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第十二話 「お互いのために」

 桜乃が乗せられた車は、とっても長い時間、上り坂を進んでいたみたいでした。

 ずっとずっと止まらずに、行ったこともない場所に連れて行かれるんじゃないかって思いましたけど、車は坂を登り終わると、ようやく止まってくれました。

「さすがにこの時間になると、誰も居ないみたいだな。ここ選んで正解だったわ」

「本当に大丈夫なのかなあ」

「ここなら、騒がれたって誰も来やしないって」

「しっかし、酷い雨だな、こりゃ」

 車のドアを開ける音といっしょに、四人分の男の人の声が聞こえました。桜乃は、携帯電話をぎゅっと握ると、これからやらなくちゃいけないことを、もう一度考えました。

 きっと桜乃はこれから、トランクを開けられて、外に出されると思います。連れて来られたときと同じで、口も両手もふさがれると思います。

 だから、そうなる前に……!

 がちり、と、鍵が差し込まれる音がしました。本当に怖くって、ぶるぶると体が震えています。

 でもきっと、桜乃がどこに居るか、ちゃんとだんなさまに伝えることが出来たら、だんなさまが絶対助けにきてくれる。そう思って、怖い気持ちを我慢しました。

 まっ暗なトランクに、少しだけ光が入ってきました。桜乃をこの車に押し込んだ、男の人の大きな手が見えて、本当に桜乃に出来るのかどうか、不安になってしまいます。

「さてと、それじゃトイレにでも連れ込むか? 外はこんなだし」

「もうちょっと広い車だったら良かったんだけどな」

「うるせえ、しょうがないだろ」

 声と一緒に、トランクが大きく開けられた、そのときに

「あっ!」

「逃げたぞ!」

「だから手足縛っとけって言ったんだよ!」

 桜乃は、思いきって外に飛び出しました。そのまま勢いをつけて、走り出します。外は雨がいっぱい降っていて、すべって転びそうになったけど、何とか転ばずに逃げ出すことが出来たみたいです。

 ここがどこなのか分かるもの、最初はそれを探そうと思ってたんですが、探さなくっても分かりました。

「怖い……怖いです……だんなさま……!」

 怖くて手が震えてたけど、桜乃は携帯電話の電源ボタンを押して電源を入れると、アドレス帳からだんなさまの番号を選んで、通話ボタンを押しました。

 後ろから、男の人たちが、大声を出しながら桜乃を追いかけてきてました。桜乃はクラスでも足が遅いほうなので、すぐに追いつかれそうです。だけど、だんなさまに、少しでもこの場所のことを教えることが出来れば――!

 

 

 俺は豪雨の降りしきる中、とにかく走り回っていた。

 桜乃が通う小学校までの通学路はもちろん、途中にある脇道や、いつも買い物に行くスーパー、近所の公園まで、全部探した。しかし、桜乃の姿どころか、手がかりすらも見つからない。

 この雨を前にしては、傘なんか全く役に立たなかった。それに加えて水溜りを踏んだり、走るときに勢いよく水を蹴り上げたりして、首から上以外はずぶ濡れだ。

 走り回って、すっかり息が上がっていた。呼吸が無茶苦茶苦しい。しかし桜乃のことを考えると、走らずにはいられなかった。いても立ってもいられない、ってのは、こういうことを言うんだろう。

 桜乃の手がかりなんか、何も残っていないかもしれない。もし何かしらの手がかりがあったとしても、この雨の中、暗い夜道でそれを探しきれるとは思えなかった。

 でも、俺にとって出来ること、今俺が桜乃にしてやれることは、全力で桜乃を探すことだけしかないんだ。だったら、やらなくちゃ。

 聞き込みをしようにも、やはり時間が時間だし、この天気のせいもあって、辺りに人の姿はなかった。

 走り疲れて、俺は少しだけ立ち止まった。こんなに走ったのは、どれくらいぶりだろうか。もう桜乃が行きそうな場所は全部回ったが、もう一度、通学路の方へ行ってみよう、そう思って暴れる心臓を押さえ込み、再び俺は走り出そうとした。

 と、そのとき。

 ポケットから、着信音が鳴り始めた。

 急いで取り出し、ディスプレイを覗き込む。相手の名前は――「桜乃」!

