006話 芋野郎
ソフィリアが住む町からセラスまでは馬車を使用すれば半日とかからない。道中で魔物に出会い足止めをされたり、ならず者達が道を憚ったならば話は別だ。だから別の話をしようじゃないか。
ソフィリアを乗せた馬車は芋に追われているのであった。
ソフィリア自身がこの世界に来た時になら芋に追われているなんて抜かした暁には病院に行かないといけない程自分が疲れているのではと懸念してしまうだろう。
だが実際にソフィリア達は芋に追われているのだ。
「ももも、もっとスピードは出せないのかね!」
「これ以上は無理です!」
ボイルド教授が御者に声をかけるも帰って来る言葉は予想通りの言葉だった。御者もソフィリア達と同じように危機感を覚え、今自分ができる全力を投入しているはずだ。
「教授、これ以上スピードを出せば馬車が転倒するかもしれません。御者さんに余計な緊張を与えるのは止めましょう」
「ぐ、ぬぅ。しかし、一体どうすれば」
ボイルド教授は唸りながら呟いた。御者は文字通りソフィリア達の命綱を握っているのだ。圧をかけるのは止めてもらいたい。
そもそもこうなった原因はボイルド教授にあるのだ。
数十分前。ソフィリア達は町を出て街道沿いを何事もなく走っていた。シリルなぞ、ソフィリアファンクラブ公認、ソフィリアの歌なるものを陽気に鼻歌で歌っている。
ソフィリアはルヴァンニ伯爵の名前を出してから妙にそわそわと落ち着かないボイルド教授を観察していた。
「教授」
そっと声をかけるもボイルド教授の反応は無かった。
「教授」
「なっ何かねソフィリア君!?」
今度はもう少しだけ声を大きくして呼びかけるとボイルド教授は体を跳ね上がらせて返答した。
「一体どうしたのですか?」
「な、何がかね?」
「いえ、ルヴァンニ伯爵の名をお出ししてから何か焦っておられる様子なので」
「そ、そうかね?」
ソフィリアはじーっと穴が空く程にボイルド教授を見つめる。その視線に耐えれなかったのかボイルド教授は額に浮かんだ汗をハンカチで拭いた後に口を開いた。
「じ、実はね。ルヴァンニ伯爵は私が今研究している実験の資産を提供して頂いていてね。その、なんだ、自分勝手な理由ではあるのだけど、その実験の為に伯爵のご機嫌を損ねるのは嫌なのだよ」
ルヴァンニ伯爵がボイルド教授のスポンサーね。頼んだか、頼み込んだか、どちらにせよルヴァンニ伯爵はその実験に興味があるから金を落としているのだ。その金を無下には出来ないし、実験を始めて途中で放棄するなんて、この教授には出来なそうだ。
ソフィリアがルヴァンニ伯爵に直接断りを入れる理由が自分と関係していて、機嫌を損ねたルヴァンニ伯爵が実験費用を出さなくなるかもしれないとの事を危惧しているのだ。
「では、私が断りを入れる事には反対と言う訳ですか?」
「いや、それに関しては当たり前だがソフィリア君の意志を尊重するよ。ただ、私との関係性を、今行っている実験が終わるまでは公けにしないでほしいのだよ」
遅かれ早かれソフィリアの行動は噂で広まるからルヴァンニ伯爵の耳にも入ると思うのだが、まぁこのボイルド教授の事だし、気にしてもしょうがない。ボイルド教授の言う通りに気を遣ってあげよう。
「解りました。ですが、何故、急ぐ必要があるのですか?」
「おっ?主席のソフィたんでも知らない事はあるのね」
今まで窓の外を眺めていたシリルが会話に入って来た。
「私にだってまだ知らない事はありますから、それでどんな理由があるんですか?」
「芋と大根が抗争してるのよ」
「あぁ、成程、そうですか」
シリルの回答に頷く。言葉にすると戯言のようだが、本当に理解しているのだ。この言葉を理解できる程にこの世界に馴染んでしまったようだ。
この世界の野菜は魔力を帯びすぎると意識を持ったように動き出すのだ。ここでシリルが言った芋と大根にはそれぞれ脚が生えており、お互いいがみ合っているのか群れを成して抗争しているのだ。その喧嘩に勝利した芋か大根はとっても旨味が含まれていて美味しいと訊く。
その芋と大根の抗争に巻き込まれない為にもボイルド教授は急げと指示したのだ。
「この街道は、ほら、あんな風に看板が立ってる」
シリルが指す看板を窓から見ると、芋と大根出没注意と、絵と共に注意書きが書かれていた。その看板を通り過ぎて行き、看板は視界外へと消えていく。
「その抗争に巻き込まれない為、急いでいるんですね」
「そうそう、あいつらの抗争に巻き込まれたら酷い目に合うのよね」
どこか遠い目をして語るシリルは抗争に巻き込まれた事があるのだろうか?
