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第五話 「日常に、スパイスを?」

 目覚まし時計のアラームが鳴り始め、俺はぼんやりと目を覚ました。しかし朝に弱い俺は、ついついアラームを消して、二度寝の体勢に入ってしまう。

 起きなきゃいけないとは思うんだが、どうしても布団から出られないんだよなあ。まあ布団には桜乃が寝てるから、この場合は枕から離れられないとでも言ったほうが良いか。

 実家に居たころは、おふくろがよく起こしに来てくれてたっけ。不思議とおふくろに起こされると、目が覚めるんだよな。

「だんなさま、起きてくださ〜い」

 再び夢の世界へ旅立とうとしていた俺の耳に、不意に桜乃の声が届き、それから彼女は少し遠慮がちに、俺の体を揺すってきた。

「すまん桜乃。あと五分、いや十分寝かせてくれ」

「もう、時間延びてるじゃないですか。ダメですよう、ちゃんと起きないと」

 更にユサユサ。ちょっとくすぐったく感じるが、睡魔はその程度では離れてくれなかった。人間眠いときってのは思考力が低下するもので、今日は学校があるというのに「もう学校休んで寝ていようかなあ」とか思ってしまう。

 単純に、俺の意志力が弱いだけな気もするけど。

「もぉ、だんなさまぁ〜、あんまりお寝坊さんだと……」

「ぐふゅ!?」

 桜乃の声を遠くに感じながらまどろんでいると、突然腹にずしりと重い一撃を受けて、俺は目を白黒させた。肺の中の空気が全て吐き出された上、痛みのせいで呼吸が出来ない。

「お、おはようのパンチはやめろって、言っただろ……」

「パンチじゃないです」

 苦しさに耐えながら見てみると、桜乃は俺の腹の上に乗って、にこにこと笑っていた。なるほど、確かにこれはパンチじゃないな。言うなれば、おはようのボディプレスってところか。

 桜乃、頼む。もうちょっとだけ容赦してくれ。そのうち本当に、口から内臓吐きそうだ。

 窓から差し込む朝日に目をしばたかせながら、俺はむくりと体を起こした。その拍子に、桜乃がころりと転げ落ちる。

「だんなさま、いきなり起きないでくださいよう」

「ああ、すまんすまん。んじゃまた寝るわ」

「もうっ、そういう意地悪はきらいですっ!」


 桜乃との生活を始めてから、早二週間。ずいぶんと打ち解けた、そんな気がする。

 桜乃が俺のところに来てすぐの頃は、俺を呼ぶのもどこか堅苦しい感じがしていた。しかし今では、すっかり堅苦しさも抜けている。

 大学生と小学生という年齢差のため、生活の時間のずれという問題は確かにあったが、それにも少しずつ慣れてきている。

 それに――

「今日も朝飯作ってくれて、ありがとうな」

「はい! だんなさまのために、腕に、えっと」

「よりをかけて?」

「です!」

 そう、桜乃が飯を作ってくれるようになったのだ。

 桜乃が初めて夕飯を用意してくれた日の翌日に、桜乃は自分で料理の本を買ってきて、それから毎日食事を作ってくれるようになった。桜乃いわく、「自分のだんなさまが口にするものくらい、自分で作れるようになりたい」んだそうだ。

 最初は卵焼きを炭にしたり、ウィンナーを焼くも火が通りきってなかったりと色々と大変だったんだが、そこはさすが小学生、飲み込みが早い。今ではそれなりの食事が出せるようになっている。

 俺もバイトが無い日は夕飯を作る手伝いをしているが、やはり自分から覚えようとしている分、上達も早いのだろう。

 さすがに料理のレパートリーはまだ少ないが、それは少しずつ覚えていけば良いだけのことだ。揚げ物を作ったりするのは、まだ危なっかしくて無理だけど。

 今日の朝食は、バターと目玉焼きを乗せたトーストに、緑黄色野菜のサラダ、ホットコーヒーの三点だった。まあ、多少ぐちゃっとしている感は有るが、見事なまでに朝食って感じの組み合わせ。うーん、センスあるな、桜乃。

