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第8章

 父の記憶が薄っすらとしかないラメルも、これが恐らく初めてブランシュ孤児院に来た日ではないか、という日の記憶があった。

 何人かの子どもを引き連れたブランシュが、笑顔で招き入れてくれたこと。

子どもたちは、ブランシュの後ろに隠れながら、興味深そうにラメルを見つめていた。今思うと、それがシルバだったり、アレックスだったのだろう。

ブランシュの笑顔を見て安心したのか、はたまた、ラメルが自分と同年代と気付いてか、近づいて来た少女がいた。それがミシェルだ。ミシェルはラメルの手を取って微笑みかけた。

しかしここで突如、忘れもしない異変が起きた。


――ガシャーン!!


それは、音に驚いて静まり返った玄関ホールに、響き渡ったように思えた。

音の正体は、玄関に飾られていた大きな花瓶だ。

気付いたときには、水が噴き出すように流れていた。

活けられていた花がハラリハラリと落ちていく。

ラメルは今、自分でもおかしいと記憶を疑っている。

それは花瓶が落ちて割れたのではなく、割れて落ちたような気がしてならないことだった。

そして、ブランシュや子どもたちはもちろん、驚いて花瓶を振り返ったが、玄関の奥から、彼ら以上に震えるように割れた花瓶を見つめていた少女がいた。

銀髪をサイドにひとつに編み込んだ少女……それこそが、ジャスミンであった。


 孤児院に来た頃、ミシェルだけは時々、ジャスミンに占いをねだっていた。

今日の運勢とか、ラッキーアイテムとか花とか色とか、そんな取るに足らない事であったと思う。

しかしジャスミンは占いの話が出ると、顔を青くしながらも強張った笑顔でやり過ごしていた。


「ごめんね、最近調子が悪いの」

「こないだもそう言われた~! 前は占ってくれたじゃん!」

つまり、ラメルが来るまでは占っていたのだ。ミシェルも、自分の要望に応えてくれないジャスミンに興味をなくしたのか、それともそんなジャスミンに何かを感じたのか、占いをせがむことも止めてしまった。


しかし、この話は10年ほど経って呼び起こされることになる。

ジャスミンがちょうど17歳になった頃、ジャスミンにも当然進路の話が出た。

先に孤児院を出て大学に通っていたシルバが何度も孤児院を訪れ、それは強く大学への進学を勧めたのだった。


「ジャスミン、俺には分かる。

 君が子どもの頃にやっていたよく当たる占い、あれは間違いなく君の持って生まれた魔法の能力がなせる技なんだ。

 その才能を見せたら、きっと奨学金も得られて魔法の勉強ができる。

 君は類まれな才能を持つ魔法使いにも、お母さんのような占い師にだってなれるはずだ」

ある日、ブランシュの部屋でシルバが熱弁をふるっているのを、たまたま通りかかったラメルは廊下から聞いてしまった。


「シルバ。こんな私に何度も話をしてくれるのはありがたいけど……。

 私は進学しないわ。花園(かえん)に就職するの」

「花園だって!?」

「子どものとき……そう、ラメルが来たあの日まで。私は何にも分かっちゃいなかったのよ。

 この能力の恐ろしさを。本当はあの日までも分かっていたはずなのに。

 ここの皆がとても優しかったから、つい忘れてしまっていたんだわ」

ラメルは自分の名前が出たことに驚いて息を呑んだ。


「シルバ。ブランシュ先生はもちろん知っているけど、私の父親は生きているの。

 母が亡くなって、私は父や父方の親戚をたらい回しにされて、最後にはここに来た。

 どうしてだと思う?」

普段は大人しく、あまりハッキリ物を言わないジャスミンが、この時ばかりは感情を露わにしていたように、ラメルには思えた。


「母親譲りのこの能力を、誰もが気味悪がっていたからよ。

 ラメルが来たときに花瓶が不自然に割れたこと、覚えているでしょう? あんなことがしょっちゅう起こっていたし、視界に入る花、手に取る花は皆悪い意味の花言葉を持っていた……。

 あの時割れた花瓶、あれは母の遺品を先生が飾ってくれていたのよ。

 その花瓶が割れたのよ?

