第17話 そして決意
今から二十年前、カリストス王国のある女は自らを犠牲として男の子を産んだ。 その子供は妻をを亡くし、無頓着になってしまった父親と共に生活する事になった。
名前を与えてもらえず、暴力は無いものの食事が出ないという育児放棄の中で育ちった。 幸いにも、近くに森があり木の実が沢山なっていた。 食べれるかは全く分からない。 でも、生きる為には口に入れるしかない。
そんな環境の中で育った彼は遂には父親も亡くし、孤独の中で他人からの愛情に飢える様になった。
しかし、人との関わり方を知らない彼は他人に近づいても疎まれるだけだった。
名前と両親が無い、見た目は木の枝の様に細く、泥の様に汚い。 誰がそんな人間を受け入れるだろうか。
では、自分は何の為にいるのだろう。 そう自問自答を繰り返す様になってから死んでも良いやと思うようになった。
生きるのが辛い、苦しい。 誰からも愛されない。 寂しい。 誰も信じれない。 憂鬱。 果たしてここに存在する価値はあるのだろうか?
そんなある日の事だった。 いつも通り森へ木の実を調達しに行くと、一匹の鮮やかな緑の竜と出会った。
その竜はじっとこちらを見ていた。 何を考えているのか分からない彼は手に持った木の実をあげると、喜んで食べてくれた。 木の実を通じて初めて愛情というものを感じた。 それに嬉しくなり、子供は竜の元へ近づく。
竜はその子に対し疎外する事なく、純粋無垢で光輝く瞳で映していた。
「君は……、名前、あるの?」
竜が人語を理解する事は無く、ただ首を傾げ、幼気な眼差しを向けて来た。
「……触っても、いい?」
もちろんそれにもうんともすんとも言わない。 だけど、子供はその竜が「いいよ」と言っている様に感じ、右の手の冷たい、土や木の蜜に汚れたひらで背中をそっと撫でる。 竜は気持ち良さそうにくつろいでいった。
手のひらの全神経を通じて、その暖かさに感激する。 今まで感じたことの無い温もりと、情。 気づけば男の子の頰に一水の涙があった。
これこそが自分の望んだもの。 自分が与えたいと願ったもの。 こんなすぐ近くになるなんて。 涙が溢れて止まらない。
泣きじゃくり、膝から崩れ落ちた子供の顔の涙を竜は舐めていた。
それから、毎日の様に竜と出会いに行っては、自分一人で話す。 それは今までの寂しさを忘れる様に。
そんな日が続いたある夜。
竜が狩ってくれた魔獣の肉を食べていい身体になった少年は、誰もいない家の一室で寝ていた。
だが、街が騒がしくて目覚めた少年は窓を覗いて外を見ると、地獄の炎で埋め尽くされていた。 よく周りを凝視すると、見慣れない人が自分の国の者を殺していた。
腹を貫く拳に、鮮血は宙を舞って炎と同化すると地面に勢いよく広がる。 逃げる人民には、無数の緑透明の剣が空を裂きながら、降りかかる。
少年は息を荒くしながら、逃げなきゃ、と考えれば考えるほどに足が硬直して動かない。
その瞬間、大気が破れる音と共に、その少年の家が火に包まれた。 全身に火傷を負い、瓦礫の衝突で右脚と肋骨を砕いてしまった。 最早、死と同等の状態。
その時、走馬灯を見た。
幸せな家庭で、毎日のように楽しく会話しながら食事する自分。 でもそれは炎に包まれて消えてゆく。
幸せを望む事も、愛情を望む事も、全て無意味。 なぜなら、終焉を待つただ在るだけの存在だから。
どんな人生でも良かったのだ。 どんな人生も全て同じ。
でも、そうだと分かっても他人の温もりを感じたい。 愛されたい。 幸せになりたい。 という欲求が勝ってしまうのだ。
孤独で生き、人間の生まれつき持っている寂しいという気持ちがより深く心にあったから。
しかし、それはもう叶わない。 終わるのだから。
差し伸べてくれた手のあたたかさを感じながら息を引き取った。
…………。
…………、…………。
「……?」
死んだはずの少年は目を開けた。 心の臓の音は確かに聞こえる。
隣にはあの碧竜が丸まって寝ていた。 状況が理解出来ずにウロウロしていると、竜が目を覚ました。 こちらをまじまじと見てくると、涙を流しながら飛びついて来た。 なく竜の心境がイマイチ分からなかった。
でも、ある事に気づいた。 火傷と砕けた骨が完治していた。
「……。 なぁ、カリストスはどうなったか、分かる?」
碧竜は首を振った。
「そうっか。 ここが森っていうのは分かるけど、カリストスの戻り道が分からないや」
碧竜は頷いた。
「……、これからどうすればいいんだろう」
