001話 私の名前は
私に何の説明も無しに六年が経過した。本格的に物事を考えられる頭が出来上がったのは一歳程度からだったが、それでまでに私が置かれている状況と立場は理解できた。
どうやら私は私がいた世界とは異なる世界。つまるところ異世界へと転生したようだ。私が私の姿ではないと言うのが、転生した。もしくは精神だけこの娘に乗り移ったと言えるだろう。
その二つの答えはいずれ見つけるとして、問題が幾つかあった。まず、私は前の性別と違う性別になってしまった。心は男、体は女。そう言った人たちも元いた世界にはいるが、これはそれとはまた違うものだと私は思う。
性別に関してはまだ支障はないが、いずれ直面するだろう。
次に言語の違い。私が元いた世界。現代世界と呼ぼう。現代世界で使っていた言葉とは全くと言って違う言語が精通していた。最初は早口言葉を聞いているようだったけど、子供の頭は柔らかいのか次第に慣れていった。
私をあやしていたのは修道院のシスターだった。
シスターが読み聞かせや赤ちゃんに対しての呼びかけをしてくれるおかげで言語の知識は日常会話をするには十分に培った。私は一歳半から舌ったらずながらも話し始め、シスターの腰を抜かさせた。
その後読み書きを覚え、初めて自分の名前の書き方を知った。新たな世界で付けれた私の名前はソフィリア・バーミリオン。父と母はいない。生まれてすぐに捨てられたようだ。修道院の孤児であり、今日も修道院の手伝いをしながら日々を謳歌している。
この名前はシスターが名付けてくれたようで、愛称はソフィ。修道院の孤児は私、ソフィリアだけではなく、ソフィリアよりも上の年齢の人物が三人、下の人物が四人。ソフィリアを合わせて計八人の孤児がいる。いつの世もこういった孤児は修道院に集まるのが世の常なのか。
毎朝日が出ると同時に目を覚まして、下の子達、全員を起こすのがソフィリアの一日の始まり。下の子達の手をって、歯を磨いてやり、顔を洗ってやり、着替えさせてやり、ぐずる子達はあやしてやり、やっとの事で朝食が並ぶ食卓へと連れていくのだ。
ソフィリアが食卓へと連れて行くと上の子供達の面倒を見ているソフィリアよりもお姉さんのサラーサがだらしない男の子を連れて現れる。子供だが彼女が大人並に一番しっかりしているとソフィリアは思うのだ。
全員が食卓に揃って座ると全員が手を合わせる。
「手に宿られます神々に感謝を、いただきます」
これがこの世界の食前感謝らしい。どうやらこの世界は手に信仰を当てているようだ。何故かと言うと、手から魔法と言う非科学的なものを放つことが出来るからである。その魔法は昔、神から授かったものだと文献や先人の言葉で伝わってきている為に、賜り物を崇めるために手を信仰している。
魔法と言う現代世界の日常会話ではフィクション作品の話でしか耳にしない言葉が、常日頃飛び交っているのは何とも不思議である。
魔法には六種類の属性があるようだ。これはどうやら現代世界と同じように地水火風があり、そこに陰と陽が加わる。魔法は生活にも応用が利き、とても便利なものだ。しかし利便性があるものには必ずと言って不便な面もある。それは過度に使うと魔法の素となる魔力が失われて体に害を及ばすと言ったもの。つまりはエネルギー切れだ。はしゃいで使い、倒れてしまった年上の男子をソフィリアは反面教師にしている。
人間には生まれついて一つの核となる属性が備わっていて、その属性は一生ついて回る個性だ。六歳になるとその核となる属性を判別をする為にエリシュオン協会と言う謎の組織の協会員がやってくる。
ソフィリアは六年間でこの修道院にある本をという本を読みつくした。買い出しに街に降りてはシスターに御駄賃として本を買って貰う事もしばしばあったが、修道院の経営が乏しい事はソフィリアは知っていたので断る事が多かった。
六年という時間はいとも早く過ぎ去ってしまった。この六年で判ったことは、私は元の私へと戻る事はできないと言う事だ。
それならばと、私は割り切る事にした。第二の人生だと思って私はこのソフィリア・バーミリオンの体で新たな人生を謳歌しようと思うのだ。生まれた環境は薄遇だが、周りの環境は優遇されている。実を言うと都会の喧騒に飽き飽きしていて、田舎暮らしがしてみたかったのだ。なので丁度いいと割り切った。その方が気が楽だ。
と、私がどうして色々と説明したのかと言うと今日がその属性を判別する、運命の日だと言う事だからだ。
属性判別はこの世界の人々の一大行事で自分の運命が変わる行事でもあると言い伝えられているらしい。一説によれば勇者誕生。一節によれば神の御子の誕生。一説によれば悪魔の誕生らしい。諸説がありすぎて覚えきれてはいない。
