第8話 想い、噛み締めて
夕日は既に半分以上姿を隠し、朱色と紫色の空が広がる。 さっきまで強く吹いていた風は少し治った。
ウィルフィード達との話を終えたリンは自室に戻り、後ろ髪を一纏めにしていた櫛を外すと、麗しい黒い髪は腰部までに行き届いた。 その後に城付近にある庭園にやって来た。 その庭園には池や、静かな雰囲気を与える木々が隙間を空けて並んでる。 砂利を敷いた一本道を行くと、一際目立って立ち尽くす、枝垂れ桜があった。
その花弁一つ一つが桃色に輝き、暗くなろうとする辺りに光を与えていた。 しかし、風に揺らされる度に、可憐な花弁が儚く舞い散る。 数多の内の一つがリンの左肩に着地するも、悩み狂う表情をしていて気づかない。
枝垂れ桜の立派な幹に背を置いて、散る桜を無心で眺める。 目の前にふわふわと落ちてきた花弁を、手のひらに着地させる。
「……、…………」
手のひらに桃色の花弁を残したまま握り拳を作った。
(──どうすれば良い? 全くわからない。 父上……、私は、どうすれば良いのですか?)
リンは今、今後のマカミノクニ。 そして己の未来を左右する選択を迫られていた。 レイア達と一緒行くか、マカミに残るか。
レイア達を取れば、少なからずあの両目眼帯の色女と再び相見え、父親の救出が可能かもしれない。 まだ発展途上のマカミは建国者であるリンの父親、ユウシ・クシナダが必要なのだ。
けれど、リスクは大きい。 アルヘオ大森林は面積が二番目に大きい要塞都市ガグラと並ぶ面積を有しており、更には濃い霧が何の前兆もなく発生するとか。 いやまずあいつはアルヘオ大森林に居ない可能性だって有り得るのだ。
早急にユウシを取り戻せば何ら問題は無が、上記の要因により早くマカミに帰ってくる事は不可能。 そうすれば、ただでさえ武力不足なのに、右将軍──副将軍的な役割であり、左将軍よりは位の高い。 そんな務めのリンが居なくなれば、絶対に帝国や、アルヘオ大森林から魔獣の侵略が来る。
父の建国した国家を見捨てる事は出来ない。 それなのに、幼い頃に父に言われた言葉を思い出してしまう。
『もしお父さんがピンチになった時は、真っ先に助けに来てね』
『うん! ぜったいに助けにくるから! まっててね!』
後々考えてみれば、ただの遊び程度の事だろうと思っていた。 ユウシは冗談が好きだから。 でも、ここに来てそれを思い出すのは何か意味があると思う。 そうリンは考えるようになってしまった。
人は生れながらに目的を持たないただのそこに『在る』だけの物。 だからこそ、知恵の持つ人間は自らの生の中に意味を見出し、それを全うする。 それが本当の人生。 その無数の人生があるからこそ世界は成り立つ。
リンは確信した。 己の生の意味を。 父親を取り戻し、マカミノクニを豊かにする事。 それがリン・クシナダの人生。 それが自由からへの離脱。
ふと視線を横に移すとランがこちらへ来た。 心配そうな顔でリンを見てくる。
「リン姉様……。 大丈夫ですか?」
リンは下を向き髪で目を隠すが、口元は見えていて微笑んでいた。
「大丈夫ですよ。 ちゃんと結論は出ました」
「……リン、姉様?」
「マカミは……、任せました。 絶対戻ってくるので息災のままで待っていてくださいね」
そう言うと、枝垂れ桜から離れて握った手をゆっくりと開く、掌中にあった桜の花弁は風に流されるまま地面に落ちていった。 そして、目も合わせずに素通りし、砂利の一本道を戻っていく。
リンは自分の心が黒く塗られていく感じがして、妹に視線を送る事が出来なかった。
ランは振り返り、姉の歩く後ろ姿を見る。 やがて闇の中に消えていくと枝垂れ桜の方に身体の向きを戻す。
既に大きな月が太陽の火の光を反射して枝垂れ桜の後ろに浮かんでいて、散る桜がより一層輝き、枝垂れ桜は優美さを増していた。
その光景を再び三人で観れる事をひたすらに願った。
***
レイア達がここに来てから早くも三日が経って、レイアは時の流れの速さに感嘆していた。
昨日と同じ場所に集まり、ウィルフィードはリンの結果を知ることになる
「一日の猶予誠に有難うございます。 お陰で決断する事が出来ました」
「いえいえ、急な提案でしたから。 それで、決断の方は……?」
黒髪の青年は碧眼を一切動かさず、リンの黒瞳を見るも考えはまるで読めなかった。
一方でシアリィは、生唾を何度も呑み込み、白に近い銀髪を弄ぶ。 レイアはいつもよりもちょっと真剣な表情をしていた。
「……一緒に同行させて戴きたい所存で御座います」
シアリィは「じゃあ……!」と喜びが身体の中を上昇していく。 ウィルフィードも一瞬笑った。
「ありがとう。 歓迎するよ」
こうしてレイア達に仲間が一人増えた訳である。
***
「いやぁー、仲間が増えるのはいいもんですなぁ」
レイアは機嫌良く後頭部に手を組み、新たに加わったリンを含む仲間達を引き連れて、マカミの大手門を目指していたが、 リンが顔を赤くしながら手を小さく挙げた。
「あ、あの。 ちょっと寄りたいところがあるのですが、良いですか?」
そう言いつられてきたのは「甘味処」と書かれた暖簾が掲げられたお店だった。
「私が食べたいだけですが、是非皆さんにも頂いて貰いたく思います」
リンは入って数分すると、おぼんの上にある四枚の皿に黄色くて、天辺に茶色の液体がかかったプルプルと前後左右に揺れる不気味な物を乗せて戻って来た。 レイアはそれを訝しげに見る。
「え? なにそれ?」
「これはプリンと言うお菓子です。 とても美味しいのでご賞味ください」
一人一人に渡すと、初めて見る者はやはり不思議そうに観察する。
「う、うん。 マカミの料理はおいしかったからきっと大丈夫、だよね」
シアリィはスプーンでチョビとプリンを取ると、恐る恐る口に入れる。 すると舌の味蕾の一つ一つが刺激を受け、味細胞が神経を通って脳に甘い味を伝える。
「なにこれ!? 甘くておいしい!」
「うまいな」
レイアは二人の反応を信用してない。 こんな得体の知れない物が上手い訳がない。 内心そう思った。
「そんなことあるわけ……うまっ!?」
さっきまでの気持ちが一転、プリンのその甘さに魅力されてもう出られない。 スプーンの勢いは止まらず、世界にはこんな上手いもんがあるのかと感嘆し、好物になってしまった。
リンは皆んなの反応に喜び、自分も食べ始める。
(このプリンが父上の大好物だった。 なんて言えば、空気を悪くしてしまいますね)
自分の選択を、自分の人生の意味を、自分の父親の想いを、プリンの甘さと一緒に噛み締めた。