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第3章

「お待たせいたしました!

 デイリー・パックでございます! ありがとうございました!」


 ラメルは今日もいつものようにカウンターに立ち、ひたすら客の注文をきき、会計をし、商品を渡すことを繰り返していた。とは言っても、もう閉店前で客も落ち着いてきた。

一方で、夕方のピークの時からずっと、見知った顔がこちらを見つめて立っているのにラメルは気が付いていた。

フードパックの種類によっては時間のかかる物もあるため、待って貰う客用に、店内には椅子もいくつか置いてあるのに、彼女は座ろうともしない。恐らくラメルの仕事終わりを待っているのだ。客ではない自分が座るわけにはいかないという、律儀な彼女らしいとラメルは思った。


「ありがとうございました! またお待ちしております!」

かなり時間が経って、ようやく最後の客が店を後にした。

顔を上げると、彼女がカウンターに移動してきていた。


「ラメル……

 デイリーパックを3つ」


客の少女は何か言いかけたが、ラメルの背後からカウンターに入ったマリアに気が付くと、突如注文した。


「かしこまりました」

「急ぎませんから、そこの椅子に掛けて待ってます」

そう言って、やっと彼女は椅子に腰かけた。


「ラメルちゃん、あの子お友達? ずっと待っててくれてたわねぇ。

 もうお店も閉めるし、上がっていいわよ」

マリアが微笑んで耳打ちする。


「えっ、そんなマリアさん。

 だって明日のための補充とか、倉庫の整理とか……」

「いいのよ、今日は午後から落ち着いていたからだいじょうぶ。

 せっかくお友達が来てくれたのよ、待たせては申し訳ないわ」

「でも、セレンさんだってまだ戻ってないし……」


――マリアさんも先輩も、何かとあんたをかわいがって庇うし。

  あんた一体何者かと思って。


先日、セレンから投げかけられた言葉がラメルの頭をよぎった。

一緒に配達に行くまで、セレンが自分をどう見ているか、まったく気が付いていなかったラメルだった。

直接思いをぶつけられたからには、気にしないわけにはいかない。


「何、セレンに気遣ってんの。やること無いのに残ってたって仕方ないでしょう。

 ハイ、彼女の注文したデイリー3つね。お疲れ。」

アデリアが呆れた表情で、パックの包みを持ってカウンターに現れた。

まだ注文も厨房に通していなかったので、ラメルは驚いた。


「は、はい、ありがとうございます……」

「ね、だいじょうぶよ。今日はアデリアちゃんもいるんだからね。

 それじゃ、お疲れさま。気を付けてね」


 * * *


「ミシェル。お待たせ。デイリーパックもあるよ」


帰り支度をすませて、ラメルは親友であるミシェル・ナタリーの前に立った。


「ラメル、急にごめんね、お店の方に気を遣わせたみたいで。

 急で悪いけど、これからフロガー村に行ける?」


ミシェルの言葉に、ラメルはぎくりとした。

そして、いつも優しくて穏やかなミシェルの表情が、今日は店に来たときから険しいのも気になる。


「今から? ラングス峠を超えて? もう暗くなりそうなのに?」

「ええ。わたしも明日は仕事だから戻らないといけないの。だから時間がない。

 わたしのいつもの心配性で済むならいいの。でも、気になるから確かめたいのよ。

 早く行こ」


今は洋裁師のミシェルが、似合わない矢筒の肩紐を握りしめているのを見て、ラメルは腹をくくった。


「……分かったわ」

ラメルも、ずっと気がかりだった。連絡の絶えたブランシュのことは。


 * * *


「ラメルの職場の人、優しそうで良かった」


ハピサンの街からすぐ、ラングス峠を歩きながらミシェルは言った。

日が暮れてきたので、時々モンスターが姿を現すが、たいていは2人を見て逃げて行った。

もっとも、ラメルはナイフ、ミシェルは弓の腕があるので、何ともないのだが。


「あそこにいた人は……ね」


ラメルは思わず口にしたあと、しまったなと思った。ミシェルのことだから心配するだろう。


「やっぱりね。わたしも、色々言ってくる人がいるから」

ミシェルはふっと溜息をもらす。


「わたしは寮に入ってるから、もう逃げ場がないのよね。

 だから、ブランシュ先生さえいてくれたら、いつでも帰る場所があると思っていたの。

 たとえ孤児院は閉めるとしても、先生のいる場所が、帰る場所だって。

