009話 新たな同行者
男爵芋は思案した。己を突き動かすこの感情を確かめるために、手にする為に、理解するために体の中にあるデンプンを糧として考え抜いた。
「じゃん!」
どうすればこの者を手中に収められるか。
「けん!」
これまで見て来た人間をどう模倣すればこの者に勝てるか。
「ほい!」
穀物野菜ながらも、芽生え始めている自我を物としたかった。
だがしかし。所詮は野菜だったのだろう。自分よりもヒエラルキーの頂点に近い存在の人間に勝とうと思う事すら烏滸がましい行いだった。
ただ、男爵芋は彼女を物にするという思考をする自分を知りたかっただけなのだ。
「ソフィリア様はパーの風、対して男爵芋様はグーの土。よって勝者はソフィリア・バーミリオン様!」
男爵芋の核となる属性は土だと言う事はソフィリアには筒抜けだった。後は巨体の手が直前までにどう動くかを見極めるだけ。これは単なる後出しではなく、勝利するためにソフィリアが身につけた技術だ。その証拠に今までその技術を注意されたことは無い。
「一回で終わらせるとは流石ソフィたん」
「ソフィリア殿はじゃんけん勝負がお強いのでござるか?」
「そうよ、ソフィたんはじゃんけん勝負無敗を誇る人間なの、そんなソフィたんの腕にしがみついた貴様の皮を剥いで毛皮を作ってやろうか」
「いた!地味に痛いでござる!背中の皮膚を爪で引っ掻くのは止めるでござる!」
二人のじゃれ合いを背中で聞きつつ、ソフィリアは目の間に呆然と佇む芋の集合体を見つめていた。
ラダマンティウスが妙な雰囲気を咳払いをして払った。
「この勝負、言うならば知識欲の塊。人間と野菜のどちらも知識を欲し、知識を比べる戦いでございました。男爵芋様は塊を抱えたまま拳を放ち、それを柔軟な対応で包み込んだソフィリア様に敗北してしまいました。ソフィリア様の一手を名付けるとすれば随機応変でしょうか」
勝因とは言えないがラダマンティウスの言った事は勝因に繋がるものだった。
ソフィリアが敗北しない理由は相手がじゃんけんの極意を知らない事だ。様々な人間を相手にしてきたが、未だにソフィリアが持っている技術を超える人間は現れたことは無い。
だからこそ、この男爵芋は必然的に負けが決定していたも同然だった。
ただ、人間を模倣しているだけならばソフィリアに勝った人間を模倣しなければ勝てないのだから。
もしも男爵芋が人間の模倣ではなく、自分の意思で手を出していたのなら結果はまた少し違ったかもしれない。
結局はこの男爵芋は人間に捉われたのだ。
「では勝利条件に従い、男爵芋及び、家族の皆々様は今後一切ソフィリア様に受粉を行わない事。よろしいですね?」
芋の集合体は何も答えなかった。相変わらず、その場に呆然と立ち尽くしているだけだ。
「失礼しますよ」
ラダマンティウスは翁とは思えない軽い身のこなしで手も付かずに芋の集合体を登って行き、白い手袋をキュッと絞めてから、集合体の胴の左腕の付け根付近に手を突っ込んだ。
「これ、ですかな?」
何かを掴んだようで、それと共に手を引き抜くと、芋の集合体が大きく震えて、表面を補っている芋達が次々に剥がれ落ちて行き、地面の上に転がり、積もってゆく。
ラダマンティウスは高さ七メートル程から着地して、手に持っている男爵芋をソフィリアに見せた。
「どうやら、心ここに非ずのようですね」
男爵芋は赤子のように手も足も折り曲げて動かなくなってしまっていた。負けたことが相当堪えているのか?