「おぉ、そうだ」
ボイルド教授は何かを思い出したように言ってから自前の鞄の中を探って革袋を取り出した。そしてその中に手を突っ込んで一つの芋を取り出した。
芋はジャガイモでゴツゴツとしており、品種的には男爵芋だと見て解った。先程の芋と大根抗争で生き残った芋が男爵芋と言われて、市場では高級品として取り扱われている代物だ。
「おっ!教授、それ男爵芋じゃないですか~」
「そうなのだよ、宿屋の女将さんがお土産と持たしてくれてね、既に調理済みだ。ほら、シリル君どうぞ」
「ありがとうございます、教授~。あーお酒があれば肴にしていたのになぁ。ま、いっか、いっただっきまーす」
「はは、護衛任務中に飲酒発言とはね。ほら、ソフィリア君も。・・・ソフィリア君?」
ソフィリアに男爵芋を手渡そうとしているが、ソフィリアの視線はボイルド教授が持つ革袋の淵を捉えていた。
「教授、それ、全部調理済みなのでしょうか?」
「うん?女将さんはジャガバター仕立てにしてくれたようだが、ジャガバターは嫌いだったかね?」
「いえ、ジャガバターは好きですが、その革袋の淵にある芽は一体なんでしょうか?」
ソフィリアが指さした部分には男爵芋の脚が引っかかっていた。芋の脚は現代世界で言う芽だ。脚には毒があり、食べる時には切り取らないと中毒症状が出るのだ。調理する事が多かったソフィリアは注意してジャガイモの暴れる芽を切っていたのを思い出す。
革袋から出ている脚がピクリと動いた。まさか、調理工程前の男爵芋が紛れ込んでいたのか!?
「い、いかん!直ぐに脚を切り落とさなければ!シリル君!」
ボイルド教授が大慌てでシリルに調理を頼むと、その間に男爵芋が革袋から這い出てボイルド教授の膝の上に立った。なぜかソフィリアの方を向いて、見つめ合う形になってしまった。
「うまうま」
「シリル君!」
「はいはい教授美味しくいただいていますよ?ってうわお!生きてる男爵芋!」
隣で呑気に男爵芋を食しているシリルの肩を揺さぶるとようやくシリルも男爵芋が動いている事に気づいた。しかし事は遅く、シリルが短剣を抜いて脚を切ろうとした時には男爵芋は窓から落ちて、街道へと転げ落ちて地面と保護色になって視界から消えてしまった。
「はわわわ、教授!これってマズイんじゃないんですか!?」
「わ、私は悪くはないぞ!まさか芽のある男爵芋が中にあるなんて思わなかったのだからな!」
お互いあたふたとしている二人をソフィリアは傍観しているだけだった。それよりも、もっと急を要して、一大事になりうるものを受け取っていたからだ。
「ソフィたん、その手に持っているのは・・・」
「先程の男爵芋から貰いました。たしか、これって」
ソフィリアが手に持つのは男爵芋の雄蕊たるもの。窓から逃げる落ちる前にソフィリアの膝に飛び乗ってすかさず、これを置いて行ったのだ。ソフィリアも捕まえようとはしたのだが、軽い身のこなしと、まさか野菜からの求婚で思考回路がショートしてしまったのだ。
「いかん!御者君!抜け道はあるかね!急いでくれたまえ!」
「はい?どうしたんですか?」
「男爵芋が野に落ちて、ソフィリア君が雄蕊を貰ったのだよ!」
ボイルド教授の言葉を聞いて御者の顔が青ざめていく。事の重大さを飲んでくれたようだった。
男爵芋が野に帰ると言う事は、ただ只管に大根と戦っていた狂戦士ジャガイモ達の元に歴戦の勇者が統率者となって帰ると言う事だ。それだけで大根側の敗北は目に見えて、更には家畜被害や、町や村の作物までにも被害が及ぶ場合もあるのだ。
そして雄蕊を渡すと言う事は求婚の合図なのだ。雄蕊を渡した相手には直ぐにでも家族全員を連れてやってくる。で、否が応でも受粉するのだ。受け取った当人はどうでもいいのだ。だって野菜だし。
つまり、最強の男爵芋が群れを成してソフィリアに受粉しにくると言う事だ。
あぁ、家族の数を言うのを忘れていた。大凡、千体程と言われている。それが群れを成して追って来る。