 本当に逃げるわけじゃなくっても、その場所があるってだけで落ち着くじゃない」


何を言われたのか、どんな風に言ってくるのか、ミシェルは明言を避けて本題に入った。


 今向かっているフロガー村は、フードパック・ピジョンのあるハピサンの街から、ラングス峠を超えた山中にあった。ここにあるブランシュ孤児院で、ふたりは育った。

主人であるブランシュは、大々的に孤児院を経営していたわけではなく、運営資金も善意ある人からの寄付金でひとりで切り盛りしていたような、小さな孤児院だった。ふたりは唯一の同い年で、幼いころから共に育った親友だった。

もう年だからと、ラメルを5歳で引き取ってから後、閉院を考えていたようだった。


「だけど、あんたたち2人は育て上げて社会に送り出してやらないとねぇ」

これはブランシュが度々口にしていたことである。

ふたりがそれぞれ将来のことを考えるようになると、当然のようにブランシュの先のことも気になって尋ねてみると、決まってこう言った。


「それは、その時になってみないとわからんねぇ」

「でも先生、ここは山の中で、ひとりで暮らすのは不便だし、もっと便利なところに引っ越すんじゃない?」

「そしたら教えてね、必ず先生のところに遊びに行くから!」

ブランシュはふたりの言葉を微笑んで聞いていた。


ふたりの出立のときも、引っ越したら必ず連絡をするように約束をしていたし、連絡が来るよりも先に、ふたりはそれぞれ近況を知らせる手紙を孤児院宛てに送っていた。

なぜなら、自分より先に巣立った孤児院の兄や姉たちもそうしていたからである。ブランシュがそれを読んで聞かせてくれるときの表情は活き活きとしていて、ラメルもミシェルも、言われなくても自分たちもそうするのだと決め込んでいたのである。


 しかし、先月のことだっただろうか。


"RETURN UNKNOWN"


ラメルがブランシュに宛てた手紙は、このスタンプを押されて、ラメルの自宅へと戻ってきてしまったのである。

住所も書き間違えておらず、料金も足りていた。郵便配達人のミスだろうかと再度送ってみたが同じだった。

ラメルは恐れつつも、職場のアデリアに相談した。クリスを、少しだけ貸してくれないかと。

クリスは急ぎの仕入れを業者に伝えるために使う、ピジョンの伝書鳩だったので、断られるだろうとは思った。しかし、アデリアは快諾してくれた。そればかりでない。


「ラメルちゃん、孤児院の先生に手紙届かないのよね?

 フロガー村ならここから近いし、今からクリスを飛ばしてみる?」

「今日なら急ぎの用事もないぞー」


翌日、マリアと店長からこう声を掛けられて、ラメルは驚いた。

なんと、アデリアは店長夫妻にも事情を説明してくれたのである。

こうして、クリスによって手紙は届けられたのだが、待てど暮らせど、返事はない。

郵便では送り返されたこともあって、ラメルはアデリアに確認したが、届けた先のことはクリスにしか分からないと言われてしまい、不安は募っていった。

そこに、ミシェルが店にやって来たのである。


「わたしもね、この1ヶ月手紙が送り返ってきてばかりだったの。

 でもそうか……ラメルは伝書鳩が試せたのね。

 それで、そのクリスちゃんって鳩は、先生のところに間違いなく届けてくれたのね?」

「それが、先輩ハッキリ言わないんだ。クリスだけ帰って来たから、届いたんじゃないとだけ……

 言われてみれば確かに、さすがの先輩も鳥とは会話はできないからなぁ」

「そう……それじゃ、やっぱり実際見てみないと、分からないわね……

 

 ん?」


ミシェルが足を止める。

そこはもう村の入り口で、村人たちの家の灯りがあちこちに点いていたが、村で一番大きな建物であるはずの孤児院の灯りは見えなかった。

いや、ミシェルは気付いたのだ。暗くはなっていたが、よく目を凝らして見てみると分かった。


「孤児院が……無い?」

「そんな……まさか……」


ふたりは慌てて駆け出した。立ち並ぶ家々を抜けて、小川に掛かる橋を渡る。

そうすれば、そこは孤児院の庭だ。

いや、庭"だった"場所だろうか。

2階建ての孤児院の建物は、跡形もなくなっていた。更地であった。

ラメルやミシェルが遊んだ手作りのブランコも、戦闘訓練でターゲットにしていたカカシもなくなっている。

橋にはロープが掛けられ、庭にさえ入れなくなっていた。


"借地のため、立入禁止 テナント募集中"


ロープにはそんな看板も掛けられているのが、ランプの灯りに照らされて見えた。


「ラメルちゃん? ミシェルちゃん?

