第1話 始まりを告げる異形
太陽が世界を照らし始めた頃、大陸の南東に位置するミレトス王国の住人達は突然の爆発音に目を覚ました。
そしてそれは王女も例外ではない。
「──なにっ!?」
王女シアリィはベットから勢いよく下りて、窓にボサボサの髪の顔を写しながらミレトスの街を俯瞰する。その光景にシアリィは違和感を覚えた。いつもの赤い屋根が特徴的な街並みを破壊しながらドデカイ灰色の物体が蠢いていた。
このままでは住民の皆んなが危ないと反射的に思考し、シアリィは急いでいつもの白いドレスに着替えると、螺旋階段を下り、外界と城内の境界たる大きな扉を開けようと取っ手に触れた瞬間だった。
「どちらへ行くつもりですか? シアリィ様」
背後からの通りの良い男性の声に反射して振り向く。その声の主は燕尾服を優雅に着こなし、清潔感溢れる短い黒髪に眼鏡で知的さもある男性だった。
「グレンメル! 今、街が大変なの!」
「存じておりますとも」
「私、行く。 みんなを守る!」
「シアリィ様が赴く必要はありません。 もう既に国王様の命により我等が『竜の劔』の最上位部隊、竜騎兵団が戦闘配置についております」
グレンメルと呼ばれる優美な男は饒舌に言い放ち、眼鏡のブリッチを中指で持ち上げる。
「竜騎兵団!? 父上が!?」
シアリィはグレンメルの言葉に驚き思わず裏返る。それもそのはずだ。ミレトス王国が誇る軍隊『竜の劔』。その軍は大きく分けて三つからなっており、文字通りの歩兵団、翼を持たず二足歩行の地竜種と呼ばれる竜に騎乗する騎兵団。騎乗するのが馬ではなく地竜というのが、竜との親交が深いミレトス王国ならではだ。そして、翼を持ち飛行可能な飛竜種に騎乗する最上位部隊の竜騎兵団。
その竜騎兵団というのは実際、他国との貿易や伝令などにしか動いておらず、戦闘訓練はしているものの出陣機会が無く、実戦経験は発足当初から一回も無い。ただ飛竜種を扱うのが困難という理由から最上位部隊となっているが、実力は定かではない。故にシアリィは驚いたのだ。
「……でも私、回復魔法つかえるもん!」身長の高いグレンメルに身長の低いシアリィは顔を近づける。
グレンメルはほとほと呆れる。 この銀髪で華奢な子は、王女という立場を忘れ自らを危険に晒す。 その思考回路が理解出来なかった。
「シアリィ様。 己の立場を考えてください。 御身は仮にも王女様です。その王女様が亡くなったとなると────」
「──王女だから何?」
シアリィはグレンメルの言葉を遮り、低いトーンで言った。常に表情を変えないグレンメルは一瞬大きく表情を変えた。
「王女だからってだけでおとなしく城に入れっての? おかしいよそんなの! 王女だって、街のみんなだって、同じひとりの人間でしょ!? 命に価値なんてつけないでよっ!」
その力強い言葉とは真逆に目からは涙が出ようとしていた。まるで辛い過去を思い出している様だった。
「……しかし──」グレンメルは戸惑う。
「グレンメルって、強いんでしょ」
「──え?」思わずそぐわない声を漏らす。
「グレンメルって、『竜の劔』の指南役でもあるんでしょ? だったらさ、私が死なない様に、守ってよ」
シアリィはにかーっと笑う。
グレンメルは一瞬躊躇うも、長い息を吐く。 彼はこの若さながら、国王の盾の剣として。 更にはシアリィの言う通り、『竜の劔』の団員に様々な武器の扱いや、戦術まで教育している。
「はぁー。国王様よりシアリィ様を保護し、連れて来いとの事でしたが……。 仕方ないですね。後で一緒に怒られましょう」
