたつの中をのぞいた。
どこをどう探しても、虫らしきものはいない。中は赤外線ヒーターの赤い光が満ちているだけだ。虫が住むには、いささか暑すぎる。
必ずしもこたつの中で被害を受けたとはかぎらない。もしかしたら知らないうちに外で咬まれ、今になって痒くなっただけかもしれない。
救急セットから軟膏を取り出し、薬を塗っておいた。
全身に残る気怠さは相変わらずだった。
これしきのことで仕事に穴を開けるわけにはいかない。生活費を稼がなければやっていけないのだ。いつまでも親におんぶにだっこではいけないだろう。
ところがバイトをしているうちに、よけい体調が悪くなった。
やはり生理がはじまったらしい。どうりで身体が重だるだと思う。
無理をすべきではなかったのだ。結局早退させてもらい、まっすぐに帰宅した。
部屋に着くなりこたつに入り込み、いけないとわかりつつ、そのまま眠ってしまったのだった……。
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翌日は定休日だったので、じっくり身体を癒すことにした。
それにしても、こたつは沼!
こんな快適なグッズはそうあるもんじゃない、と美桜は思う。
宅建の勉強のちっとも捗らず、それどころかこたつに入り浸りになる。
それからというもの、仕事も休みがちになった。
単に体調がすぐれないというのもあったが、そもそも外出する気にもなれずにいた。
というか、こたつから出たくない。
はじめこそ、気力をふり絞ってトイレに立ったり、キッチンで食事を作ったり、むろんお風呂にも入ったが、じきにそれさえ難しくなる。
1日くらい入浴しなくても……と面倒がるようになり、トイレはなんと、こたつの中でペットボトルと漏斗を使って器用に済ますようになった。ナプキンの交換もこたつの中で行う。
尿がたまったペットボトルは、そばのクローゼットに隠す。汚物のたまったビニール袋もいっしょに押し込んだ。
こんなだらしない人間になってはだめだ……。
だめだと思いつつ、こたつの誘惑に勝てず、だらけてしまう。
こたつですごすにつれ、ますますやる気がトーンダウンしていく。体力すら回復しない。
おまけに、今や足の痒みはそこらじゅうに広がっていた。
美桜は身体をよじり、患部を探す。この間まで踝にあった傷痕は、いつの間にかふくらはぎにまで点在していた。
いくつもの二つの赤い点――やっぱりどう見ても歯形ではないか?
異常事態とわかっていながら、頭が働かない。
こたつは沼である。思考能力すら奪われる。体温まで持っていかれ、なおさらこたつで暖まらずにはいられない。
こうして5日がすぎた。バイト先への連絡はしなくなった。このままでは解雇されても仕方ない……。
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――仕事に行かなくちゃ。
ファミレスでの人間関係は悪くなかった。
人間、仕事を辞める理由のひとつが、職場の雰囲気や劣悪な人間関係だというのは昔から言われてきた。幸いチーフは心の広い人だったし、同僚との仲も良好だった。よくプライベートでも遊んだ。
――誰か、助けて。
こたつに胸まで入り、仰向けになったまま眼を開け、天井がしっかり見えているというのに、身じろぎすらできない。
このままではだめだ。
そのときだった。
足の先に、なにかがぶつかる感触があった。
えらく柔らかい物体だった。動いている。
――これよ。こいつが足に絡みつき、歯形を残すほどの力で血を吸ったにちがいない。生理だけが原因じゃなかったんだ。
だからこそ、ひどい倦怠感に襲われた。この前までは、眠っている隙にガブリとやられたから気づかなかった。
今は意識がある。
やはり、こたつの中に何かが潜んでいたらしい。
美桜の足首をつかまえたそれは、思いのほか太かった。
まるで骨太の男の手のように。
しかもヌメヌメとぬめりを帯びていた。オイルマッサージを受けたときのように、すべらかに男の手が足首から大胆にふくらはぎまで遡り、一気にふとももまで攻めてくる。
そのいやらしい手つきたるや――手のひらの表面は、奇妙な突起がついているのか、ボコボコしている。まるで特殊なゴム手袋を装着しているかのように。
脚全体に巻き付いた柔らかい感触は、美桜の素肌に張り付き、身を少しよじったくらいではビクともしない。
いや、違う。これは手ではない。ロープみたいに巻き付けるほどの長さなのだ。
ひょっとして、蛇だとしたら。
――へ、蛇?