 さっき電話をかけたときは電源が切れていたのに、どうして今頃になって桜乃から電話が? と、少し疑問に思ったが、今はそれどころじゃない。急いで通話ボタンを押す。

「……んなさま、だんなさま!」

「桜乃か!?」

 携帯電話から聞こえてきたのは、まぎれもなく桜乃の声だった。どうやら、最悪の事態にはなっていないようで、俺はほっと胸をなで下ろした。

「良かった、本当に良かった……!」

 桜乃の声を聞いただけで、彼女から「だんなさま」と呼んで貰えただけで、こんなにも安心出来るとは思わなかった。

 しかし、桜乃の声はか細く、おまけに急いでいるような感があった。安堵したのもつかの間、俺の心に再び不安が圧し掛かる。

「桜乃、今どこに居る!?」

 電話から、桜乃の荒い息遣いが聞こえる。走りながら電話をかけているようだ。何のために走っているのか、予想はついたが答えを言うのは怖かった。

「桜乃は、今、だんなさまと、かぐちゃんと、いっしょに行っ」

 途切れ途切れの声が、突然消えた。それから続いて、ガチャン! という硬い音――多分、携帯電話を地面に落とした音だろう――と一緒に、短い悲鳴が小さく聞こえ、あとは雨音がノイズとなって聞こえてくるだけだった。

 顔から血の気が引いていくのが分かる。携帯電話を落とした音と一緒に聞こえた悲鳴と、走りながら電話をかけるという状況が、桜乃の身の危険を物語っている。

 俺と、神楽と、一緒に行った……そんな場所に、桜乃は居る。

 俺はすぐさま通話を切ると、今度は神楽に電話をかけた。三人で一緒に行った場所なんて、買い物以外には、あそこしかない。

 俺も桜乃も学校があるし、特に俺はバイトにも行かなきゃならないから、あまり一緒に出かけることはなかったもんな。思い出の場所が少ないことに、少しだけ申し訳ない気持ちになったが、今はそれが役に立っているなんて、全く、皮肉なもんだ。

 二度目のコール音が鳴ったあと、神楽に電話が繋がった。実家にかけたときと同じ素早さだったが、今だけは神楽が電話に出るまでの間が、すごく長かったように思える。

「もしもし、どうしたの? 和樹君」

「急いで車を出す準備をしてくれ! すぐに家に戻るから!」

 神楽の言葉を全く聞きもせず、俺は走り出しながら言った。急がないと、桜乃がどんな目に遭わされるか、想像するのも怖かった。

「桜乃の居場所が分かったんだ!」

「何ですって、本当!?」

 少しだけ神楽の声が明るくなった。安心するのはまだ早いぞ、神楽。むしろ、これから大急ぎで、出来る限り早く、あの場所に向かわなきゃならないんだから。

 俺と、桜乃と、神楽との三人で行った場所、それは、あの自然公園しかない!

 俺はそれ以上何も言わずに電話を切ると、肺がぶっ潰れそうなのも気合いで振り切って、全力疾走を開始した。

 

 

 足をもつれさせて、桜乃は転んでしまいました。がんばろうとは思うんだけど、やっぱり怖くて、うまくいきません。まるで、この体が桜乃の体じゃないみたいに、言うことを聞いてくれないです。

 でも、だんなさまの声が聞けて、ちょっとだけ安心しました。今朝いっしょに学校に行くときは、だんなさまは何も言ってくれませんでしたし、何だかだんなさまの声を聞くのが久しぶりな感じがしました。

 良かった、って言っただんなさまの声は、お電話越しだったけど、すごくあったかい気がして。

 転んだときに、ひざをすりむいたみたいで、足がジンジンとしびれました。すごく痛くて、涙が出そうになります。でも、だんなさまが来てくれるまで、がんばって逃げないと。

「待てよ、このガキ!」

「さっさと捕まえろ!」

「どうせ逃げられっこないって! おとなしくしてろよ、クソガキ!」

 四人の男の人のうち三人が、桜乃を追いかけてきていました。一人は車に戻ったみたいで、多分、車で桜乃を追いかけてくるつもりなんだと思います。

 ひざが痛いのを我慢して、桜乃はすぐに立ち上がると、みんなでお弁当を食べた広場に向かって逃げ出しました。どうしてそっちに逃げようと思ったのか、桜乃にもよく分からないけど、だんなさまの笑った顔が頭に浮かんで、自然とあの広場に向かっていました。

