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第四話 「子供だって、やればできる!」

 桜乃と一緒に部屋を掃除した――いや、掃除したのはほとんど桜乃なんだが――その夜、おかげ様で俺は床で寝ることが出来た。昨日みたく、トイレで夜を明かす必要はない。

 さすがに桜乃と一緒の布団で寝るなんて事は気恥ずかしくて、俺は床で寝ることにした。

 桜乃は、持ってきていたパジャマに着替えて、布団で丸まって眠っている。枕だけは自分用の、パジャマと同じチェック柄の可愛らしいものだ。

 桜乃が持ってきていた大荷物の中身は、服や勉強道具、ついでに藤宮に居たときから大切にしていたであろう、ぬいぐるみやクッションなどだった。

 昨日、昼食を食べて家に帰った後、桜乃の荷物を出して部屋に並べたのだが、それだけで殺風景だった俺の部屋は、たちまち「女の子の部屋」に姿を変えた。恐るべし、ぬいぐるみパワー。

 しかしどうにも寝付けない。畳の上で寝るのは初めてじゃないが、隣に桜乃が寝ていることを意識すると、何となく落ち着かないのだ。別に、隣に女の子が寝ているからドキドキしている、なんてことはない。小学生相手にドキドキしたら、それはもう人間として終わっとる。

「ううん」

 不意に桜乃が寝返りをうって、こちらを向いた。その目には、薄っすらと涙が浮かんでいる。やはり精神的な負担は大きいのだろう。

 彼女の負担をやわらげることが出来るのは、今のところ俺しかいない。しかし、本当に俺にそんなことが出来るんだろうか。

 正直なところ、あまり自信が持てない。どうやっても埋められない年齢差。俺には大学もあるしバイトもある。小学生である桜乃とは、過ごす時間のずれが出てくるだろう。

 そんな状況で、果たして桜乃と上手くやっていけるのか、桜乃に心の安らぎを与えてやれるのか。

「いかんいかん!」

 俺は思わず自分の顔をばしっと叩いた。まだ彼女と出会ってから二日目だぞ、そんな弱気なことでどうする。

「桜乃、俺がきっと幸せにしてやるからな。お前が藤宮でどんな生活をしてきたのか、俺には分からない。けど、その時以上にお前が幸せになれるよう、頑張るからな」

 面と向かっては絶対言えないような恥ずかしい台詞だが、自分で自分の意思を確認するように、眠っている桜乃に向かってそう言った。桜乃は再び寝返りをうって、また俺に背を向けてしまったが。

 ちぇ、つれないな。

「さて、俺もそろそろ寝ないとな」

 明日も学校はないが、バイトはある。午後からの出勤とはいえ、出勤時間ぎりぎりまで惰眠を貪るようなまねは、同居人が居る以上もう出来ない。

 念のため目覚まし時計をセットし、更に念を押して桜乃に向けた書置きを時計の下に挟んでから、元々あまり寝ていないのもあって、俺はすぐに夢の中に落ちていった。

 

 

 お掃除を頑張ったせいで疲れていたのか、桜乃が起きたのは、もうお昼を過ぎた頃でした。 旦那様より遅く起きてはいけないと、お母様からきつく言われていましたが、旦那様もまだ起きてないみたいで、桜乃はほっとしました。

 旦那様は、また桜乃をお布団で寝かせてくれました。床は固いと思いますけど、旦那様はそれでもぐっすり眠っているみたいです。

「旦那様。起きてください、旦那様」

 旦那様の体を、そっと揺すってみました。

「ううーん……ぐう」

 少し体を起こしたと思ったら、またぱたんと眠ってしまいました。旦那様は寝ぼすけさんですね。

「旦那様、起きないです……」

 どうしようか迷っていると、突然目覚まし時計が鳴り始めました。それでも旦那様は、腕を伸ばしてスイッチを切ると、またぐうぐうと寝てしまいました。

「旦那様、もうお昼過ぎちゃってますよ?」

 また呼びかけてみたんですが、やっぱり返事はありません。目覚まし時計が鳴るってことは、旦那様はもう起きなきゃいけない時間だと思うんですけど……

 もう一回目覚まし時計を鳴らしてみようと思ったとき、時計の下に何か挟まっていることに、桜乃は気が付きました。旦那様が書いたメモみたいです。

「桜乃へ。もし目覚ましが鳴っても俺が起きなかったら、殴ってでもいいから、とにかくすぐに起こしてくれ。和樹」

 メモを拾い上げて読んでみました。やっぱり旦那様が書いたメモみたいですが、殴ってでも起こせって言われても、困ってしまいます。

 旦那様を殴るなんて、そんなこと絶対駄目だと思います。でも、旦那様がそうしろっておっしゃってるし……

 すぐに起こしてくれって書いてあるってことは、旦那様は何か大切なご用事があるんだと思います。となれば、桜乃は勇気を出して、旦那様を起こさなきゃいけません。

 ゆっくりと呼吸を整えると、桜乃はお手てを握り締めました。

 

 