 こんな遅くにどうしたの? 誰が走って行ったのかと思ったわ」


振り返ると、孤児院の近所に住む婦人であった。

看板を照らしたランプは彼女の掲げているものだった。


「最近、ブランシュ先生と連絡がつかなくて……心配になって仕事が終わってから来てみたんです」

「これ……どういうことですか?

 いつ、こうなったんですか?

 先生はどこに……?」

落ち着きを失ったミシェルの矢継ぎ早な質問に、婦人は溜息をついて言った。


「そう、あなたたちも知らないのね……

 とりあえず、もう暗いし寒くなってくるから、うちにお入りなさい。

 大したことは話せないんだけど……」


 * * *


「いいの? これ、本当に貰っちゃって……

 それならダンナと息子と分けていただくけど」

婦人・ローラは、ピジョンのデイリーパック1つを手にして言った。


「ええ。

 本当は、先生と3人で食べるつもりだったんですけど……

 賞味期限の今日中に、先生は食べられそうにないし」

「それじゃ、遠慮なく。あ、ふたりともここで気兼ねなく自分の食べてね。

 お茶、淹れたからどうぞ」

「すみません」


そうは言っても、ふたりの食はなかなか進まなかった。

ローラは台所に戻り、スープをかき混ぜながら、つぶやくように話し始めた。


「わたしも、解体業者が入るまで何も知らなかったのよ。1ヶ月ほど前のことよ?

 でも、村長さんまで出てきて、業者に詰め寄ったのよ、どういうことだって。

 そしたら、業者はブランシュさん本人から依頼されたって言うのよ。

 村長さんたちも確認したらしいんだけど、契約書のサインは間違いなく本物だろうって。

 偽造とか、そういうことはないみたい」

「それで、先生は……」

ラメルの言葉に、ローラは首を横に振った。


「もうここにはいないし、居場所は誰も知らないわ。

 長年ここで孤児院をやってて、まさか挨拶なしに出て行くなんて、本当にびっくりなんだけれど。

 うちの息子……ラウルがね、その数日前に見てたらしいのよね、ブランシュさんを。

 ラウルが言うには、荷物を背負って、こっそり出て行くようだったって」

ラウルはまだ5歳だ。いつも家の前で遊んでいた。そのとき、たまたま目にしたのだろう。

ラウルが台所に来て、ローラに空腹を訴えていた。たしなめながら、ローラは続けた。


「別に悪いことも何もしてないし、むしろ皆尊敬してたのよ、ブランシュさんが孤児院やってたことを。

 なんで、そんなこそこそ出ていくようなことがあるのかしらね。


 村長さんが言うには、ブランシュさん自身も、身寄りのない方だったみたいじゃない。

 頼れる家族や友だちもいないみたいで、誰も知らないのよね、ブランシュさんの行き先。

 まあ、わたしたちとしては、孤児院の土地とかの手続きもちゃんとして出て行ったみたいだから、困ることは無いんだけど、そうは言ってもねぇ……」


後味の悪い突然の別れに、ローラはしっくりこないようだった。

しばらくの沈黙の後、ミシェルが口を開いた。

「ラメル、食べよう。たぶん、もうすぐローラさんのご主人帰って来られるし」

「あら、ゆっくりしていって良いのよ?」

「いえ、どちらにしろ、もう帰り始めなくてはいけないし……」

半ば行き当たりばったりの強行突破の里帰りなので仕方ないとはいえ、もう外は真っ暗だった。

泊まる先もないため、これから帰るほかない。

今日のデイリーは、ミックスベジタブルだった。ラメルは売れ残りであったり、自分でも買ったりして何度も口にしたことがあったが、こんなにも食べた気がしなかったのは初めてだった。