悩む少年の声に竜は木の実や、魔獣の肉を出して何か伝える様に鳴いた。 長い付き合いなので、何が言いたいのか理解出来た。
「ここで暮らすのか? まぁ、行く宛も無し……、殺されるかも知れないし」
そうして少年と竜は共に森で暮らす事になった。
約十年程は経過しただろう。 少年はもう青年となり、身長も高くて良い筋肉もついている。 地面に穴を掘って部屋を作り、そこで生活していた。
「なぁ、メダ。 飯にするか?」
メダ、と呼ばれた大きく成長したあの碧竜は、その声に気づくと、木箱から木の実や燻製された肉を口に咥えて取り出した。
「そうだね。 ウィルはどっちが良い?」
「俺は肉で良いよ」
メダから燻製の肉を受け取ると、青年、改めウィルフィードは豪快に被りついた。
森での生活は太陽の光が一切無いので、いつもは腹時計で食事の時間や狩猟、採取の時間を決めていた。
そして、ウィルフィードとメダ。 それは碧竜が人語を喋れるようになってから互いに付け合った名だ。
メダはいつもウィルと略して呼ぶ為、フィードは要らない。 と言うと、「ウィルだとしっくり来ない。 ウィルフィードの方が良い感じ。 でも長いからウィル」と返ってくる。
この生活を送る事で、メダはこの子の母親の様に接するようになる。 逆にウィルフィードは以前の記憶はいつのまにか無くなっており、心から楽しい毎日に充実していた。 でも、本当にこのままで良いのだろうか。 という気持ちもふつふつと湧き上がる。
ウィルフィードが肉を食べ終えた頃、穴を塞ぐ木の蓋が叩かれた音が聞こえた。
「……ん? なんだろう?」
「俺が見てくる」
そう言い、はしごを登って蓋をほんの少し開くと、人間の足が見えた。 急に込み上げて来た恐怖に勢いよく蓋を閉じてしまい、音で居る事がバレた。
「っ! そこに誰か居るのか?」
本能的な何かが脳を恐怖感で縛る。 上手く思考が出来ず、外から聞こえる声に応答できなかった。
「我々はミレトス王国の大森林調査隊だ。 決して怪しい者では無い。 どうか、開けてくれないか」
敵意は感じられず、縛っていた恐怖が緩み、平常心に戻る。 何故開けたのかは分からなかったが、蓋をどかし、落ち葉だらけの地面に足をついた。
見ると、大勢の人がいてびっくりした。 その奥に眠った明らかに場違いな銀髪の女の子を抱えている人もいて、不思議に思った。
「君は何者なんだい?」
「何者? ただの人間だが?」
初めての人との会話に、冷静さを繕い、自分達の領域に入って欲しく無いが為に冷たく、棘の様な返答をする。 案の定困惑したようだ。
「あ、えっと、どこの国の人、……ですか?」
今のウィルフィードに記憶は無い。 普通の幸せな毎日に、必要無い過去は消された。 故にカリストスとは答える事は無かった。
「……どこの国でも無い」
「あっ……。 え、えーっと。 君は一人?」
「竜が一匹居るが」
それは脅しのつもりで言ったのだが、彼らに効果は無かった。 メダに出て来てもらっても、一切怯える事は無かった。
聞けば、ミレトス王国と言うのは竜と共存しているらしい。 それなら驚かないのも当然かと感心に近い感情を抱いた。
そんな彼らは、メダが喋れるのもあってか、二人の絆の強さを見込んでミレトス王国の『竜の劔』に招待された。
この生活も良いが、このままで良いのだろうかと思っている自分もいた。 森の中で窮屈に暮らす事が、何も変化の無い毎日を送る事は本当に自身が望んだ事なのか。
メダを見ると、頷いてくれた。 それはウィルフィードが望む未来を選択すれば良い。 私は君の母として見守るだけだ。 と一瞬で理解出来た。
心の中の人間に対する恐怖。 そして羨望。 消した記憶が蘇る。
迷って末に、決意した。
***
(でも、来てみればやっぱり恐怖が勝って、上手くいかなかったけど)
時は戻り、レイア達がそれぞれ自室に戻り、ウィルフィードとメダだけの空間になった。
(まさかまた、帝国の侵略にあうとはね)
ウィルフィードは柔らかいベットに腰を下ろした。 再度消した過去が鮮明に蘇って、顔を歪ました。
ミレトス王国に来るという選択肢を選んだ当時のウィルフィードは、人を前にすると恐怖がやっぱりあって結局孤独になってしまう。 なので暇な時は書斎で、歴史書や古代書を読みふけていた。
そこで分かった事が、あの時のカリストスはヴェルギナ帝国の侵略によるものだった。 それで今回また、移住した先で帝国と再び合間見える自分の運命を酷く恨んだ。
(また……、あの悲劇を見るのは……。 ……心が痛む)
その傍でメダの目には火が灯っていた。