「むむ!芋達が逃げていくでござる」
「ホントだ。こりゃあ壮観だ」
集合体からただの芋へと戻った芋達は散り散りになってこの場から次々に逃げていく。
「ソフィリア様。この男爵芋、わたくしに預からせてもらっても構いませんかな?」
「えぇ、どうぞ」
ボイルド教授がいたのならば何が何でもその男爵芋を手放すことはしなかったはずだ。あれは研究対象に成り得て、世界の均衡を狂わせるのだから。
どちらにせよ、エリシュオン協会の手に渡るのだ。ボイルド教授に渡すのならば、このラダマンティウスに渡した方が悪い事には使われないだろう。
「ありがとうございます。では、わたくしはこれにて失礼します」
「また、よろしくお願いしますね」
ソフィリアが別れの言葉を言うとラダマンティウスはニコリと柔和な笑顔を向けて消えた。
「き、消えたでござるよ?」
「あの人はいつも消えるのよ。それよりも、どう罪を償うか決めた?」
まるでホログラムの電源を切ったように消えたラダマンティウスはいつもの事なので放っておいて、今度こそ二人のじゃれ合いに向き合った。
「アルトレウスさんはどうして私達と一緒に旅がしたいんですか?」
芋達に追われる中で出会ったアルトレウス。何だかんだでソフィリアの為に奮闘してくれた。だからソフィリアはこのオコジョの正体と同行したい理由を聞いたのならば同行を検討していた。
シリルに邪魔されないようにソフィリアはアルトレウスを年相応の小さな手の上に乗せる。シリルがアルトレウスを妬めしそうに見つめているのを他所にアルトレウスの返答を待つ。
「拙者は、とある女神を探しているでござる」
「女神、ですか」
「そうでござる。拙者は元人間でござった。しかしある日、その女神にこんな愛玩動物の姿にされたのでござるよ。拙者は拙者の人間の体を取り戻すために女神を探したいのでござる。そして昨日、ボイルド殿と同じ宿に泊まっている時に、偶々ボイルド殿が神探しを始めると女将殿と話しているのを聞いたのでござるよ。神探しの為ならばソフィリア殿の剣にも盾にもなる所存でござる!誠に勝手でござるが、どうか拙者を旅に同行させてくだされ!」
アルトレウスは手の上でソフィリアに向かって土下座をして頼み込んだ。ござる口調のオコジョに土下座をされる日が来るとは思いもしなかった。
アルトレウスは信頼できるだろう。少なくともシルリよりかは真面であり、正直者だ。情や恩に熱く、人間が最も理想とする性格だ。それに同じ目的を持つ人物を無下には出来ない。
「顔を上げてください」
ソフィリアの美しい声音に反応してアルトレウスは顔を上げた。
「もしも、私の探している神と、アルトレウスさんが探している女神が違っても、私は私の事情が終われば、そこで旅は終わるのですが、それでも宜しいのですか?」
「それでもいいでござる。拙者はこれまでに手掛かりさえも見つけてこれなかったでござるよ。ソフィリア殿がいればどの神でも居場所が掴めるのでござろう?」
「えぇ、そうだと思いますね」
「だったのならば、大丈夫でござる。見つかっても見つからなくても手掛かりがあり、拙者が生きているならばそれでいいでござるよ」
アルトレウスは思ったよりも大胆な生き方をしているようだ。同じような考えで生きる等、到底真似できないな。
「そうですか。私はソフィリア・バーミリオンです。これから宜しくお願いしますね」
ニコリと作り笑顔を向けるとアルトレウスは立ち上がり、ソフィリアの瞳を見つめ。
「拙者はアルトレウス・バラライカ・ライオネル。気軽にアルトと呼んでくだされ。これから宜しくお願いするでござる!」
と、自己紹介をしてくれた。
「ソフィたん、いいのー?こいつ絶対不埒な輩だよー」
「少なくともいきなり人の胸を揉んだり、スカートの中を覗いたりする人では無さそうですけどね」
棘を持った言い方をしてアルトレウスを地面にそっと置く。
「ぐぬぬ、絶対にその愛玩動物の毛皮・・・じゃない、化けの皮を剥いでやるからね!」
ソフィリアがアルトレウスに対して良くしているのが気に食わないようでシリルは頬を膨らせながら馬車へと一人戻っていく。
馬車の方ではボイルド教授が何かを叫んでいるが遠くて聞こえない。そういえばあの教授は自分の身を案じてこちらまで来なかったな。薄情だとは思わないが、付き合い方を考える良い機会ができた。そこに関しては男爵芋に感謝しなくては。
騒動が落着してソフィリアも馬車へと向かおうとすると、下ろしたアルトレウスが小首を傾げていた。
「どうしたんですか?行かないんですか?」
「うーむ、それがでござるな。どうして芋の集合体が全て男爵芋と同じ意思を持っていたのかが気掛かりでござってな。ソフィリア殿はその点も踏まえて実行したのでござろう?よかったら仮説を聞かせて貰いたいでござるよ」
「それは・・・いえ、止めておきます。もう実証する術もありません。真相は誰も知らずで手を打ってくれませんか?あと、私もアルトと呼ぶので、アルトもソフィと呼んでもらっても構いませんよ」
「そうでござるか、では、ソフィ殿がそう言うならばこの事は拙者の心の中で留めておくでござるよ」
アルトレウスはそう言ってソフィリアを追い越して馬車へと向かった。
もし、もしもソフィリアの仮説が正しければ、芋達には魔力で意思操作する術があった。それをあの一番力がある男爵芋が無意識に使用して家族たる芋達を支配していたのだ。
それは現代世界で言う電気信号で動く機械と同じだ。人間が使役して、農作物が農作物を耕す光景が生まれるだろう。しかしそんな仮説を公けにしてしまえば、近い将来農作物は兵器にも変わる事も有り得る。それは現代世界の歴史が証明している。
それに彼らにも意思はあった。
ソフィリアは振り返って今まで通って来た街道を見据えた。逃げ去った芋達も消え、まるで何もなかったのように緑と青空が広がっていた。びゅおうと、強めの風が吹いて、ソフィリアの髪をなびかせた。
ソフィリアは乱れた髪を整えて馬車へと向かうのであった。