1、金にはならない見立て
名前間違えてました。リリィ→リナです。訂正します。
明け方、鶏の鳴き声が響く。普段より響く。
狭く、入り組んだ路地にはまだ日が射していない。汚い路地も朝の静かな風が澱みを除き、走るには悪くない。誰もいない、朝から働く、動き出す人がいない場所だからこそ、そこを軽快に走る足音と、鶏の声が気持ちよさを演出している。
もともと怠惰な人が集まっているような所だ。その上昨晩は笛が鳴り響き、みな眠りが浅かったのだろう。
ひとりの小さい身体をした少女が路地の奥まで来て止まる。行き止まりの酒場の前で、柔軟体操を始める。少しでも遠くへ、少しでも広くと手足をゆっくり右に左に伸ばしている。
彼女の日課であり。昨晩の喧騒など気にせず行っている。彼女の故郷と、この帝国第二の交易都市カラハタスでは何もかもが違う。細かい事には動じなくなったのは良いこととだと思いながら運動する彼女は自分が実は気にしている事に気付いていない。
「さて、と」
身体の力を抜き、ただ立つ。そして、一息吐く。
彼女の両手には一瞬でナイフがそれぞれ握られている。
二本のナイフをしまって、また一息吐く。
彼女の両手にはナイフ。
反復する。呼吸のみ響く。無の境地を目指す。意識するかしないか、その刹那に手にナイフを持てる、それが彼女の練習。
師匠は人に修行を見せるのを嫌がっているが、どうしても隠せない時は修行を優先する。彼はそんな人だ。
彼と仕事で旅をして初めて見ることが出来た。そして、彼女も意識が変わる。そこそこ強いと思っていたけど、足手まといも良いところだ。
少しでも強くなり、一人前になりたいと思う。
せめて、一人前の振りが出来るくらいに……。
彼女が練習を上がろうと動きを止めると、どこからか自分以外の呼吸が聞こえる。そう、はっきりとわからない、だが隠している息づかいではない。
音を探す。音を拾う。
彼女はどうにかその音を掴まえた。
彼女は音に近付くと、それが終わりそうな呼吸であることがわかる。駆けていくと、空き家のひとつからであることがわかる。遠慮なく腐った木製の戸を押し開ける。部屋の壁沿いに這って前に進もうとして、途中で力尽きたように倒れ伏しているゴブリンがいた。
ゴブリンの後方には身体を引き摺った赤い跡が彩られている。かなりの出血がある。ゴブリンに駆け寄ると、仰向けにして声をかける。まだ息はある。赤い跡の乾き具合を見る。そこそこ乾いて見える。
「う、、う、」
「おい、大丈夫か? 」
胸を大きく動かして息をしている。口を開けて動かそうとしている。声を出そうとしている。彼女は耳を近付ける。
「スキ……ヤ……キ……を…」
「スキヤキ? 」
ゴブリンが笑ったように見えた。
「ひと……つ」
「依頼は? 」
彼女は力強く尋ねる。彼の意識を手放してはいけない。
「ど……く……さる……か……」
だが、どれほど強く呼び掛けようと、消えてしまう時は消えるのが炎だ。
命が消えた後に残ったのは、血の匂い。ここから時間とともに
増えていくなが死の臭いだろう。
ゴブリンは元々身体が小さめではあるので、詳しくない彼女には大人か子どもかわからない。いや、声の必死さ、何かを伝えたいという意志を思い出して、彼が大人のゴブリンと推測する。
壁際にゴブリンの身体をゆっくり横にして、彼が目指した場所へ歩き始める。
この入り組んだ路地の先には、一軒の飲み屋がある。客も来ないだろうスラムの果てに建っているこの酒場はひとつの逸話がある。
帝国創成期、帝国中で大活躍した盗賊がいる。狙う獲物は、大商人か悪徳領主。盗みを成功させた際には、貧しい人々に金をばら蒔いたとされる義賊。
その義賊の名前はよく知れ渡っている。自称だからだ。予告状を出して盗みを働き、その予告状に名前を書いていたからだ。
名前は『真紅の月』。
そして、ゴブリンが目指していた場所は、この真紅の月がアジトにしていたと噂の、もちろん誰も真実なんか知らないが、酒場であった。
酒場の戸には鍵なんてかかっていない。彼女は酒場の中を迷いなく進む。奥の階段から二階へ登る。二階には廊下と部屋番号の印された戸がいくつか並ぶ。彼女は迷いなく一番奥の部屋進むと戸を開ける。
中から反射的に声が返ってくる。
「明日、飲みませんか? もう今日は無理」
疲れを装った声に苛立ちながら彼女は声をかける。
「師匠、注文が入りました! 」
ベッドから半身を起こした男の身体は細いながらも、締まって鍛えられたものだ。彼女は少しだけ目をそらして続ける。
「仕事です」
「リナ……いきなり俺にその話を持ってくるってことは金にはならない見立てなんだな? 」




