0、全てを与える悪魔を信じてみないか?
「先生、あの子は助かったんですか? 」
青年は、自分を覗き込むように見下ろす、眼鏡をかけた白衣の男に尋ねる。彼は青年に首を振って答える。
「僕があそこで転ばなかったら、助けられたのに」
彼はもう一度首を振る。
「残念だけど、あの子はトラックにひかれた。ついでに、助けようとした君も躓いた」
青い浴衣のような服を着た青年は、頷いて悔やむ。
「僕が人並みの運動神経を持っていたら、助けられたのに……」
「責任を感じる必要はない。君はやれる事をやったんだ」
青年は寝ていたベッドから起き上がろうとするが、身体に力が入らない。
先生は眼鏡を光らせて、優しく語りかける。
「身体はまだ動かせないよ。ゆっくり気持ちを落ち着けて」
「先生、僕の怪我酷いんですか? 痛いところはないんですけど」
「先生なんて呼ばないで。君よりは先に生まれてるとはいえ」
青年は目をつぶり、少し考える。目を開けて再度視界の範囲を確認する。彼の視界に入ってくるのは何もない天井。白い天井。そして、自分に語りかけてくる白衣の男。
「ここは何病院ですか? 」
「病院ではない。君達の言葉で言うなら生と死の狭間かな? 」
「死んだのか? 」
「そう。転んだ君は縁石に頭を打って……打ち所が悪かった」
青年の口調は強くなる。
「お前は死神か? 」
「いいえ。……そうだなぁ、君の思考で答えるなら悪魔だね」
青年は、ふぅっと息を吐く。青年の顔は紅潮していた。
「生きてる時も、死んでからまでも……」
悪魔は優しく答える。
「そんなに悲しむ必要はない。これまでの君の人生は悲惨だったけどね。でも、この先は違う」
「これからは薔薇色に? まったく信用できない」
悪魔は笑う。
「小学一年生の時に大きい方を漏らしてからイジメられ、スキップも出来ないと嗤われ、身体も小さく運動神経もない、さらに学力もない」
「抉るな、悪魔」
悪魔はさらにニタリと笑い、身振り手振りで話を続ける。
「逃げるように本やマンガにはまれば、好きな子に気持ち悪いと言われ、勉強や仕事に励むも結果は出ず」
青年は身体を動かそうとするが動かない。ただ息が荒くなる。
「挙げ句の果てには、子供を助けようとして助けられず、自分も転んで死んでしまう」
今度は悪魔が哀しそうな表情を作る。
「神は残酷だ。美しい心を持ち、一生懸命に努力をした人間を不幸にする。それでも神が正しいと? 」
悪魔は、ふぅっと息を吐く。頭を振り、穏やかに静かに再び話始める。
「神を恨んだ事はないか? 神を憎んだ事はないか? 」
青年は息が苦しくなる。
「何故、足が遅いのか? 何故、勉強が出来ないのか? 何故、貧乏なのか? 何故、モテないのか? 」
青年の耳に、悪魔の声がべっとりとまとわりつく。
「幸せになりたくないか? 幸せになろうじゃないか? 心に君のなりたい理想の姿を思い浮かべるんだ」
暫しの沈黙。
「私は世界を作ったり、作り変えたりする能力はない。神ではないからね。でもね、君ひとりに力与える事なんて造作もない」
頭上に淡い光がキラキラと輝いている。
「取り引きをしないか? 君のこの世界での魂を渡す。そうして約束をひとつ果たすなら、別の世界でにはなるけれど、才能溢れる新しい君を差し上げよう。君の理想の身体を差し上げよう」
青年は自分の身体から息苦しさが薄れていくのを感じる。
「新しい世界で自由に生きるんだ。そして神を憎むのだ。君に不幸を与えた神を恨むのだ」
「映画に出てくるような、漫画にあるような、カッコいい主人公になってみたくないか? 」
「何にも与えてくれない神を信じるのか? 」
「全てを与える悪魔を信じてみないか? 」