010話 明晰夢
セラス。そこはこの世界の百万都市の一つである。近くで取れる男爵芋と大根が名産で、下町の屋台から高級旅館の土産屋までに並ぶ始末だ。交通量も多く、いろんな積荷を乗せた馬車が行き来している。
そんなセラスをほぼほぼ牛耳っているのがソフィリアに縁談を持ち込んで来た相手、ルヴァンニ・ラ・ドノバン伯爵候。ルヴァンニ伯爵がどういった人物なのか、どういった外見をしているかは余り知らないのだ。ただ、風の噂で聞いたのは子供好き。それは解りきっていた。
ルヴァンニ邸へとは直接向かわずに、まずは自分達が止まる宿へと馬車を向かわせる。今日はもう皆一同疲れが顔に出始めている。特にボイルド教授など老けて見える。こんな顔では人と会うのも躊躇われる。
「ふいー着いた~」
セラスの中心街にあるそこそこ値段が高い宿へと辿り着くと早々にシリルが馬車から降りて丸くなった体をうんと伸ばした。ソフィリアも自分の荷物を両手で持って足元に気を付けて馬車から降りた。その後からアルトレウスが付いて降りて来た。
シリルのように腕を上げて伸ばす事は荷物を持っているから出来ないので、爪先立ちをして脚を伸ばしておく。隣ではアルトレウスが前脚を前に突き出して伸びをしていた。
「ふぅ。私も歳かな、腰がおいちちち」
御者へと賃金を支払い終えてボイルド教授も自らの腰を叩きつつ下車した。
「さぁ行こうか。アルトレウス君はソフィリア君の荷物の中へ」
「了解でござる!」
ペット禁止やらペット料金やらを取られるのでアルトレウスはソフィリアの荷物で人形にでもなってもらうとの事。
「部屋を三つ用意できるかな?」
ソフィリアがシリルと相部屋を断固拒否したので部屋を三つ取る事になった。ボイルド教授もシリルも三つも部屋が空いている訳がないと言っていたが、丁度三つだけ空いていたようだった。
「こちらをどうぞ」
「ありがとう。はい、ソフィリア君、シリル君」
受付嬢から渡された鍵を受け取り、更にそれをソフィリアとシリルに渡す。
「ぶー、ソフィたんと一緒が良かったのに」
「隣の部屋でも警護はできると思うんですが、シリルはできないんですか?」
「出来るよ!やってみせるよ!」
なんとも扱いやすい事だと、ソフィリアは心の中で破顔しておく。
部屋へ着くとテーブルの上に荷物を置いて、早速馬車と男爵芋騒動で疲れた体を一休みさせるためにベッドに体を倒した。少し、少しだけ休憩するだけだ。眼を瞑る気もない、ただ、ふかふかのベッドの上に転がっておきたいのだ。
転がって、寝転んで、安寧を感じていたい。
「お姉ちゃん」
誰かがソフィリアを呼んで体を揺さぶった。
あれからどうしたのだろうか?寝てしまったのだろうか?
「お姉ちゃん」
ハッと気が付くとソフィリアは市街地の中で立ち尽くしていた。ここは、さっき通って来たセラスの市街地とよく似ている。だけど人通りは一人もいない、空を見上げると靄がかかっている。本当にここはセラスの市街地なのか?
ソフィリアは探索する為に脚を前へと動かす。
全ての露店も商店も閉店の看板をぶら下げている。窓の奥を覗き込もうとすれば、ソフィリア自身が映っているだけだった。
「こっちだよ」と、誰かが曲がり角の奥で言った気がした。
曲がり角を曲がると民家が並ぶ路地だった。そこも何気なく歩いて進んで行く。
暫く歩いていると馬車が停まっている一軒家があった。今の今まで物と言う物が無かったので不思議に思い、足を止めた。
溺れた海豚亭。でかでかと看板が掲げられていた。宿屋とは思えない、酒場だろうか?
キィと音をたてて独りでに扉が開いた。まるでソフィリアを店の中へと誘っているようである。
怪しいと思いつつもソフィリアは溺れた海豚亭へと入っていく。中はやはり閑散としていた。カウンターの奥に瓶に詰められた酒や酒樽があることから、やはり酒場だと判明した。
店内にある関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉がまた独りでに開いてソフィリアを誘う。
その扉の奥には地下へと続く階段があった。暗がりの地下を手探りで降りてゆくと、光が漏れている場所へとやってきた。
これは・・・牢屋?