「ぐふぉっ!」

 どてっ腹に強烈な衝撃を受けて、俺は目を覚ました。いやもう、本当に口から内臓が飛び出るほどの勢いの。「ズボッ」という擬音がこれほど似合う場面もないってくらい、桜乃は容赦なく、俺の腹めがけて鉄拳を振り下ろしてきたのである。

 いくら九歳児の一撃とはいえ、ノーガードで受けると破壊力は相当なものがあった。あまりの苦しみに息も出来ず、声も出せずに、悶絶して畳を転げまわる。

「だだだ旦那様、大丈夫ですか!?」

 慌てふためく桜乃に、親指を立てて大丈夫であることをアピールしたが、実際はあんまり大丈夫とは言えない。

 桜乃、確かに殴っても良いとはメモに書いておいたが、いくらなんでも加減がなさ過ぎだぞ。

 子供は手加減を知らないとはよく言うが、今度からメモの書き方には充分注意せねば。

 ようやく呼吸が出来るようになったところで、俺は枕もとの目覚まし時計を手に取った。時刻を見てみると――

「やっべえ、遅刻する!」

 惰眠を貪るわけにはいかないとか思っていた割には、惰眠貪りまくりである。出勤する時間は、もうとっくに過ぎているではないか。ああん、俺の馬鹿!

 俺は腹の痛みも忘れて、びっくり箱のばね仕掛けみたいに飛び起きると、急いで歯を磨き、寝癖を直し、着替えは一応風呂場の脱衣所で済ませ、それからショルダーバッグを肩にかけた。その身のこなしの素晴らしさに、桜乃は目を点にして、俺を凝視している。

 ふはははは、驚いたか桜乃。寝坊すること自体は割としょっちゅうな分、準備を整えることだけは素早いこの俺よ。

 いや、早く起きてゆっくり支度すればいいじゃん、とは思うんだけどね。

 そんな馬鹿みたいなことを考えながら、俺は靴を履くと、部屋に居る桜乃に向かって、

「いいか桜乃、俺は今から仕事に行ってくる。帰りは少し遅くなるかもしれないから、腹が減ったり、眠くなったりしたら、自分で何とかするんだぞ!」

 支度の勢いそのままに、早口でそう言った。

「は、はいっ、分かりましたっ!」

 突然話しかけられた桜乃は、軍隊が敬礼するみたいに背筋をぴしゃりと伸ばして、そう答えた。どうやら、俺の嵐のような勢いが伝染してしまったようだ。

 桜乃を一人で家に残しておくのは気が引けたが、バイト先に連れて行くわけにもいかない。しかしまぁ、桜乃は俺が思っている以上にしっかりしているみたいだし、一人でも多分大丈夫だろう。

 我ながら無責任だよなと感じつつも、俺はバイト先に向かって猛ダッシュした。

 

 俺のバイト先は、二十四時間営業のファミレスだ。

 平日は大学があるため、夕方から深夜にかけての出勤が多いのだが、土日や祭日には、客入りの多い昼から夜にかけての出勤になるよう、シフトを組んで貰っている。

 深夜は客も少ないし、仲の良いバイトのメンバーと談笑出来たりして、まあ楽と言えば楽な仕事なんだが、やはりこの時間帯となると、猫の手も借りたくなるほど忙しい。

 それは今日も例外ではなく、がやがやと騒々しい店内を、俺は額に汗を浮かべながら走り回っていた。

「五番テーブル、ハンバーグ定食一つ、エビフライ定食一つ、チョコパ一つと生一杯入りましたー!」

 注文を取り、厨房に走ってそれを教え、また別のテーブルに注文を取りに行く。まだまだコール待ちのテーブルは六ヵ所もあった。数人で手分けしながらやっているが、次から次へとコールが鳴って、まるで収まる気配がない。

「長谷川ー、会計頼む!」

 店員の一人から声をかけられ、急いでレジに走る。早いところ他の注文を取りに行かなければならないため、レジに駆けつけ、会計を済ませるのも敏速に。

 しかし今日は、どうにも落ち着かない。この忙しさの中で、落ち着けるタイミングなど元々ないのだが、アパートに一人置いてきた桜乃のことが気になってしまい、妙に気持ちがそわそわしてしまうのだ。

 桜乃は俺の家に来たばかりだし、きっと家で退屈な思いをしているに違いない。

 外で元気に遊びたい年頃でもあるだろうが、遊ぶ相手もまだいない。おまけに家には、一人遊び出来るようなものもない。俺の財力では、ゲーム機はおろかテレビすら買えないし。

 ちゃんとした年齢の嫁さんなら、夕飯のための買出しだとか、風呂の準備なんかも出来るんだろうけどなあ。やっぱり桜乃は小学生なわけだし、そこまではさすがに出来ないだろう。

「旦那様、ご飯にしますか? お風呂にしますか? そ、それとも、桜乃に……」

 みたいなことを、九歳児に期待するのは――ってストップ、妄想ストップ! 最後のやばい、マジでやばいから!