 しかもあのとき活けられていた花……思い出すのも恐ろしい。

 もう何も見たくないの。自らを不幸にする能力なんて要らない。

 裏切ることのない花たちを相手に生きていくのよ」


ジャスミンの占いは、ジャスミンの手にする花、目にする花の花言葉によるものらしかった。

割れた花瓶に何が活けられていたのか、その花言葉が何だったのか、シルバや同席していたブランシュが問いただしていたようだが、ジャスミンは答えなかった。


ジャスミンは本人の希望通り、花園に就職した。

孤児院の花壇の花は、ブランシュから花の世話を教えられたジャスミンが丁寧に手入れしていた。

他にも、孤児院に寄付された、イラスト入りの植物図鑑を愛読書にしていたほどだった。

それが高じたのだろう。占いや魔法は恨んでも、花を拒むことはなかった。

真面目に花作りに取り組むジャスミンは、取引先の花屋の店主に気に入られたようだった。この店主は老婦人で、店の後継ぎを探していた。

幼少時に親族に冷遇されたせいか、どちらかというと人間嫌いだったジャスミンはちょうどその頃、花園で人間関係に躓きかけていた。そのため、老婦人の求めに応えて数年勤めた花園を退職し、彼女の後継ぎという形で開業したと、ラメルはシルバから聞いた。


 * * *


 フードパック・ピジョンが例になく臨時休業となった日。

ラメルは朝一にハピサンの街を飛び出し、王都の時計台の下で、親友のミシェルを待っていた。

ここは数ヶ月前、ラメルが孤児院で共に育ったアレックス……を騙るカミーユと待ち合わせていた場所でもある。


 ピジョンの臨時休業が決まると、ラメルは帰宅後即刻、ミシェルに手紙を書いた。

それはオリビアからも助言されたように、ジャスミンに花占いをして貰うためである。

そして、恐らく自分のことを避けてきたであろうジャスミンを説得するのに、ミシェルの助けを得るためであった。


――いや、もしかしたら、今更占いは必要ないのかもしれない。


ミシェルを待ちながら、ラメルはジャスミンのことを思い起こし、そして考えていた。


――あの時割れた花瓶に、何の花が活けられていたの…!?

それだけでも、自分の求める答えが得られるような気がしたのだ。


そうこう考えているうちに、ミシェルが手を振って駆けてくるのが見えた。


「ごめん、待たせた……? 大丈夫?」

恐らく、考え事をしていたため、表情が険しかったのだろう。

それに、ミシェルには今日の目的は伝えてある。


「ううん、大丈夫。ごめんごめん」

ラメルは笑みを作ると、ミシェルの肩をポンと叩いて言った。


「それじゃ、ジャスミン姉さんのお店に案内してよ」


 * * *


ミシェルは、ジャスミンの店に来たことがあると言っていた。

しかし、前に来たのは開店直後だったため、来るのは久しぶりだと言う。

記憶を辿るミシェルについて行くと、"クロシェット花店"の看板が掲げられた店が見えた。

白いコンクリートの壁に、深緑の窓枠やオーニングがアクセントとなっていて、シンプルながらおしゃれな外観だ。

店先にもたくさんの花が並べられている。

そして、黒い自転車が停められていた。

後ろに大きなバスケットが付いているところを見ると、ジャスミンの配達用の自転車だろうか。

ところどころが錆び付いたそれを、日々ジャスミンが漕いでいると思うと、ラメルはギャップを感じないではいられなかった。


――カランコロン。

「いらっしゃいませ」

ミシェルがドアを開けると、ドアに取り付けられたベルが鳴り、それに気付いたジャスミンの声が静かに響いた。

入り口からショーウィンドウに掛けて、所狭しと花が並べられていた。花の入った大きなバケツやら鉢植えやらの間から、そろりと立ち上がったのはジャスミンであった。

腰までありそうな銀髪をサイドでひとつに編み込んでいる姿は昔と変わらなかった。

エプロン姿ではあったが、襟にレースのあしらわれたブラウスを着ているのも、彼女らしいと思ってしまった。


「ミシェル、久しぶりね。ラメルも……」

あとからラメルに気付いたように言いつつも、視線は最初からラメルに注がれている。

「ジャスミン姉さん……仕事中ごめんなさい」

「いいわ。今は落ち着いてるから」

鉢植えに目をやりながら、ジャスミンは答える。

ミシェルの一言で花を買いに来たわけでないと悟ったのか、ジャスミンは店に入るよう促して来た。


花が並べられているだけかと思いきや、よく見れば壁にはたくさんのドライフラワーが掛けられ、取り付けられた棚にはたくさんの花に関する品が並んでいる。

花籠のサンプルだけではなく、ガラス瓶に入れられた花の飾り物や、ジャムや紅茶など、加工品も多く並べられていて、思わずラメルは目を奪われてしまった。

そして、表からは分からなかったが、花のスペースだけではなく、4人ほどが辛うじて掛けられる程のテーブルと椅子が用意されていた。けして店の雰囲気とマッチしていなかったわけではないが、最近になって置いた、という感じがあった。