「だんなさま、今日はおしごと、あるんですか?」

「いや、今日はお休み。大学終わったら、すぐ帰ってくるよ」

 俺の答えに、桜乃の顔がぱっと輝いた。

「それじゃ、お夕飯を作るときは、だんなさまもいっしょですね」

 学校とバイトが両方ある日は、俺と桜乃が一緒に居られる時間は限られている。せいぜい朝と、学校が終わって一時帰宅したときと、寝る前くらいのもんだ。そのためか、桜乃にとって、少しでも長く俺と一緒に居られるということは、ものすごく嬉しいことらしい。

 桜乃が家に来るまでは、俺もずっと一人で寂しい思いをしていたわけだし、彼女が嬉しがる気持ちはよく分かる。

 

「さて、そろそろ行くか」

 朝食を綺麗に食べ終え、食器を片付けると、俺は大きく背伸びをした。桜乃も、学校に向かう準備を始める。結婚してたって、俺たちは学生であり、当然学校には行かなければならない。

 真っ赤なランドセルを背負う桜乃の姿は、まさしく小学生そのものである。

「桜乃、何かあったら」

「はい、何かあったら、だんなさまにお電話する、ですよね?」

 どうやら桜乃は、小学生ながら携帯電話を持っていたようで、登校前には必ず「何かあったら、すぐに俺に連絡すること」と、念を押すようにしている。

「知らない人には」

「ついていかない、です。お菓子あげるよって言われても、ちゃんと「いりません」って答えます」

「はい、よく出来ました」

 桜乃の返事は早かった。毎日言い聞かせてれば、そりゃ覚えるわな。しっかり者の桜乃には、言わなくても分かっていることだと思うけど。

「桜乃は、だんなさまのお嫁さんですから、だんなさま以外の男の人にはついていきませんよ」

 そう言って、桜乃はクスリと笑った。ああ畜生、卑怯だぞ桜乃。何かちょっとドキッとしちゃったじゃないか!

 って、九歳の女の子相手にドキッとしちゃったら駄目だろ。

 俺ってばひょっとして、やばいところまで来ちゃってるんだろうか。いや、これはきっと父性というか、そういうものに違いない。うん、そうに決まった。

「と、とりあえず、途中まで一緒に行くか」

「はいっ、桜乃は、だんなさまと途中までいっしょに行きます」

 思わずどぎまぎしてしまったが、桜乃は俺の心中をよそに、元気良く返事をした。


 俺と桜乃の日常は、こうしてゆっくりと過ぎていく。

 しかし今日、その日常にちょっとした変化が起こることを、俺はまだ知るよしもなかった。



 大学が終わり、家に帰る。

 今日の夕飯は何にしようかと考えながらアパートの前に着いたとき、見慣れない車が一台、駐車場に止まっていることに気付いた。

 ご近所さんの親戚なり友達なりが来ているんだろうかと思ったが、俺がその車の前を通り過ぎようとしたとき、突然中から一人の女性が降りてきた。

 腰の辺りまである長い黒髪を、肩の辺りでゴムで束ね、スクエア型の眼鏡に、黒いスーツに黒いタイトスカート、黒いハイヒールという出で立ち。顔はモデルか何かかと思うほど整っており、体つきの方も、出るべき部分は出て、締まるべき部分は締まっているという理想の体型だ。