***
ミレトス王国に襲来したまるで竜の様な巨大な異形。それは歩兵団や騎兵団の攻撃を何事もなかったの様に無視し、ただ王城へと歩いている。異形の先、王城を守る城壁の如く十三人の竜騎兵団は空中に前線を描いている。その十三人の列の前に居座る、鮮やかな碧色の竜の背に立つ黒髪の男が声をあげる。
「総員! 包囲陣形!」
その声に他の竜騎兵は「おおぉ!」と叫び一斉に灰色の異形の周りへと移動し、異形を中心とした円を作る。
「七人で直接攻撃を、他七人で遠距離攻撃を仕掛ける。 なんとしてでも奴を止めろぉー!」
その黒髪の男の声を合図に竜騎兵団初の実戦が展開する。
直接攻撃担当のものは竜によるひっかき、人による槍の攻撃。遠距離攻撃担当のものは竜による魔力砲撃と人による弓矢の攻撃で異形にダメージを与えていく。
しかし、灰色の異形には効果が無い。鎧の様に硬く、全て弾き返される。
「くぅ……、やはり効かないか。 総員一旦引け!」
「っ!? ウィルフィード団長! あれをやるのですか!?」
碧竜に騎乗する黒髪の男、団長ウィルフィードの命令に竜騎兵団全ての人間が目を丸くする。
「……しかし、団長……」
「問題無い。 的がでかい分射止めやすい」
そう言うと、周りに人がいないのを確認するとウィルフィードは異形を見下す位置に移動する。目をゆっくり閉じ精神を集中し剣を掲げると、たちまち剣身に魔力が纏う。ウィルフィードの周囲の空間が揺れているのかの如く風が吹き舞う。
そして目を最大限に開き、ウィルフィードは声もなく剣を振り落とす。すると剣身に纏っていた魔力が風の刃となり異形との距離を高速で縮めていく。
風の刃は見事に異形へと命中し、その勢いは止まることなく異形を吹っ飛ばす。竜騎兵の一人は「やった!」とガッツポーズを組む。他の竜騎兵もハイタッチをするなど勝利を確信する。
(命中したのは良いが、この技の威力がいまいち分からない。 斃せていると良いんだが……。 いやそれより、奴の身体……、 風の刃が当たった瞬間に生じた魔力の振動……。 有り得ないかもしれないが奴は────っ!?)
思案するウィルフィードに風の刃とは比べ物にならないスピードで何かが迫ってくる。近づいて来るにつれて認識出来た。剣。剣が刃を向けて迫ってくる。
「何っ!?」
ウィルフィードが騎乗する碧竜は反応が遅れ、右翼をかすり、血が勢いよく飛び散る。 それにより、空での自由を失った碧竜とウィルフィードは自由落下を開始する。
「メダァァー!!」
受け身を取り、骨折しながらも共に落ちた愛竜の名前を叫ぶ。碧竜、メダは右翼から鮮血を流し悶える。そこへ、聞き覚えのある明るい声が聞こえた。
「ウィルフィード──!!」
「シアリィ様!? グレンメル様まで!? どうしてここに」
「話はあとで。 今はメダの傷を治さないと」
「これは、竜にとっては重傷ですね」
走ってウィルフィードのとこまで来たシアリィは、メダの傷に両手を出し、修復力の魔力を注ぎ込む。その瞬間、さっきまで日向だったここが日陰へ変わる。三人は上を見ると吹っ飛ばされたはずの灰色の異形が太陽を覆い、こちらを見下す。
「──っ! 仕留められなかったか!」
ウィルフィードとグレンメルはシアリィを背に異形の前に剣を構える。すると突然異形は大きく口を開き叫ぶ。その鳴き声は金属が擦れる様な歪で不快で反射的に目も塞ぐ程に五月蝿い。
「なんだ!?」と目を開けるウィルフィード達が最初に写した光景は既に巨大魔力砲撃を充填完了した異形の姿だった。もう間に合わない、終わりだ。見ている皆がそう思う刹那、異形は打撃音と共に大きく横に倒れた。
「────大丈夫だったか?」
聞き慣れない声がした。