まぁ現代世界で凡愚の私には何ら関係のない事だろう。
判別検査は修道院の裏手にある石で出来た塔でやるのが常習となっていた。
「ソフィ、大丈夫だよ、怖くないよ」
サラーサが安心させる為に声をかけてくれた。自分が判別検査で怖い思いをしたからソフィリアにはそうはさせないようにしようと言う気持ちが伝わってくる。まぁ年端もいかない子供にあれを見せつけるのはどうかと思う。
塔の中に入ると石畳の廊下を歩いてこれまた石だらけの部屋に案内された。
その中にある検査機と言えばいいのだろうか、まるで処刑用の電気椅子を改造した椅子が石造りの部屋に何やら怪しい機械に繋がれて置かれていた。私の事が心配だからと付いて来ていた年下の子達もあれを見て泣いてしまい、シスターに連れられてこの部屋から去ってしまった。
残されたのは二人の協会員とサラーサとソフィリアだけだ。
「サラーサ、私は大丈夫だから、皆の所に行ってあげて」
無理して笑ってる様子もなく言うとサラーサは少しだけ困った顔をした。普通、あんな椅子を見たら泣き喚くに決まっている。あそこに自分が座ると想像しただけで身震いするに決まっている。そんな様子を見せないソフィリアを不思議に思っている表情に思えた。
「無理しないでね。何かあったら大声で呼んでね!約束だよ!」
ソフィリアよりも少しだけ大きい小指が差し伸べられる。
「分かった」
ソフィリアも小さな小指を出して指切りをする。
サラーサは何度も振り返ってから下の子達を安心させる為に部屋を後にした。
実を言うと初めてあの椅子を見たときはエリシュオン協会の常識を疑った。子供にあんな椅子に座らせるエリシュオン協会とは何なのか。簡潔に言ってしまうとこの世界を管理している協会だと言えばいいだろうか。まぁ後々解る。
「そこにかけてくれるかな?」
協会員の眼鏡親父がニコニコと笑顔でソフィリアに声をかけてくる。見た目は前世の私と同じくらいの年齢だろうか、そう思うとどこか犯罪的だな。
眼鏡親父は子供が背中に手を当てれば安心すると判っているのか背中をソッと触ろうとしてくる。その前にソフィリアは足を前へと踏み出す。
「ここれでいいですか?」
そして指定されてた椅子へと座った。少し高さがあったために飛び乗って座る形になったのが少しだけ惨めであった。その様子を協会員の眼鏡親父は目を見開いて見ていた。
ソフィリアの言葉を聞いて眼鏡親父はハッと我を取り戻して笑顔を作る。
「そうだよ。偉いねぇ。すぐ終わるからねぇ」
と気色の悪い猫なで声で言ってから横に置かれていた怪しい機械と繋がれたヘルメットをソフィリアに被せて、怪しい機械を操作しているもう一人の中年協会員へと合図を送った。
ゴウンゴウンと古い洗濯機が鳴っているかのような音が機械から鳴り始める。どうやらこの機械で体の中にある魔力を読み取っているようだ。機械に繋がれたチューブが六色に光り輝いている。
今にも壊れそうな音に少しだけ臆しながらも待つ事数分、結果が出たようだった。
協会員達が何やら小声で話している。「これは本当か?」とか「初めて見た」とかの心配になる言葉が耳に入ってくる。
話し終えたのか眼鏡親父の協会員が前へとやってくる。
「もうちょっとかかるけど、我慢してね」
「はい、わかりました」
どうせ拒否権はないのできびきびと返すと、眼鏡親父は笑顔を返した。
再び心配になる音が鳴り始める。ソフィリアは早く終わってくれと願い、一点だけを見つめて時間を持て余している事にした。
再度機械から音が鳴り止んでも協会員達の表情が晴れることは無かった。
この世界の事に関して知識不足であるソフィリアは、自分よりも知識のあるはずであろう協会員が狼狽える様を見て焦りを覚えていた。なまじ知識があるおかげで自分は何か病気なのじゃないかと、不安が頭の中に過るのだ。
ふと、ソフィリアはチューブを見やると、それぞれのチューブが六色に輝いて点滅していた。今は無きネオン街を彷彿とさせるような鮮やかさだったが、その様子に可愛らしく小首を捻る。
六色に輝いているのは検査中と同じ状態だからだ。協会員達の姿を見るとこれが異常な事だと判る。正常な結果後の状態を知らないから何とも言えないが、人の体内にある属性は一つと言う事を踏まえて考えると、恐らくはこのチューブが一色だけに光るのではなかろうか。それが色鮮やかに六色と輝いていると。
うん?それはつまり六属性の核があると言う事か?
嘘だろう?常人ではあり得ない事ではないか。凡人にはそぐわないぞ!