美桜は内心、取り乱した。
なぜこたつの中に蛇が住み着いているのか。この間、中を調べたかぎりでは見つからなかったのに。
ふりほどこうにも、身体は微動だにしない。そのくせ意識は冴え、恐怖とおぞましさで鳥肌が立つ。
これは夢か現か?
仰向けになった美桜はさっきまで天井を見上げていたのに、いつしか薄暗い空間にいた。
かろうじて眼球だけが動かせる。
下半身を見ようとした。
なぜかこたつが存在しない。
スウェット姿で横たわっている全身が見えた。胸のふくらみが見え、激しく上下している。暗い空間なのに、どこからともなく光が洩れているのか、ちゃんと視認できた。
両脚に、黒い物体がのしかかっていた。
美桜は声にならない声を洩らす。
ぬいぐるみではない。
なんと、それはタコ――腕を伸ばすと体長1メートルはあろうかと思えるほどの大物で、ゆっくりとした動きで蠢いていた。
――キモっ! どしてタコなの?
男の禿げ頭に見える部位は内臓がつまった胴体だ。だらしなくたるみ、ふとももに纏わりついている。8本の腕はうねりながら、それぞれに美桜の下半身といわず、腹のあたりにも絡みついていた。
タコの胴体の下には、二つの黄色い眼があった。横一文字になった特徴的な瞳孔で、なんの感情も読み取れない。
吸盤のついた腕が伸び、美桜のスウェットを器用に脱がしにかかった。ヌラヌラとムチンのぬめりが素肌に付着するのがわかる。
――こいつめ。なんで、服を脱がすの!
あれよという間にスウェットパンツがずり下ろされ、上着もすべてのボタンをはずされ、素肌があらわにされた。
ブラジャーとショーツのみにされる。
さらにタコは、巧みに下着をはずそうとしていた。そのテクニックは、以前クラブで知り合い、一夜だけホテルで寝た元ホスト以上に手慣れていた。
――タコなんかに!
元ホストに抱かれたときは、甘美な夢のような体験だった。
が、今の相手はおぞましいマダコにすぎない。身体じゅうムチンでベトベトにされ、嫌悪感で正気を失いそうだ。
美桜はどうにかしてタコを振り払おうと抵抗するが、見えざるワイヤーで雁字搦めにでもされているかのように、身体がいうことを聞かない。
タコは、ほぼ同時にブラとショーツを剥ぎ取った。
今やそのグロテスクな胴体は胸の近くまで達していた。
すぐ近くに、タコの眼がある。
触手は両方の丘陵の裾野をしぼって揉みしだき、別の腕で美桜の股間のあたりをまさぐった。
敏感な部分をくすぐられる。
こんな屈辱的なことがあるか。タコなんかに。
――あ。
いけないとわかりつつ、若い美桜は反応してしまう。
まさか、タコによる触手プレイとは。
全身粘液だらけに汚された。糸を引いている。
タコは8本の腕を使って、美桜の肉体にいたずらをする。胸の突起のさくらんぼをいじられるのはまだかわいい方だった。
下半身の暗い翳りにある小さな蕾をこすられる。
思わず声が出てしまう。
悲鳴ではない。純粋なあえぎ声だった。
そのうち、触手が美桜の奥に侵入していくのがわかる。
まさぐり、焦らされ、うねり、出し入れをくり返された。
じっくり時間をかけて、恍惚の頂点にのぼりつめていく。
美桜は身体を弓なりに反らせた。
頭の中でなにか弾け、やがて頭が真っ白になった。
肉体がヒクヒクと戦慄く。
クラブで知り合った男との、ワンナイトラブ以上の絶頂だった。
――こんな軟体動物にいかされたなんて……。
屈辱に身を焦がす。
美桜が荒い吐息をつきながらぐったりしているのを見計らって、タコが、ずいと近づいてきた。
タコの胴体が身を起こす。ぐにゃぐにゃの生き物なのに、重力に逆らって男の禿頭に似たそれは、楕円形に伸び上がった。
美桜は見た。
腕のつけ根に、黒くて硬そうなものが露出していた。まるで鳥の嘴だ。
これぞキチン質でできたカラストンビ――タコの口であろう。
首筋に咬みつかれた。
優しく責められる。
咬みついたまま、放そうとしない。きっと派手なキスマークがつくにちがいない、とぼんやり考えた。
ズーズーと蕎麦をすすっているような音がする。
血を吸っているのだろう。
こうして日ごと血を吸われ、立ち上がる気力まで奪われていたにちがいない。
こたつが沼である正体は、まさにこれだったのだ。
了




