005話 出立
シリルが修道院に馴染むのは早かった。持ち前の美貌の柔和な笑顔で子供達に輪に入って、器量の良い動きで、シスターやサラーサの補助して回った。正確にはソフィリアの手間を肩代わりにしてくれた。
ソフィリアは兄弟姉妹全員と話ながら旅立ちの前の晩御飯を食べた。シリルは空気を読んでか口は一切挟んでこなかった。
全員を寝かしつけて、今まで良くしてもらったサラーサとも話し終えて、ほっと一息をつくためにホットココアを入れて、孤児院の裏にある塔を上り、最上階の屋上へとやってくる。この塔の最上階は天文台があり、本来の塔の目的はこのためだ。
この場所は皆が寝静まった後にソフィリアがご用達としている静かで心落ち着く場所だ。顔を上げると空気が澄んで綺麗なおかげで夜空には星々が煌き、数光年先から放った光を捉えることが出来た。
どの世界でも夜空は美しいものだ。
「綺麗な場所だね」
自然と一体になっていると声がしたので慌てて振り返ると、既に隣にシリルが座っていた。音もなく気配もなく近づいていたので、心臓が飛び跳ねた。
「私の大好きな場所です」
月が真上に来るタイミングが大好きで溜まらなかった。日中は仕事をして、全ての働きが終わったらこうして夜空を見上げて休憩し、体が冷え切る前にベッドへと潜り、寝るのがとても心地よかった。
しかしそれも今日で最後だ。
シリルを横目で見るとソフィリアと同じように夜空に輝く星々を見ていた。
「ソフィたんはモテモテだよね」
飲んでいるホットココアを咽そうになった。
「まぁ自覚はしていますね。シリルも男性には好意を寄せられるでしょう?」
「そうだねー、ソフィたんのように全部断っているけどね。だってわたし、ソフィたん一筋だし」
「あ、はい」
この場にいるのが二人だと言うのを再度認識させられ、警戒するには越したことなかった。
「ソフィたん。神様探しはいいけど、求婚相手の人達はどうするの?」
「手紙で断りを入れたいのですけど、中には私の召喚を求めている方もいて、会いに行かなければならないんですよね」
それがまた困った事なのだ。今日から神探しの旅に出るのなら、求婚してきている人達に手紙を書いている時間は無いのだ。旅先で手紙を書くのも出来るが、恐らく手が回らないとみた。
因みに召喚を申し出ているのは位がとても高い人物ばかりで、召喚に応じないと修道院が閉鎖なんて事態もある可能性がある。まぁそう言った傲慢な輩が中にはいるかもしれないと言う話だが。無いとは言い切れない。
「確か、ここから一番近い召喚を命じた人はダリル・ホティヌ・ルヴァンニ伯爵だったよね?」
「どうして知っているんですか?」
「いやー、親衛隊の情報網は伊達じゃないってことよ」
親衛隊はソフィリアのストーカーか何かなのかだろうか。
「都に行くついでにさ、その人たちに直接会って断れば?なんなら神様探しのついでに街を回って全員断ればいいじゃん。どう、どう?名案じゃない?」
「確かに名案ではありますね」
「うわっはーい。ソフィたんに褒められた、千切られた!」
隣で喜んでいるシリルは放っておいて、先程一人になった時に実行した結果と案を実行した場合の結果を考える。
実はさっき神方位魔石を使ってみたのだ。使うだけで一日の疲れがどっと体に現れてしまう代物だった。神方位魔石が示した場所はダリル・ホティヌ・ルヴァンニ伯爵が住まう、セラスの町の方角を指していた。
なのでシリルの案に乗っかってみるのもありなのだ。
因みにソフィリアがホットココアを飲んでいる理由は疲れた頭を癒すためでもある。
ホットココアを飲み干してソフィリアは夜空にさよならを告げ、立ち上がる。
「お?ソフィたん?」
