文通相手と俺
真っ赤な絨毯のひかれた廊下を無表情で歩く。廊下の脇には城に仕える者達がこうべを垂れて控えているが、幼い頃から見慣れている光景ゆえに気にすることもない。
周りに目を向けることもなく、ただひたすらに前だけを見て足を進めていたウォーレルはあるものを視界に入れた瞬間に眉を寄せた。
「おぉ、ウォーレルか。昨日、連合軍を組んで攻めてきた国々と協定を結んできたぞ。これで当分手は出して来れんだろう」
「そうですか。それはよかったです」
ウォーレルに声をかけてきたのは機嫌の良い兄であるガルディエだ。ウォーレルの素っ気ない返答を気にする様子もなく、ガルディエは会談でのことを得意げに話している。
ガルディエの周りには取り巻き達がおり、さすがガルディエ様、素晴らしい手腕です、と相槌を打ちながら話を盛り上げる。まるで城に仕える者達にまで聞かせようとしているようだ。
全ては命をかけて戦った民達のおかげ。それを己の手柄のように話すガルディエ達に何を言ってももはや無意味だろう。ただ精神を削られるだけだ。ウォーレルは茶番のような目の前の様子に呆れながらも、表情筋に全神経を集中させ、面には出さないよう気をつけながら適当に相槌を打つ。
「ところで、文通は順調なのか?」
どこか笑いの含んだガルディエの言葉に反応し、ウォーレルの瞳が僅かに鋭さを増す。しかし、ご機嫌なガルディエが気づくことはなかった。
「ええ、まぁ、そうですね」
「ほぅ。お前が文通を続けているというのは聞いていたが、事実とはな。そんなに話が面白い相手なのか? どんな相手なんだ?」
文通相手について聞きたがるガルディエにウォーレルは言葉を詰まらせた。
ガルディエに興味を持たせてはいけない、とウォーレルの中で警告が鳴る。ガルディエはウォーレルのものを奪う事が好きな男だ。幼い頃は、ウォーレルが悔しがる姿を見て高笑いしていたほど。今はウォーレルが感情を表に出さないため反応を楽しめていないようだが、元の性格は変わらない。
「一言で言えば、世間知らずで能天気な人物、でしょうか」
「なんだそれは。そんな相手と文通してるのか? 大変だな、ウォーレル」
「……約束ですから」
「ふっ、そうか。まぁ、国のために精々頑張ってくれ」
「はい」
ウォーレルの反応に満足したのか、ガルディエはウォーレルに背を向け去って行った。その背を見送ったウォーレルは無意識に小さく息を吐き、ガルディエを振り払うように再び廊下を歩き始める。
あんたに奪われてたまるか。
確実に文通をする権利を奪われそうだから決して言うことはないが、ウォーレルは心の中で呟いた。
文通相手のフィーはガルディエに言った通り、世間知らずで能天気な人物だった。この世の穢れたものは全く知らず、甘い事ばかり言う。戦乱期にこんな奴がいるのかと思ったほどだ。
何が好きで何が嫌いだ、と特に面白くもないことを綺麗とは言えない字で長々と綴っている手紙を見た時は、こんな相手と文通をしなくてはいけないのかと肩を落とした。
そんな相手に気を使うのが馬鹿馬鹿しく、ウォーレルは思ったことを、時には辛辣な言葉で手紙に書きつけた。
しかし、そんなウォーレルの手紙に対し、フィーは文句を言ってくることなく、いつも前向きな言葉を並べて返してくる。最初は、その能天気さに呆れていたウォーレルだったが、次第にそんなことを思わなくなった。
何故なら、言葉を交わすうちにフィーという人物がわかってきたからだ。
フィーは世間知らずではあるが、無知ではなかった。世界の歴史や政治、農業漁業、魔術など学問に関しては一般の貴族よりも知識が豊富と言えるほどだ。それに、ウォーレルが民の生活や戦の話を少しすれば、その何倍もの質問が返ってくる。知らないことを知ろうとする意思が手紙からヒシヒシと伝わってきて、ウォーレルはいつの間にかフィーを邪険に扱わなくなっていた。
そして、ウォーレルの心を大きく動かしたのは、最初は能天気としか思っていなかったはずのフィーの純粋さであった。
フィーの言葉は温かく、しかし、違うと思ったことには自分の意見をぶつけてくる強さもある。何より言葉の端々から思いやりが伝わってくるのだ。
