第四話 アンデットと、その家族
澄み切った青空と、肌を優しく撫でるような風が吹いている。
俺は吹き飛ばされながら、空を仰ぎ見ていた。
既視感を覚える。いつ、どこでかは思い出せないが、前にも一度、彼女には殴り飛ばされている気がする。
一瞬、過去を彷徨っていた俺の心は、彼女が俺の胸ぐらを掴み、引き寄せると同時に戻ってきた。
「この馬鹿野郎が!!たった一人の家族残して何処ほっつき歩いてんだ!!!約束を忘れたのかよ!? 妹を泣かせない、って約束はお前が誓ったんだろ!」
「……それに、あんまり心配させないでくれ」
彼女は俺を揺さ振りながら怒号を浴びせてくるが、その瞳に先程までの熱量はない。
今にも零れ落ちそうな大粒の涙が、紅い瞳の色を薄めている。その綺麗な顔がくしゃくしゃになりそうなのを必死に抑えているようだ。
胸が張り裂けそうだった。既に動かない筈の心臓が締め付けられる。魂が覚えている。
彼女の泣き顔を見るのはおそらくこれで二回目なのだろう。
二度と泣かせはしないと、自分は強くあろうと心に誓ったはずだった。
胸中に、過去の記憶の断片が去来した。
――あたしが今日からあんたら二人を育てる! いい!? で、二人に一つずつ約束事! レオは強くなりなさい!兄貴ってのは妹を守るの。泣かせたりしたら許さないよ! ティナは優しくなりなさい!守られてばっかじゃだめ、時には支えてあげること! あとこれは三人の約束。独りにならないこと。この約束は絶対守れ!――
両親はどうなったのか、彼女がどんな人だったのか、そういった事は思い出せていない。
だが、俺は彼女を姉のように慕い、彼女は、俺らを不器用ながらも大事に育ててくれていたことは分かった。
自分の不甲斐なさと、悔しさと、彼女への愛おしさが胸に押し寄せてきた。
「ごめん! クレア姉さん! もう絶対悲しませないし、勝手にいなくなったりしないよ」
俺はクレア姉さんの背中に手を回し、優しく抱き寄せた。その背中は、もう頼るには少し小さかった。
「ふぇ? ちょ、ちょっと、なんだよ、突然! そ、それに謝るなら、あたしじゃなくてティナにでしょぉ!」
そうだ。俺はティナに薬草を届けに戻ってきたんだ。
彼女から身を離すと、紅蓮の毛髪と同じく、顔も真っ赤に染まっていた。……怒り過ぎて、血でも上ったのだろうか。
「そうだね、ごめん。今、ティナは? どんな具合?」
俺はティナについても思い出したが、それは極少ない情報。五つ離れた妹である事、体が弱かった事くらいしか分からない。
今、ティナの容態がどうなってるのかは思い出せない。
「あんたが家を飛び出してすぐ、あの子も追い掛けようとしてね。ぶっ倒れた。……今はなんとか落ち着いて眠ってるよ」
「ただ、徐々に衰弱していってる。昔から体は弱かったけど、そこまでって程じゃなかったはずなんだけどな」
「まずは顔を見てからだろ。そろそろ目が覚める時間だとは思うけど。……後ろにいる、あの女についても後で聞くからな」
溜まっていた涙は消え、また彼女の眼光が鋭くなったように感じた。
まあ、そうだろう。弟のように可愛がっていた奴が、いなくなったと思ったら、いかにも魔女の様風の女性を連れて帰ってきたのだ。聞きたいことだらけであるとは思う。
「ありがとう。俺も聞きたいこと、話したいことだらけだけど、まず先にティナの方が大事だからね」
クレア姉さんの後について行って、家に向かった。
だが、その前に。
「クレア姉さん、先に言っておかないといけない事があるんだ」
記憶の大部分を失ってる事。一度死んだ身である事。アンデットである事。
大事な家族だからこそ、隠してはおけないし、隠せるとも思っていない。
「はぁ。後で聞くって言ったのに。……言わなくてもわかってるよ。最初殴った時からね。体温もそうだし、あたしに殴られて、意識が飛ばない時点で、今までのレオじゃないって事は。だから、あたしは本当は怒っているんだよ、そのレオをレオじゃなくしたその女にさ」
「でも、理屈では恩人だってのは分かるんだ。再会させてくれて感謝もしてる。……だから、詳しい話は後で、落ち着いたら聞く」
彼女は前を歩いたまま、振り向かずに言った。
その背中は、さっき抱き締めたものよりも大きく見えた。
そうして、俺らは何とも言えない雰囲気のまま家に入った。
一階にはリビングと姉さんの部屋、風呂、トイレがあり、二階に、俺の部屋とティナの部屋があるようだ。
確かに体が覚えている。階段の軋む音に、建て付けの悪い俺の部屋の扉。その反対側には、ティナの部屋がある。
なるべく音を立てないように、そっと扉を開ける。
聞こえないほどの小声で「入るぞ」と告げる。
おそらく、幾度となくこの部屋にも入っている筈だが、体は覚えていても、脳は覚えていない。
つまり、今の俺は、初めて妹の部屋に入るのだ。
俺が今年19歳とさっきクレア姉さんから教えてもらった。今、ティナは14歳。年頃の女の子だ。
ここ最近の兄妹仲はどうだったのか分からない。
幸い、扉に「兄貴立ち入り禁止」などの張り紙も無かった。姉さんに、仲が良かったかどうか聞いたところ、「そんなの自分で確認してこいよ。心配で帰ってきたんじゃねぇのか?」と言われてしまった。
ぐうの音も出ない。
ベッドに寝ている少女をそっと覗くように見る。
俺の同じ色とは思えない綺麗な黄金の髪に、長い睫毛、整った顔立ち。
しかし、その目元には涙の跡、そして唇は色が青白くなっている。
「……ちゃ、ん。お、にい、ちゃん……」
弱々しい消え入りそうな寝言だった。
――間違っていた。仲が良いとか悪いとか関係ない。俺はこいつの兄貴なんだ。二度とこんな思いはさせない。そのためには――
パシン! 自分の頬を全力で叩いた。
痛みはないし、頬が引き締まる感覚もない。ただ、俺の心は、魂は引き締まった。
魔王を倒す。記憶を取り戻す為に。大事な家族を守る為に。
やっぱりキャラ増やすと話が捗りますね。この調子だと、明日も更新できそうです。よろしくお願いします!