 後ろを振り向かないように、桜乃は力いっぱい走ろうとしました。だけど、やっぱり何だか体が固くて、重くて、うまく走れません。

「待てって言ってんだろ!」

 いきなりお洋服の襟首を掴まれて、桜乃は倒れそうになりました。首が絞まって、ちょっとだけ息が出来なくなって、心臓が止まるかと思いました。

「手間かけさせやがって」

 ぐいっと引っ張られて、桜乃を捕まえた男の人の方に向き直されると、男の人は桜乃を怖い顔で睨みつけてきました。悲鳴が出そうになったけど、喉が詰まったみたいな感じがして、声が出せません。

「ちょーっとおいたが過ぎるぞ、クソガキ。こういうときは、ちゃんと叱らなきゃなあ」

 雨でずぶ濡れになっている男の人が、そう言って手を振り上げました。目はすごく怒ってるけど、お口は笑っていて、その顔がとっても怖くて、桜乃は目を閉じてしまいました。

 

 

「おい、もうちょっと安全運転出来ないのかよ!」

 神楽の車の中で、左右に大きく揺られながら、俺は悲鳴に近い声を上げた。

「安全運転なんて、してる暇ないでしょ!」

 確かにそれはそうなんだが、蛇行する山道を、時速百キロ近いスピードで走るってのは、同乗者からすれば生きた心地がしないもんだ。

 山道に入るまでの道も、他の車通りが有ろうが、急カーブが有ろうが、お構いなしにアクセルをベタ踏みして突き抜けていた。心配なのは分かるが、これじゃ警察にスピード違反で止められたって文句は言えない。交通事故を起こしてないのが不思議なくらいだった。

 神楽の運転は、いつもは至って安全快適なんだが、今じゃ対向車線に飛び出すのだって、爪の先ほども気にしていないようだ。

 しかし、急がなきゃいけないってのは分かっている。この半ば暴走している荒っぽい運転だって、口では文句を言ってるが、むしろグッジョブと言いたい。

 下手を打てば、スリップしてガードレールを突き破るかもしれない、と本気で思えるほどの勢いで車は坂道を上り、あっと言う間に自然公園の駐車場へと到着した。

 以前行ったときは沢山の車が停めてあった駐車場も、今はがらんとしている。しかし、そこに一台の車が乱暴に停めてあるのを見つけて、俺は「桜乃はここに居る」という確信を持った。

「停めるわよ!」

 言うが早いか、神楽はアクセルから足を離して、今度はブレーキをべったりと踏みつけた。雨に濡れたアスファルトの上をスリップし、二、三度回転しながら、甲高い音を立てつつ車が停止する。

 乱暴すぎるを通り越して、死ぬつもりとも思える運転から開放されて、俺は大きく息をついた。

 しかし、脱力している暇はない。傘も差さずに外へ飛び出ると、桜乃に電話をかけつつ、先に停めてあった車に向かって走った。

 中には誰も居なかったが、トランクは開けっ放しになっている。そちらの方を覗き込んだところで、俺は息をのんだ。

 そこにあったのは、間違いなく桜乃の赤いランドセルだった。ベルトの部分に下げてあるタグに、「はせがわ さくの」の文字があった。更に辺りを見回してみたところで、俺からの電話を着信した桜乃の携帯電話が、遠くの方でランプをチカチカ光らせているのも見つけた。

「神楽、桜乃はここに居る! 手分けして探そう!」

 俺と同じく、傘も差さずに車を降りてきた神楽に向かってそう叫ぶと、俺は答えも待たずに走り出した。

 この広い公園の中から、急いで桜乃を探し出さなきゃならない。

「待ってろよ、絶対助けてやるからな、桜乃!」

 握った拳に力を込めると、俺は奥歯をぎりっとかみ締めた。募る不安と恐怖を、取り払おうとするように。

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