「眠くなってきたので寝ます。おやすみなさい」
「あ、あれ?わたしとお風呂は?ソフィたん?置いてかないで!ソフィーたーん!」
何やら戯言が聞こえるが無視を決め込んでソフィリアは明日に備えるために塔を降りて、自室の布団へと潜った。
そして翌朝を迎えた。
いつも通りの時間に起床して、この六年着用していた学生服を着て、昨日の時点で支度していた大きめの手提げかばんを持って、綺麗に片づけた自室を出る。
「おっはよーソフィたん」
扉の隣の壁に背をもたれさせてシリルが腕を組みながら待っていた。嫌な顔をしようかと思ったが迎えに来てくれた相手にそんな対応もどうかと思い、朝一で作り笑顔を向ける。
「おはようございます、シリル」
「おっほー、ソフィたんの制服姿だ!わたしの趣味趣向を捉えているね!うんうん!」
前言撤回で嫌な顔をしてやる。この制服には思い入れがあるのだ。シスターが六年間使えると見越して丈がぶかぶかな制服を購入し、その丈を調整するために夜な夜な裁縫作業をしてくれた事。月日が経つごとに大きくなる体に合わせて、また夜な夜な裁縫作業をしてくれたのも知っている。
六年間着用できるように見こされているので、まだ着れる制服を置いて捨てる訳にもいかない。お洒落な私服も持っていない、全てはサラーサのお古を着ているだけだ。自分の服と言えるのはこの制服しかないのだ。
「おぉースカートの下にはスパッツを履いているのか、ふむふむ。これまた刺激がお強い」
屈んでソフィリアのスカートの中を見ているシリルに対してスカートを抑えてキッときつい眼つきを送ってやる。これは昔の性別の習わしのようなものだ、太ももまで何か履き物が無いと落ち着かないから履いているだけだ。決してシリルを喜ばせる為ではない。
「そんな怖い眼やーだー、パンツ見ようとしただけじゃーん。ファンなら見たくなる絶対領域じゃーん」
「ファンならファンらしく、崇拝だけに留めておいてください」
その欲求を抑えられなくなったら、それはファンではなくただの犯罪者だ。
まぁ下着を見られるくらいは別に羞恥心は無いのだが、こういった自身の欲求だけを満たす輩に見られるのだけは我慢ならない。
シリルを放っておいて修道院の玄関まで降りると兄弟姉妹たちがシスターと共に馬車の前で花束を持って待っていた。
サラーサが最初に耐え切れずにソフィリアに抱きついて来た。それを境に年下の子達も周りに寄って来る。兄、二人は笑って見送ってくれた。
子供達から花束を受け取りたかったが手荷物になるので、一輪だけ貰って制服の胸ポケットに指した。淡く白い、百合の花だった。
兄弟姉妹との別れを済ませてソフィリアは最後にシスターに強く抱きしめられた。別に今生の別れでも無かろうに、皆、大げさすぎるのだ。
「ソフィリア君、もう、いいのかね?」
これで全員との別れを済ませたのでボイルド教授が訊ねてくる。
「はい」
「では、出発しようかね」
「その件ですがボイルド教授」
ボイルド教授が馬車へと足をかけた時にソフィリアは声をかけた。
「都に行く前にセラスに寄ってもよろしいでしょうか?」
「セラスへ?またどうして」
「セラスにはルヴァンニ伯爵がおられます。私はルヴァンニ伯爵から婚約届けを頂いておりまして、それをお会いしてお断りするためにセラスに寄りたいんです」
「ルヴァンニ伯爵からだって!?そ、それは一大事だ!セラスへ向かうとしよう!」
何をそこまで焦っているのかは知らないがボイルド教授は馬車へと乗り込んでしまった。ソフィリアは再度皆に手を振ると、皆が大きく手を振ってくれた。
かくしてソフィリア・バーミリオンが生まれた理由を探す旅が始まったのだった。