 ふたりはローラに礼を言い村を後にした。さすがに夜遅くに一人でミシェルを帰すのは不安だったので、ラメルは自宅に泊まるように言い、ミシェルもその提案を受け入れた。


「朝早くに出た方がまだ安心だと思うよ」

「そうよね……それに、さすがにショックが大きすぎて、ひとりだと考え込んでしまいそう」

そう、ふたりとも、まさか孤児院もブランシュも消えてしまったとは思わなかった。


「それにしても、ラメル、こんな立派な家に住んでるのね……」

ラメルが自分のベッドの横に毛布を用意していると、ミシェルはラメルの家を見まわした。

古い2階建ての小さな家であったが、ミシェルが寮の一室に住んでいることを思うと、"立派"なのだろう。


「ブランシュ先生、わたしがアパートに入れないと分かるや、急にわたしの父親?の遺産があるとか言い出して、ここを買っちゃったんだよね」

「そうなのー!? すごいね」


暗かったミシェルが明るい声を出したのでラメルは安堵したが、それもつかの間だった。


「わたしなんか、両親共に医者だったのに、僻地医療でボランティアに等しかったらしいから、財産なんてほとんど無かったみたいなの。

 ラメルのお父さんすごくお金持ちだったのね!」

「そっかぁ、ミシェルの両親はおふたりともお医者様だったんだ。

 どうりで、ミシェルは頭の回転も早いし、手先も器用だよね」

半ばミシェルの言葉を無視してしまったように思い、ラメルは心苦しくなったが、それをおくびにも出さないように、声のトーンを上げた。


――やっぱり、みんな聞いている! 両親が何者だったかを!


「まあ、僻地医療の医者が頻繁に外科手術やってたかは分からないけど……。

 赤ちゃんのときにはこの孤児院に預けられてたみたいだから、ブランシュ先生の過去とかも分からないなぁ」

「兄さん姉さんも知らないのかな?」

うまい具合に話題がブランシュのことになったので、そちらの話を進めることにした。

兄さん姉さんとは、孤児院の先輩たちのことだ。


「でも皆、子どもの頃に孤児院に来たわけでしょう? 知ってる可能性の方が低いかな……。

 だけど、とにかくこのことは知らせなきゃ。特にシルバ兄さんは王都にいるわけだから、情報が集まりやすいかもしれないし。兄さん姉さんにはわたしが当たってみる」

「ありがと、ミシェル。

 わたしも配達とか行くことあったら、探ってみるよ」


 ミシェルとの会話はそこそこに二人は床に就いたが、ラメルはもやもやしていた。

先に孤児院を出たシルバも、ジャスミンも、アレックスも言っていた。


――孤児院を出るとき、実の両親のことを詳しく教えて貰ったって……


  でもわたしは……!


 * * *


「あの、ブランシュ先生。わたしの親って、どんな人だったんですか……?」


思い切って尋ねたのは、いよいよ明日が出立という日の夜であった。

ミシェルは一足先に孤児院を出てしまい、ブランシュとラメル、二人きりの夕食であった。

ブランシュはしばし考えるように黙り込んだ後、こう言った。


「……ラメル、それじゃお前さんは、どれくらい両親のことを覚えているんだい……?」

「え……?」


まさか、逆に尋ねられるとは思ってもみなかった。そんなことはブランシュも知っていると思っていたのだ。母親のことは全くと言っていいほど覚えていない。

そして父親は……


「わたし、父親は……たまに夢に出てくるんですけど。

 でも、姿の見えない人の方に向かって走って行くだけなんですよね。

 だから、結局両親のことはほとんど覚えていないと思うんです」

「ほぅ、夢? それは初めて聞いたね」


物心つく前からだろうか、ラメルはたびたび不思議な夢を見ていた。


「そうですか? わたし、小さいときにも何も言ってませんでした?」

「いや……。

 前にも言ったかもしれんが、13年前、ラメルは父親に連れられてやって来たのさ。

 母親は若くで病気で亡くなったと、その時聞いた。それしかわたしには分からないね」

確かに、それはこれまでも聞かされていたことだ。

だが、ラメルが改めてききたいのはそういうことではなかった。

そして、ずっと気になっている夢の内容があった。


「あの。わたし、姉がいませんでしたか……?」

「えっ?」

「夢の中で、わたし、カタリーナ姉ちゃんって人と一緒に、父親の方に走って行くんですよ。

 何か知りませんか?」

ブランシュは、今まで見たことないような愕然とした表情をしていた。

だが、無理もないだろうとラメルは思った。いきなり夢の内容の話を信じ切って話を始められたら、それは驚くだろう。しかし、毎度その夢に登場する"カタリーナお姉ちゃん"に、ラメルは確信を持っていた。