「き、君!名はなんと言うのかね!」
眼鏡親父が豹変してソフィリアの肩を掴んで訊いてきた。興奮しているのか掴んでいる手が肩の肉に食い込んで痛い。
「ソフィリア・バーミリオンです。あのいた」
「ソフィリア君!君は選ばれし人間だ!」
「は、はぁ」
今度は目を輝かせて手を握られる。ソフィリアとの温度差の違いをも気にせずに眼鏡親父は続ける。
「ソフィリア君が体に宿している魔法の核は六つあるのだ!シスターや周りの子達は一つなのだが、ソフィリア君は六つある!なに、気に病む事じゃないんだ、恐れる事でもない!誇るべき事だ!ソフィリア君は神に選ばれた人間だと言えよう!」
このおっさんんは何を一人で興奮して六歳児に語っているのだ。案件だ、事案だ。警察がいるならば今すぐにでもこの不審者を捕まえるべきだ。
「あぁ・・・この神に愛された手を、私のような人間が握っていていいのだろうか。少しでも恩恵を得られると言うのならば握っていたい!」
ソフィリアの玉藻のような肌をした手を頬へと持ってゆき、頬擦りをしようとしたので慌てて変質者の手から逃れる。
「あぁ、済まない。ソフィリア君の手は叡智の象徴だったね」
そういう事ではないのだと言ってやりたいが、この手の人間は真面に取り合っても変化球のような言葉を返してくるのだろうと経験が語っていた。
「私は全属性の魔法が使えるんですか?」
「あぁ使えるとも!人間は多少なりとも他の属性魔法が使えるが、ソフィリア君に至っては全属性を満遍なく使えると言ってもいいだろう!これは世界で滅多に見ない事象なのだよ!そこに立ち会えた私はなんと光栄なのだろうか!神様!ありがとうございます!」
とりあえずの質問には答えてくれたが、耳を塞ぎたくなるくらい騒然としていて、遂には目の前で神に祈り出す始末。ソフィリアはとても冷ややかな目でこの変質者を見ていると、騒がしさを聞きつけてシスターが部屋へと帰って来た。
「どうしたのですか?」
六歳の幼女の前で神に祈りを捧げている変質者に声をかけると、変質者は素早く祈りを止めてシスターに向き直った。
「おぉ!シスター!神の御子がここに誕生しましたぞ!」
「はぁ・・・?はい?」
聞いた言葉を頭で理解しようとしたが理解できずにシスターの表情は困惑する。
「少しお話があるのですが、よろしいですかな?」
と言って協会員達は修道女を連れて部屋から出て行ってしまった。残されたソフィリアは椅子の上に立ち上がり、チューブの付いたヘルメットを脱いでから椅子の上に置いて、まだ脚の付かない椅子から飛んで降りた。
履物が薄いので石の冷たさを感じながら、人の気配がある方へと移動する。
塔の裏手で何やら話し声が聞こえる。部屋から出て行った協会員とシスターが話しているようだ。と言ってもあの変質者の一方的な言葉しか聞こえてこない。もう少しだけ近づいてみようか。
「ですので、神の御子であるソフィリア君には都へとお越し頂きたく」
声は興奮しながらも変質者が確かにそう言ったのだ。
私が都へと行く?
「都に住めば学校への入学も出来ます」
学校へ入って勉学に励む?
「大魔法使いの称号だって目じゃありませんよ!飛躍し過ぎとお思いですか?現実に実現することが可能なのですよ!」
名誉ある称号を貰って堅苦しい人間と付き合って暮らしてゆく?
「それにシスター、貴女の負担も減りますよ」
極めつけはその言葉であった。自分で言うのも何だが、ソフィリアは温厚な性格だ。争い事は嫌い、出来るだけ言葉で平和的に解決しようと努める。しかしこの変質者の人道無き無責任で押しつけがましい言葉に堪忍袋の緒が切れた。
「私は嫌です」
語気を強めて言ってやった。突然その場に現れたソフィリアに驚いたのはシスターと変質者ではない協会員だった。当の協会員は私の発言に困惑している様子だった。その証拠に。
「何ぜですか?ソフィリア君にとってもとてもいい結果になりますよ。私が保証します」
「そうですね。貴方にとってはいい結果になるかもしれないですね」
「そうでしょう?」
おいおい、どうしてそこで満面の笑みが出てくるのだ?こちらは否定しているのだが・・・。やはりハッキリと言わないと解らない人間らしい。
「私は行きません。この修道院に残り、家族と暮らします」
「はあっ!?」
ソフィリアの言葉が人外言語に聞こえたような反応に小さな体がビクリと反応する。
「あの、本人の意思は最も尊重されるべきだと」
「だまらっしゃい!」
シスターが諭そうとすると変質者は奇声を上げた。ははは、壊れる所まで壊れたか。渦中にいるから笑えないがな。
「ソフィリア君、大人には大人のやり方って言うのがあるのだよ!」
む、何だ、この変質者、力任せで私を拉致しようって魂胆に切り替えたか?確かにその方が効率はいいが家族を守ろうとする人情に篤いシスターの抵抗力は強いし、その間に逃げる自信はある。
変質者は手をわきわきと動かしてソフィリアを指さして宣言した。
「私は君に、公式じゃんけんを挑む」