「座ってて。紅茶を入れるわ」

ジャスミンは二人を応接間に案内すると、さっさと店の奥に引っ込んでしまった。


「前はこんなテーブルと椅子なんて置いてなかったけどね。

 もっと花のバケツとかがいっぱいあったはずなんだけど」

まさにラメルが感じていたことをミシェルが言った。ミシェルは何度もジャスミンの店を訪れているようだった。


よく見れば、テーブルの上には白紙のカードと、クレヨンなどが置かれている。ギフトカード用かと思いきや、さらに置かれていた箱を見て、ラメルは驚いた。


「タロットカード……」

「そうか、ここは占い席ね」

占いを嫌悪していたジャスミンがこういうものを手にしているのを、ラメルは見たことが無かった。

しかし、箱からしてタロットカードは随分古びていた。

母親が占い師だったと言うし、孤児院の花瓶も母の遺品だと聞いていた。実はずっと持っていたのかもしれないなと考えながら、ジャスミンを待った。


「ラベンダーティーよ。ハーブティーが苦手でなければどうぞ」

ジャスミンはそう言って、紅茶をふたりに出した。見た目には普通の紅茶だが、ほのかにラベンダーが香った。

しばらくはミシェルが中心となって他愛のない話をしていたが、ミシェルも壁の小物に気が付いたらしく、話題にした。


「なんだか、花以外のものがたくさん増えたね、ジャスミン姉さん」

「そうね……生花(せいか)は減らしたわね」

ミシェルも店に来たのが久々だったのか、店の変化に驚いているようだった。


「ラメルは聞いてるかしら? ここを経営してたおばあさんから、店舗を継ぐ形で開業したの」

「ええ、シルバ兄さんから」

「当然お客さんも引き継いだんだけど。でも、店主が高齢化するってことはお客さまも高齢化していくってことだからね。お客さまが減っていくばかりで。色々試したの」

表にあった自転車がラメルの頭に浮かんだ。配達も請け負っていたのだろう。戦闘訓練が苦手で、あまり身体も強くなかったジャスミンが奔走していたのが分かる。


「じゃあ占いも……」

ミシェルが思わずそう口を挟み、すぐに"しまった"という顔をする。

いきなり本題に入ってしまう形になってしまったのを後悔したようだった。ジャスミンの表情も曇る。


「そう……そこまでもう知ってるのね。

 そうよね、こないだフードパック・ピジョンにお祝いの花籠を買っていったお客さまがいたものね」

占いはしなかったけど、と言い添えつつも、ジャスミンは苦々しい口調だった。


「あまりお客さまのことを聞き出したり、話したりするのは良くないとは思ってるんだけど……。

 あのお花、大丈夫だったのかしら?」

「大丈夫って?」

「なんだか……お客さまはお祝いしたいようだったけど……祝っていいのかしら、って思ったから」

ラメルはギクリとした。ピエールから花籠を受け取ったときの店長夫妻の表情や、店に長年出入りしている人々の不穏な感じを思い出したのだ。


「ジャスミン姉さん……やっぱり、今でも分かるの? 花から。

 もしかして、今日わたしたちが来るのも分かってた?」

「店に来るとは思わなかったわ。でも、何かありそうな気はしていたから。」

ジャスミンはあえて前者の質問には答えなかった。そして自分に淹れた紅茶を飲んで、一息ついた。


「ラメル。あなたに花占いは見せたことはなかったと思うけど……知ってるわよね、シルバやミシェルから聞いて。

 あれから私は占いを隠すようにしていたけど……嫌でも分かってしまうものなのね。お陰で腕は鈍らなかったみたい。もちろん、人に伝える分、責任は伴うようになったけど」

所々、自嘲的に笑いながらジャスミンは言った。


「見せるも何も……すごく激しいのを一度見たっきりよ。

 話しにくいかもしれないけど、そのことを聞きたくて来たの」

ジャスミンは再び、そしてミシェルもハッとした表情になった。


「本当は、一度占ってもらおうかと思った。

 でも、ジャスミン姉さんが占うのを嫌がってたのは、よく覚えてる。

 今だって、生活のためにやってるんだろうなって、分かってはいるつもり。