地下階段を抜けると、そこは無数の牢屋が左右にあり、通路は更に奥へと続いていた。
何故酒場の奥に牢屋が、こんなにもあるのかと疑問が沸き上がる。
「お姉ちゃん」
この通路の先でソフィリアを呼ぶ者がいると反響する声から認識できた。
ソフィリアはまた通路を歩いて行く。
牢屋には誰も入っておらず、そんな牢屋が幾つも視界外へと消えてゆく。そして最後に何人もの人間が収監されるくらいの大きさの牢屋へと辿り着いた。その牢屋には一人、人が収監されていた。
「ようこそ、お姉ちゃん」
その人間はソフィリアに向かって話しかけた。暗くて表情は見えないが、ソフィリアよりも幼いようだ。そんなソフィリアよりも幼い人間が、鎖で繋がれて、牢屋の中に囚われていた。
「君が私を呼んだの?」
「そう。ここから助けてもらうために、僕がお姉ちゃんを呼んだんだ」
「ここから助けるって、ここは夢の中じゃないの?」
明晰夢。ソフィリア自身が夢だと自覚しながら夢を見続ける事ができること。街並みを見た時からソフィリアは夢だと認識していた。ただ、ここが夢の中ならば、主導権を持っているのはソフィリアのはずなのだが、如何せんこの牢屋の中にいる人間に握られている気がしてならない。
「そう、ここはお姉ちゃんの夢の中。だから現実世界で僕を助けて欲しいんだ」
「助けてと言われれば確かに助けますが、こんな牢屋に入れられているんですから、罪人ではないかと疑うのが常識では?」
「お姉ちゃんも思っているはずだよ、唯の酒場の地下にこんな場所がある事が異常だって。答えは僕が捕らわれているから。いや、僕達と言った方が良いかな?」
牢屋の中にいる人間は指をパチンと一回鳴らした。
すると薄暗い牢屋の中に囚われている人物達が現れた。皆、俯いていて暗い顔をしている。牢屋に囚われればそんな顔をせざる負えないだろうと思う。彼らが罪人ではないのは手近の牢を見れば解る。
牢屋の中にいる人達は全員エルフ族だった。
現代世界ではお伽噺の中で度々出現するエルフ族。彼ら彼女らは、この世界では実際に存在するのだ。ただ、ソフィリアのような人族の人々と暮らしている訳ではなく、澄んだ森の中で集落単位でひっそりと自然と共に暮らしている族種だ。
ここはそんな集落を襲って趣向品となり、大金を生むエルフ族を捕えておく場所なのだろう。
「お姉ちゃん。僕達を助けて。僕達はこれから売られて奴隷にされるんだ、見世物にされて、動物のように扱われる、時には拷問され、時には如何わしい事をされ、命を弄ばれるんだ」
『そんなのは嫌だ!』
牢屋の全員がソフィリアに向かって魂の叫びをぶつけた。
「僕達を助けてくれたら僕達が困った時に力になるって誓う。だからお姉ちゃん、助けて」
これが唯の夢だとはソフィリアは思えなかった。夢だと済ませれば、それはそれは心が透いた気分になるだろう。夢なのだから気負う事もなく、唯のまやかしとして記憶から消去されるだけだ。
しかしソフィリアはエルフ族が使える神秘的な"加護"を知っていた。
加護とは神から与えられる力である。
現代世界のように唯一神として語られる神がいるように、こちらの世界にも唯一神として語られる神がいる。それがソフィリア達が探している神なのだが、現代世界のように神の存在が少しややこしいのだ。
ソフィリア達が信仰している手に魔法を与えてくれた神がいる。しかし一方でエルフ族が信仰する自然と調和する神がいる。その神はどちらも同じ神であるが、人物像や背景、与える加護は全くと言って違う。
歴史と人種の違いで神の存在が変わってしまうのだ。現代世界でも北欧神話のオーディンのように沢山の名前があるせいで勘違いされる神がいるように、こちらの世界でも同じ現象が起こっているのだ。
神は一神しかいないのに、信仰心のおかげで創られて、増えてしまったのだ。
それでである。エルフ族が信仰する神が与える加護は人の無意識へと介入することができる”潜在する者達”である。その加護は生まれた時から貰える加護であり、彼らは基本的には会話はその加護を使って発音せずに頭の中で済ますらしい。
だからこれは夢だが、エルフ族の人々がソフィリアの夢の中に介入してきて、助けを求めてきているのだ。
「分かりました。待っていてください、助けに行きます」
ソフィリアの言葉を聞いて、大きな牢屋の中にいるエルフ族の彼は笑顔になった気がした。
「気を付けてね、お姉ちゃん」
そう言い残してソフィリアは夢の世界から現実の世界へと意識を戻したのだった。