「わわわわ、わたしのソフィたんが汚される!どこのかしこも知らぬ芋野郎に汚される!」
「その言い方止めてください!」
「私のせいではないよな。うん、私のせいではない」
「全速前進!」
それぞれの人間が慌てふためく中、それらは轟音と共に訪れた。
全員が音のする方を振り返ると、まるで海の波のように芋達が土煙を上げて馬車を追って来ていた。
どこかで同じような光景を見た気がする。あぁ、あれだ、ゾンビ映画だ。無機質な物体が一つの意志を持って波のように襲い掛かって来るのは、現代世界でみたゾンビ映画に似ている恐怖があった。
「うわあああああ!お終いだああああああ!」
ボイルド教授が誰よりも早く絶望的な光景を見て叫んでしまった。まぁあれに飲まれたらと考えると自分の生命の危機を感じるのは解るが、十二歳の童女よりも先にそれを言ってしまうのはどうかと思う。
「させない!ソフィたんの貞操はわたしが守ってみせる!」
そう言ってシリルは窓から器用に出て、荷車の屋根の上に乗った。
「シリル、危険ですよ!」
窓から顔を出して屋根の上にいるシリルに向けて注意する。
「心配しないでソフィたん、わたしはこういう時の為にいるんだから。それに、わたしって人類最強って言われているから芋如きに遅れを取るわけないじゃない?」
「相手の数が違いますよ!危険ですってば!」
「はっはーん、ソフィたん、まだわたしの力を信用していないね。みせて進ぜようベルモンド家の力を!」
ベルモンド家が人類最強と言われているのも知っているし、シリルが人並み外れた力を持っている事も知っている。だけどあの自然災害を一人の人間がどうにかできるとは到底思えないのがソフィリアの見解だった。
シリルはソフィリアの注意も聴く耳持たずに腰に携えていた剣を抜いて体の中心線と同じようになるように縦に構えた。
「剣聖たる我が身を依り代に宿れ。ミスティルテイン!」
「なっ!」
ソフィリアの口があんぐりと開いた。それもそのはず、シリルが言ったミスティルテインは現代世界でも北欧神話でてくる代物だからだ。別に何もない所からシリルがミスティルテインを出したことに驚いたわけではない。
ミスティルテインの見た目は木で作られた槍だった。伝承ではヤドリギだったり剣だったりと諸説あったはずだが。まぁそれは置いておいて、シリルはミスティルテインを槍投げ選手のように投擲ポーズに入った。
荷車の屋根から落ちないように脚に力が入って筋肉が膨張している。投擲モーションに入ったシリルの右腕の筋肉も漫画のように膨らんで、そのミスティルテインを芋の波に向かって投擲した。
投擲した後に、豪!と遅れて突風のような風がソフィリアを襲った。ソフィリアは腕で目を覆いながら、投擲したミスティルテインを目で追う。
風を切り、空を切り、そして大地と芋に穿ったミスティルテインは巨大なヤドリギとなって芋達の波を止めた。
「と、止まった?芋達をやっつけた?」
自分でも無意識にソフィリアは口にしていた。
「いんや、ミスティルテインは足止めになるだけの武器。命を奪う武器じゃないのよ」
シリルは中へと戻って来て、大きく息を吐いて腰を落とした。
「な、なぜ芋達を足止めしたのかね!」
「わたしが本気出せば、街道なんてぶっ壊れますよ?舗装代、教授出せますか?」
「だ、出せないな」
「てことで、効力を失ったら消えるミスティルテインを使った訳ですよ。まぁ、あれから逃れるすべは男爵芋には無いんで心配ないですよ。うぅ~どっと疲れた、ソフィたん膝枕してぇ」
「何を呑気な事をっ!?」
「うわお」
「おわあっ!」
三者三様でそれぞれの驚き方をする。地面が大きく揺れたのだ、一瞬地震かと思ったが少し違うようだ。
「うわ~、嘘でしょ~」
背後でミスティルテインのヤドリギが芋達に押しつぶされていた。あの芋達はざっと数えても千ではなく、四千はあった。
芋って大家族なのだな。