 だから、お母さんの花瓶が割れたときのことを教えて貰うだけでも、ダメかなって思って来たの」

お母さんの花瓶、という言葉にジャスミンの瞳が揺れたのが分かった。

しかし、ラメルは止められなかった。


「お願い、ジャスミン姉さん。

 わたしは自分の親のことを知りたいの。

 あのとき、花瓶に活けられてた花は何だったの?」


ラメルもミシェルも、静かにジャスミンの沈黙を見守った。

ジャスミンは真一文字に口を結んでいたが、しばらくして口を開いた。


「ラメル……私たちのような人にとって、自分の血筋は、時にパンドラの箱だわ。

 あなたの言う通り、私は生活のために占いをやっている……。

 はじめはどうしても花を売りたくて、ちょっと口添えする程度だったの。

 少しでも花が売れるようになったら止めるつもりだったわ。

 でも、今や口コミで広まって、止めるに止められなくなってしまった……あんなに嫌っていたのに!」

ジャスミンが自らを叱責するかのような声に、ラメルも心が痛んだ。


「ラメルの親がどんな人か、誰かも知らないわ。

 でも、分かっているのよね、あなたの親が只者じゃないってこと。

 あなたが孤児院に来た日、花瓶が割れたことを覚えているのなら、尚更だわ。

 過去は変えられないし、知ることは後戻りができない。そういうことよ」

険しい声で言うと、ジャスミンは席から立ちあがり、ショーウィンドウの花々を見つめた。

ラメルの瞳をしっかりと見つめて話してくれたのは、ほんの一瞬だった。


「ミシェルにも言ったけど。

 私は意地悪して、先生のことや、ラメルのことを言わないわけじゃない。

 これは平穏のためよ。そして、後悔しないための。

 言葉は時に災いをもたらすし、知らなくていいことは知らなくていいのよ」

「言わないって……じゃあ、ブランシュ先生がどこにいるか、知ってるってこと?」

ジャスミンは答えずしゃがみ込むと、鉢の花に優しく触れた。


「ブランシュ先生は……たぶんご無事でいらっしゃるわ。

 私たちが居場所を突き止めることこそ、先生の平穏を乱す」

まるで事務的に伝えるような口調だったが、これこそがジャスミンの力だと、ラメルは思った。


「ブランシュ先生……シルバがあんなに進学を勧めてきたのに、最後は私のことをちゃんと聞いてくれた。

 先生も、何か分かってたのかもしれないわね」

少し懐かしむかのような、穏やかさが垣間見えたかと思った。

しかし、ジャスミンは再び憂いを含んだ表情に変わった。


「でも、今は学べば良かったと思うこともあるわ。

 生業にするならってこともあるけど……。

 そもそも学んでいれば、こんな知りたくないこと、知らなくていいようにできたかもしれない。

 自分の力がコントロールできずに、花たちが言葉を引き寄せて来るなんてこと、防げたかもしれないものね」

それを聞いて、ラメルは自分の炎魔法のことを考えずにはいられなかった。

自分もまた、生まれながらの能力を持ち、コントロールが効かずに暴発させたことがあった。

さらには、それでリュファスに疑いを持たれてしまったからだ。

いつしか振り返っていたジャスミンは、そのラメルの表情に気付いたのか、棚から紅茶の壷をひとつ取り、ラメルに握らせた。


「ラメル、私は花瓶のこともあって、あなたが苦手だった。深く関わりたくないと思ったこともあるわ。

 でも、だからといって、どうにでもなれって思ってるわけじゃない。共に育った姉妹だもの。

 私との並行世界で、あなたには幸せになって欲しいと思ってる」

それが"帰ってくれ"の合図だと分かり、ラメルは思わずその小さな壷を両手で握りしめた。

中は恐らくカモミールだと香りで分かった。

客が来たのだろうか、外から呼びかける声が聞こえ、はい、ただいまとジャスミンが答える。

しかし、立ち上がらないラメルをちらりと見ると、意を決したように言った。


「もう一度言うけど、私は基本顧客情報は漏らさないわ。

 でも、あなたのために言う。

 ラメル、今日お店が臨時休業なのはさっき聞いたけど……こんなところに来てよかったの?