「いや……知らないね。

 父親が連れてきたのはお前さんひとりだったよ」

「……父親の名前とか、覚えてますか?」

「それが……」

再びブランシュの口が重たくなり始めた。


「聞いていないんだ。あのとき、託すように急いでラメルを預けたと思ったら、そのまま行ってしまった」

「行ってしまったって……その後は? 生きてるんですかっ?」

「いや、それがどうも、死んだらしいと聞いた」

「名前も分からないのに? 死んだってどうして分かったんですか?」

明らかにブランシュが答えに詰まったのが分かった。


「近くで身元不明の死体が見つかったと聞いて……

 ここに来たラメルの父親と、特徴が似てたから、たぶんそうだろうと。

 しかし、結局詳しいことは何も分からずじまいだった。

 正式に孤児として受け入れる手続きのために、調べたんだがねぇ……」

うつむき加減になってブランシュは答えた。


「もちろん、お前さんの戸籍はちゃんとあるから、心配ない。

 明日からのラメルの家だって、ちゃんと所有者はラメルになってる。

 ただ、ネラドという姓は、手続き上付けた姓だから、父親のものでも母親のものでもないが」


かと思うと、ラメルを目を一心に見つめて、話し出した。


「でも、親が誰であっても、ラメルはラメルで、ミシェルはミシェルなんだ。

 わたしのかわいい子どもに変わりはない。

 たとえ明日からは自分の足で一歩踏み出すことになってもな」

そう言われて、ラメルは結局、何も聞きだすことができなくなってしまった。


 * * *


「ラメル、眠れないの?」

床の上で、毛布にくるまったミシェルから声を掛けられ、ラメルははっとした。


「うん……」

そこでようやく、ラメルはミシェルに、ブランシュとの最後の夜の会話を打ち明けた。


「そっか……なんだかごめんね」

そう、ミシェルならそう言うことが分かっていて、先ほどは言えなかったのだ。


「それでも、ラメルにそんな遺産を残してくれてたのなら、そこそこ名家だとは思うけどね」

「どうかしら。

 ……こんなこと言ってなんだけど、実は先生のお金じゃないかと思ってる」

「そんな……でも……」

ミシェルが口ごもったことに、ラメルに確信と、不安の両方の波が打ち寄せた。


「ブランシュ先生ね、どうやってあの孤児院やりくりしてきたのかな、と考えたことはあるのよね。

 先生自身身寄りがないし、孤児院のこと以外に内職はしていたけど、そんな大きな収入は無かったと思うし……わたしは、違うと思う」

ミシェルが否定してくれたことに対して、ほっとしたような気もしたが、後ろめたいような気持ちもぬぐえなかった。


「まさか、この家を買ったことで、夜逃げしたわけじゃないよね」

「無いと思う。

 ローラさんの話だと、あの土地はブランシュ先生の所有だったのを売り渡して孤児院も撤去することになったって。

 むしろ、これからの生活資金ができたんじゃないかしら。逃げることはないわ」

冷静で頭の回転が早いミシェルは相変わらずだなと、ラメルは思った。

一方、彼女が医者の娘だからだという事実が、新たに頭をよぎった。


「ラメル。

 先生に何があったか分からないけれど、あなたのせいじゃないわよ、きっと。

 ……なんて、あまり慰めになってないかもしれないけれど。

 わたしは、てっきりあなたも出自を知らされていたのかと思っていたから。それを何も考えていなかったのは、ごめんなさいね……」

「ううん……」

「なかなか会いに来られないけど、また手紙送るわね」

「うん。明日早いのに、ごめんね。

 寝よう」


仕事のあとに、とんぼ返りでフロガー村まで行き、疲れているはずだったが、結局ラメルはなかなか寝付くことができなかった。

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