「おい長谷川、休んでる暇ねえぞ!」

 さっき声をかけてきた奴とは別の店員から言われて、俺はいつの間にか足を止めていたことに気付き、急いで注文を取りに走った。

 桜乃の心配をしていたところが、何だか別の方向に脱線してしまっていた。危ないったらありゃしない。

 

 しかし、結局最後まで仕事に集中することが出来ず、一日中他の店員に叱咤されながら、大忙しの店内を走り回る結果になってしまった。

 おかげで体はくたくただ。ぐうの音も出ない。

 一昨日の夜と同じく、一人で夜道を歩いて帰る。しかし、今は帰ったら出迎えてくれる人が居る。そう考えるだけで、疲れているにもかかわらず、足取りは自然と軽くなった。やっぱり、ただいまを言う相手が居るってのは嬉しいもんだよな。

「桜乃に、ジュースでも買っていってやるか」

 お土産にジュース一本てのも味気ないが。

 お菓子でも買っていけば喜びそうなもんだが、夜に菓子を食わせるのは、あんまり良くないって聞くしな。

 そう思って、俺は道端にあった自動販売機に向かった。桜乃の好きな飲み物が何なのか知らないが、まあ無難にオレンジジュースで良いだろう。バッグから財布を取り出して、千円札を投入――

「はっ!」

 ここに来てようやく、すんごい大変なことに気が付いてしまった。

「俺が財布持って行っちゃったら、桜乃は夕飯どうするんだよ!」

 自分でも、血の気が引いていくのが分かった。家を出るとき、自分で何とかしろと桜乃に言ったが、これじゃ何とかしようにも何とも出来ないじゃないか!

 ああ、ほんっとに俺の馬鹿!

 俺は大急ぎでジュースを取り出すと、釣り銭を掴み取って走り出した。

 今頃桜乃は家で一人、腹を空かせて俺の帰りを待っているに違いない。幸せにしてやると決意した矢先に、こんなことでどうする!

 疲れた体に鞭打って、アパートまでの道をノンストップで走り抜け、肺が痛むのも気にせずに、二○五号室に向かって階段を駆け上がる。

「桜乃っ!」

「あ、お帰りなさいませ、旦那様」

 勢い良くドアを開けた俺を待っていたのは、にこにこ笑顔な桜乃だった。

「お、お前、夕飯は」

「はい、お夕飯の準備なら、もう出来てます。それと、お風呂の準備も出来てますけど、どちらになさいますか?」

 あれ?

 飯と風呂の準備、出来てんの?

「どうしたんですか? 旦那様」

 驚いて固まっている俺に、桜乃が眉根を寄せて話しかけてきた。

 部屋のほうを見てみると、確かに小さなテーブルの上に、俺と桜乃の二人分の食事が並んでいる。

 一体、どうなってるんだ?

「俺、バイト先に財布持って行っちゃってたんだけど、お前、その飯――」

「はい、桜乃が「おそうざい」を買ってきて、準備しました」

「いや、だからその金はどうしたんだ?」

 財布は俺が持ってるし、小学生の小遣いで何とかなるとは思えないんだが。

 頭上に「?」マークを並べている俺を見ながら、桜乃はにっこりと笑うと、

「おうちを出るときに、お母様が桜乃にお小遣いを下さったので、それで買ってきました」

 そう言って、桜乃は部屋から自分の財布を持ってくると、中身を広げてみせた。いやはや、その中身のすさまじいこと。諭吉が何人も財布からコンニチワしているのを見て、俺は思わず目を剥いた。

「大変だったんですよ? どこにお買い物しに行けばいいか分からなかったから、知らない人に「スーパーはどこですか」って聞いたり、旦那様が何がお好きか、桜乃はまだ知らないし、何を買えば良いのかなって、迷っちゃいました」

 唇を尖らせながら、しかし照れくさそうに笑う桜乃を見て、俺も笑ってしまった。

 何だ、出来るじゃないか。

 小学生だからって、最初から何も出来ないと決め付けていたけど、飯の準備だって風呂の準備だって、しっかりやれるんじゃないか。

 一人で買い物に行くのも、きっと勇気が必要だっただろう。でも、桜乃は俺のために頑張ってくれた。そのことが、ものすごく嬉しい。

「ありがとうな、桜乃」

「えへへ」

 頭を撫でてやると、桜乃は恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

 昨日の掃除の一件といい、今回のことといい、桜乃は「お嫁さん」という自覚を持って、幼いなりに頑張ってくれている。だったら、俺も桜乃のことを認めてやらなくちゃ。

 夫婦であるという実感は、いまだに沸いてこない。でも、そろそろ桜乃のことを「俺の妻」として見てやっても、良いのかもしれない。

「それじゃ、飯から先に頂こうかな」

「はい、桜乃も、旦那様と一緒にご飯を食べます」

 桜乃も、もう腹が減ってしょうがないだろうに、俺の帰りを待っていてくれた。どうすることも出来ない「年齢」という問題を除けば、ものすごく良い嫁さんである。

 その日の夕飯は、惣菜を並べただけのものとはいえ、いつも以上に美味しかったような気がした。

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