 あなたの勤め先の店長さんから、お花の注文があって今朝届くように手配したんだけど……。

 届け先が教会だし、白百合だったわ」

それを聞いて、ラメルはハッとした。教会で白百合、というのは誰かの死に関することだ。

ジャスミンは、ラメルの隣に座るミシェルに、せっかく来てくれたのに悪かったわねと言うと、店の外に出て行った。


「ラメル……わたし、ついて来て良かった?」

「うん、大丈夫。なんだかごめん。

 でも、ミシェルが来なかったら、こうは話がスムーズにいかなかったと思う」

「スムーズ? だったのかな……」

結局、ラメルについては何も聞き出せなかったのだ。


「ミシェル……本当はもっと話したかったんだけど」

「分かってる。店に戻るんでしょ?」

ラメルが椅子を蹴るように立ち上がり、言いかけたところで、ミシェルは手でOKサインを作る。


「わたしも今日は店からおつかい頼まれてて。それを済ませたらちょっと寄り道して帰ろうかなって。

 今日行こうと思ってたカフェ、またラメルと行きたいなー」

ミシェルも立ち上がると、店の外に向かって歩きながら言う。

その背中に申し訳なさを感じながらも、ラメルはジャスミンの言ったことに囚われてしまっていた。


店の外で接客中のジャスミンにふたりで会釈をすると、そのままミシェルと別れた。

胸騒ぎがした。心なしか、早足になる。

しかし、ジャスミンは注文は前もって受けたというから、誰かが急に亡くなったわけではないだろう。

臨時休業日だって、ひと月以上前から予定されていたのだ。

一刻も早く確かめたくて、ラメルは馬車に乗った。


 * * *


 馬車を使ったものの、ハピサンに戻る頃にはすっかり昼を過ぎてしまっていた。

店に行くべきか、街の教会に向かうべきなのか、ラメルは迷っていた。

店は住宅も併設されていて、店長夫妻も、住み込みのアデリアも店舗の上階に住んでいる。

とりあえず店に行くことにしたが、閉ざされた入り口の前に、意外な人物がいた。


「あ! おーい!」

ラメルに気が付き、手を上げたのはなんと、カミーユ・ドミニクであった。

フードパックを買いに来ると言っていたが、よりによってこんなタイミングで来るとは、ラメルは驚きを隠せなかった。


「なんだよォ、久々に来たら今日は臨時休業なんて、ついてねェ」

「本当に、来たんだ」

「いや、何度か来たぜ。お前とは会わなかっただけで……あれ、聞いてねぇの?」

どうも、ラメルがカウンターから外れているタイミングで何度か来ていたらしい。

しかし、カミーユの顔を知っているのはアデリアとラメルだけだ。

アデリアも、知っててもあえて言わなかったのかもしれない、とラメルは思った。


「ってか、休みなのになんで店にいんだよ」

「それは……わたし、この街に住んでるし、ちょっと気になることがあって」

「あら、あなた」

カミーユに事情を話すと長くなる、と戸惑っていると、背後から女性に声を掛けられた。

振り向くと、常連のマダムであった。

そう、ピエールの開店10周年の花籠を、訝しげに見ていた婦人である。

ラメルは挨拶をするが、婦人の表情は微妙なものだった。てっきりカミーユと同じく、臨時休業を残念がっているのかと思いきや、意外な言葉が語られた。


「あなた……ご夫妻についててあげなさいね、今日ばかりは」

「え?」

悲哀のような、同情するような顔をするマダムに、ラメルは戸惑ってしまった。

そのラメルを見て、マダムはひとりで頷いた。


「そうよね、10年前に起きたことなんて、最近来た若い人には分からないわよね。

 それに……あなた、その様子だと何も知らされずに雇われたのね、ブラウン夫妻に」

この先は私の口から言えないわとでも言うように、マダムは通りの向こうを指差した。


「このメインストリートを、あの角を曲がって真っすぐ歩いて行ったところ。

 その教会に、ご夫妻とアデリアちゃんがいるわ」

ラメルは思わず、アデリアさんも? と訊きかけてやめた。


「行ってあげて、早く」

促されるまま、ラメルは教会に向かった。

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