明るく前向きで、素晴らしいものは素晴らしいと素直に言える美しい心の持ち主。だが、時々見え隠れするのは、愛されているようで孤独を抱えているような暗さ。そのアンバランスさにウォーレルは興味を持った。
今では、フィーはウォーレルにとって唯一素直になれる特別な相手になっていた。
自分の部屋がある廊下にたどり着いたウォーレルは、廊下に立っている男を見つけると、歩く速度を上げて近づいた。
「来たか?」
「はい。お持ちしました」
そう言って渡された物を素早く受け取ると、ウォーレルは足早に部屋へと入っていく。男はそんなウォーレルの姿に僅かに口元を緩め、その場を去った。
一方、自室に入ったウォーレルは手渡された物、フィーからの手紙の封を椅子に座る前に切っていた。そんなに慌てなくても邪魔する者などいないというのに。
手紙を取り出したウォーレルはゆっくり読むためにやっと椅子に腰を下ろし、フィーの文字を目で追っていく。普段は無表情なウォーレルが、笑いを堪えたり、目元を細めたり、時には唖然としたりと忙しそうにコロコロと表情が変わる様子は家族ですら見たことがないだろう。
あっという間に最後まで読み終わったウォーレルは、小さく息を吐くと椅子に凭れ掛かった。名残惜しげに封筒を持ち上げると、中でカサッと音がなる。気づいたウォーレルが封筒に手を入れ取り出すとーー
「桜の、押し花? ……っ!」
慌てて一度閉じた手紙を開き、最後の一文に目を移す。
『今日も桜が綺麗です』
最初に読んだ時は他の文と一切繋がりがない一文に首を傾げたが、今ならわかる。
「ああ……くそぉ」
ウォーレルは思わず目元を手で覆う。
きっとフィーが以前言っていた枝垂桜なのだろうと考えると、脳裏に枝垂桜の下で嬉しそうに桜を眺める女性の姿が浮かんでくる。容姿も性別も知らないというのに、自分の勝手な妄想に呆れてしまう。
「俺はどうしてしまったんだ。これではまるで……」
ーー恋をしているようだ。
たどり着いた答えにウォーレルは唸りながら頭を抱えた。
相手の素性を探らない事、という文通の条件がウォーレルの頭によぎる。まさか自分にとって都合が良いと思っていた条件に苦しめられるとは。
しかし、このまま条件に従っていれば会えずに終わってしまう。それは嫌だと思う自分は、すでに末期だろう。
「……フィー」
口からこぼれ落ちる声は自分も知らないような甘さを含んでいる。
本当の名前すら知らない相手にこんな気持ちを抱くなんて考えもしなかった。だが、フィーのことを考えると今まで真っ黒にしか見えなかった世界が色を持ち始め、心が軽くなるのだ。城内で兄に出くわしても、その後に喚きたくなることがなくなったくらいには心に余裕すらできてきた。
便箋を机の上に用意したウォーレルは、フィーの手紙の返事を書いていく。元々、感情を言葉に出すことが苦手なウォーレルは文が短く、便箋一枚すら埋められない状況だったが、今は以前より分量が増えた。といっても、フィーからの質問が増えたからだったりするのだが、話題を振るのが苦手なので、そこらへんは気づかぬふりをしてフィーの手紙に頼っている。
それでも今回は、押し花への感謝の言葉を添えられた。悩みながらも、大切にする、と言葉にもした。
そして最後に、一番伝えたい言葉を書き足す。
『俺の本当の名は、ウォーレル・アラウド・ヘルス。ヘルス王国の第二王子をしているが、地位などは気にしないでほしい。素性を探らないという条件を知った上でお願いしたいことがある。
あなたのことを教えてはくれないだろうか』
ペンを置いた瞬間、ウォーレルは肺の中の空気を全て吐き出すかのように大きく息を吐いた。
何度も何度も己の書いた手紙を読み返し、封筒に入れる。
これは賭けだ。心地よい今の関係を壊すかもしれない大きな賭け。それでも、踏み出さずにはいられなかった。
手元に置いてあった押し花を手に取り、くるりと回し見ながら文通相手のことを考える。
祈らずにはいられない。
どうか伝わってくれ、俺の想い。