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23歳、独身。資格・定職共に無し。

掃除と「綺麗」について

作者: 里田あひる


 母はミニマリストだ。

 「ミニマリスト」が最小限主義者という意味だけでなく、「極端に物を持たないようにしたがる人」のようなニュアンスも含まれるようになった、ここ数年の話ではなく、20年近く前から母はミニマリストだ。


 母は潔癖症だ。

 「何か触れば除菌」とまでは行かないものの、自宅の外をまるで菌まみれのように語る。確かにそれは間違っていないのだが、人間の体内、彼女の体内の大量の菌や彼女の体表面の大量の菌はあまり問題にならない辺りが、私には潔癖症としか感じられない。


 ミニマリスト足すところの潔癖症。物議を醸したくはないので、「きれい好き」と表現しよう。




 「きれい好き」の母から生まれた私は、雑然とした部屋が好きだ。

 無駄な物が多い空間は好まない。本が前後二列になって入っている本棚、ジャンル分けが出来ずに村上春樹の隣に『ラテン語初歩』が並んでいるような本棚がたまらなく好きだ。

 谷崎潤一郎はどこだっけ?と前列の澁澤龍彦を退けると、司馬遼太郎が「やあ」と顔を出すような本棚が好きなのだ。


 自ずと部屋も雑然とする。

 こたつの上には常時七味唐辛子と眼鏡が数本。物を書き始めると、左側には参考文献のタワーが立ち、右側にはコーヒーか酒と灰皿がざっくばらんに並ぶ。

 けれども傍から見れば散らかっているここには秩序がある。部屋が汚い人間、それも汚い自覚のない人間特有の「私はどこにあるか分かっているの!」である。



 本日、部屋の掃除をした。3ヶ月ぶり、今年度3回目である。





 4日程前、風邪をひいた。2日程前、熱を出した。朦朧とする私の目に映ったのは、埃と髪が融合した妖怪的な何か、使用済み避妊具、何かのパッケージの名残の三角形。

 なんてこった。こんな部屋じゃ風邪はひくし、治る病気も治らない。

 熱が下がって、少し様子を見て、万全ではないものの満を持して本日、掃除決行。

 格闘すること、約3時間。水回りまでは終わらなかったものの、ひとまず勝利を収めたことにする。






 掃除とは、ごみやほこりを、掃いたり払ったりなどして取り除き、きれいにすること。本来ごみがなければ大きなゴミ袋など出番はない。

 しかし、「きれい好き」の母の遺伝子のせいか、色々なものを捨ててしまう。


 開始30分までは

「あぁ、これまだ捨てていなかったのか」「これ探していたんだよな」

と「要る?要らない?選手権」を行うのだが、だんだん時間が経つにつれ

「落ちているということは捨てて良い」「見つからなくても困らなかったのだから不要」

と手に取った物から順に捨てる作業へと変わっていく。




 ここで留め置きたい点としては、私は最小限主義者ではないという点だ。

 不要な物まで所持する理由は持たないが、使わない=要らないという過激派ではない。

 とはいえ、捨ててしまう辺りは「きれい好き」の娘だと再認識するのであった。






 さて、綺麗になった部屋。窓のサッシには昨日から干してある洗濯物。こたつから手を伸ばせば、残り少ない焼酎の紙パック。もちろん右側には灰皿があって、こたつの上には七味唐辛子がある。

 生活感はバリバリである。


 私はこの、生活感溢れる、昨日よりは格段にマシだが雑然としたこの部屋がたまらなく美しいと思う。

 窓も日中開け放ったおかげで、今日の小春日和のような空気が部屋には満ちている。締め切ったレースカーテンから夕日が差し、部屋干しの影が見える。


 いかにも「ここで生きています」「生活を営んでいます」と主張する風景だ。





 母は「きれい好き」だ。

 シンプルで無駄のない空間を好む。生活感は好まない。なぜなら、人が生活すると汚れるから、人の生活している雰囲気そのものである生活感は母の「きれい好き」にはそぐわないのだと、私は勝手に理由を想定している。


 私は綺麗自体は好きだ。

 雑然とした本棚、生活感のある部屋が美しいと思う。なぜなら、人が人間らしい生活を営んでこそ作られるものだからだ。意図的に作ってみてもモデルルームのような、体温のない空間にしかならない。それは紛いものなのだ。この部屋には私が生活を営んだからこそ出来上がる、本物の生活感がある。本物は美しいものだと信じたい。定職も資格もない私が作り出せる本物を、私が美しいと思わなくて誰が認めてくれる物かと、意地だって張ってみる。




 美的感覚なんてものは個人差が大いに影響する、不確かで相対的な「ふわふわ」とした何かだ。

 しかし、この部屋は、私の城は、確かに昨日よりは清潔で整頓されている。美しいかはともかくとしても、この点で私は胸を張りたい。今日の部屋は綺麗ですよと。綺麗にした私は頑張りましたよと。

 今日も酒が美味しく飲めそうだ。


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