 一言で言っちゃうと、べらぼうな美人さんである。年齢は見た感じ、二四〜五ってところだろうか。

 何というか、見た目そのまま「秘書!」って感じの、大人の雰囲気を持つ女性だった。

 しかし気になるのは、その目は俺をまっすぐに見つめており、ついでに睨むように細められていることだ。勿論、こんな女性と知り合った記憶はない。

「ちょっと良いかしら?」

 見た目通りのハスキーな声で、その女は俺を呼び止めた。その目はやっぱり俺を睨んでいるようにしか見えない。

「ん、何すか?」

 その目つきに気付かないふりをして、俺は軽い口調で応じた。何だか本能的に、嫌な予感がしたからだ。

「このアパートに、長谷川和樹という方が住んでいらっしゃると思うのですが、何時頃にお帰りになるか、ご存知ありません?」

 たらり、と俺の首筋を、嫌な汗が流れた。何というかこの女性、俺の名前を出すときに、ものすごい敵意を剥き出しにしやがった気がする。

 知らないふりをしてマイスイートホームに駆け込もうかとも考えたが、まあ相手の目的が何なのか分からない以上、嘘をついて逃げるのは失礼だろう。

「長谷川なら、俺ですけど」

 俺がそう答えた瞬間、女から異常なまでの殺意のオーラが立ち上がった、ような気がした。この場面が漫画になったら、バックに炎と般若でも背負う演出になるだろう。

「そう、あなたが和樹君」

 何とも無機質な女の声に、俺は思わず生唾を飲み込んだ。

 あまりの威圧感に、一歩下がってしまいそうになった瞬間、その女性は素早く俺の手首をつかむと、背中側に周りながら俺の手を軽くひねり上げてきた。アクション俳優ばりの手際の良いひねりっぷりに抵抗する暇もなく、俺は肩に走った小さな痛みに呻き声を上げた。

 ああ、やっぱり逃げときゃ良かった! 失礼度なら、相手の方が俺より上だ!

「な、何すんだよ、いきなり!」

「良いから、さっさと桜乃様のところに案内しなさい」

「ちっとも良くねえ! どこの誰だかしらないが、初対面の相手に向かってそれは失礼じゃなぎゃひいぃ!」

 俺の言葉をさえぎるように、女が俺の腕を更に締め上げてきて、我ながら情けない悲鳴を上げてしまった。ちょ、痛い、これ本当に痛い!

 桜乃に様を付けるってことは、桜乃の知り合い、更に言えば藤宮に関係する人物なのだろう。しかし、俺は別に桜乃に対してやましいことをしたわけでもないのに、何でいきなりこんな目にあわなきゃならんのだ!

「桜乃様のところに案内しなさい」

 女が先ほどと同じ台詞を言った。痛みで声が出せず、かくかくと首を縦に振って答える。それを見た女は、ふんと小さく息をつくと、ようやく俺を解放してくれた。

 全く、何なんだよ、この乱暴な女は!

「初対面だってのに、失礼にもほどがあるだろ、こいつ……」

「聞こえてるわよ。また腕を締め上げられたくなかったら、さっさと案内しなさい」

 ぼそっと呟いたつもりが、この女、地獄耳か。しかしまた痛い思いをするのも嫌だし、俺はおとなしく、桜乃が待っている二○五号室に向かって歩き出した。

 

「ただいま、桜乃」

「あっ、だんなさま、お帰りなさいませ!」

「ああっ、桜乃様!」

 玄関のドアを開けると同時に、三種類の声が全く同じタイミングで上がった。

 俺の背後で殺気を放っていた女は、怒涛の勢いで玄関にハイヒールを脱ぎ捨てると、そのまま部屋に居る桜乃に向かって走り出した。

「桜乃、危ない!」

 さっきこの女に酷い目にあわされたことも有って、俺は思わずそう叫んでいた。が、女はさっきまでの威圧感はどこへやら、優しく桜乃に抱きつき、一方抱きつかれた桜乃は、驚いて目をぱちくりさせている。

「ああ、桜乃様、お久しぶりでございます。桜乃様の身に何かあったらどうしようかと、本当に心配しておりました」

「か、かぐちゃん! どうして!?」

 かぐ、ちゃん?

 俺は事態が飲み込めないまま、かぐちゃんと呼ばれた乱暴女と、驚いた表情のまま固まっている桜乃を交互に見つめた。

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