初日 夜
初日、夜
こんな事、呑まないとやってられるかクソッタレ。
そう思って侯爵邸を後にして、止みそうにない大雨の中、俺の行きつけの酒屋で一杯やる事にした。
いつもの酔いどれ鬼人でも別に良かったが、雨の所為で食欲は無いし、気分的に騒がしい店に行きたくはなかった。
この店は落ち着いた雰囲気の店で、店内は少し暗く、いくつか小さめの食卓と椅子があるだけであまり大きくはない、隠れ家の様な店だった。
そして何よりも、この店の酒が美味い。
店主自ら作る酒は、客層やその時の気分によって、酒と果実の絞り汁を組み合わせて、様々な味の果実酒を提供する。
この酒が強めに味付けされた豆とうまく噛み合う。
何度でも来ようと思えるほどの店であった。
そしてこの店に初めて来たであろうロイドは、バーだのカクテルだのと良くわからない事を言っていた。
「お前こういう所に来たことあんのか?」
「いえ、ここでは初めてです」
つまりそれは来た事があるって事じゃねぇのか?
まぁいいか、と思い直して強めの酒を作ってもらう。
何の果実が入っているのかわからないが、琥珀色の甘めの酒が作られた。
一口舐める様に飲むと、喉から胃袋にかけてカッと熱くなった。
ふぅ、と熱い息を吐き出して、煙草を咥えて背もたれに体重を預けると、ミシッと少しだけ音が鳴った。
咥え煙草で燻らせて、薄暗い天井に向かって広がっていく紫煙を見ながら、どうやって説明しようかと少しだけ考え込む。
この場合は何から説明するか、だろうか。
不規則に広がっていく紫煙と同じ様に、思考はうまく纏まらず、むしろアレコレと余計な物まで思い浮かんでしまった。
あぁ、……めんどくせ。
思考が纏まらない事に対してほんの少し苛立ち、それを誤魔化すために酒を一息にキュッと飲んでしまうと、鼻からムフーと、むせ返る様な熱い息が出て来た。
「……店主、もう一杯だ。濃いぃのを頼む」
「……はいよ」
そう言って、愛想の無い初老の店主が新しい酒を作り出した。
横で呑んでいるロイドは、少し心配そうな声で台詞を吐いた。
「……おっさん大丈夫っすか?」
「……そういう気分なんだよ。ほっとけ」
「へいへい」
そういうロイドは黄色い、弱めの酒を飲んでいる様だ。
女ならともかく、縦長の硝子に入った華やかな色合いをした酒は、ロイドの見た目に全く合っていない。
「お前こそ、弱いやつ呑んでんじゃねぇよ。全く似合ってねぇぞ」
「長く楽しみたいんですよ」
そう言って軽く硝子に口をつけた。
そんなやりとりをしていると、新しい酒が俺の前に出された。
真っ赤な色をした酒は、甘めの香りがしている。
一口、舐める様に口をつけると、先程まで飲んでいた酒と比べて弱めに作ってある様だった。
……いらん気を使いやがって。……でも美味いな。
そこでふと、左手の指が少し熱いのに気がついた。
左手を見やると、人差し指と中指に挟んだ煙草が、いつの間にか根元まで灰になっていた。
慌てて灰皿に煙草を放りやると、フフッと、少し控えめな笑い声が聞こえた。
声がした方を見やると、ロイドがニタニタと笑っていやがった。
「……テメェ気がついてんなら言えよ」
「たからさっき大丈夫っすかって聞いたでしょ?」
「……ちっ」
ぐうの音も出ない。
舌打ちして新しい煙草に火をつける。
「おっさんまた煙草を変えたんすか?」
そんな質問が横から投げられた。
ロイドも自身の煙草に火をつけたところの様だ。
「俺はその日の気分で変えてんだよ」
「知ってますか?煙草をコロコロ変える人は浮気性らしいっすよ?」
初耳だ。
だが、案外当たっているのかもしれない。
未だに一人の女で長く続いた事が無かった。
しかもその全てでフラれている。
みんな、俺があっちこっちフラついてるのが気にくわないのだろう。
多分。
「俺は一人に縛られるのは嫌なんだよ」
くだらないやりとりはこの辺にして、いい加減本題に入らないと俺が潰れちまう。
そう思って辛い豆を三粒程口に放り込む。
一口酒を舐めて辛さを洗い流し、一度深く紫煙を吸い込む。
順序立てて説明するのも面倒臭いので、思いついた事からそのまま口に出した。
「……領土問題ってのはな、塩の利権問題も関わってるんだわ」
「…….塩っすか?」
ロイドはあまり興味が無さそうだ。
火をつけていない煙草を指の間でクルクル回して遊んでいた。
「あぁ。ちょうど国境にデカイ塩湖がある。昔はそれでバチバチやり合ってた」
「へぇ、塩で戦争ですか?」
ちょっと興味が湧いた様で、手遊びを辞め、顔をこっちに向けてきた。
「塩が無けりゃ人間死んじまうからな。何より高価だ。金儲けにはもってこいだろ」
「確かに」
「それでも、ここ三十年近くは揉め事は起きてなかったんだがなぁ」
「三十年になんかあったんすか?」
……知らんのかよ。
思わず絶句してしまう。
それなりの年代の奴らなら、大抵は知っているもんなのだが。
「……そのデカイ塩湖、ゼンジェヅ塩湖って言うんだがな、そこは両国の共有地にしたんだよ。一年の中で切り取る塩も量を決めてな」
「……なんでまた急に争いをやめたんすか?」
本当に知らねぇんだな。
「……知らねぇのか?クマナヴァ王国はな、三十年前に王朝が変わってんだよ」
「……俺が生まれる前っすね」
……へこむぞクソ。
苛立ちまぎれに酒を飲み干し、新しい酒を注文する。
店主が呆れた様な顔をして酒の製作に入った。
「……当時の王様はな、糞真面目で、融通がきかなくて、極端だったんだわ」
「……どういう事っすか?」
「……当時の法律ではな、窃盗は死罪、強姦は一族皆殺し、殺人はその集落全員殺された」
「……苛烈っすね」
そんな生易しいもんじゃなかったな。
思い出すだけでも気分が悪い。
ちっさいガキが、パンを盗んで処刑されたのを聞いた時は本当に吐いてしまった。
沈んだ気分を紛らわす為に、新しく煙草に火をつける。
ロイドも手遊びしていた煙草を咥えた様だった。
目の前に魔法で火を出して着火してやると、ロイドはちょこんと頭を下げた。
「……初めは普通だったんだ。だがだんだんと、犯罪が起きるに連れて罰が厳しくなっていった。罰を重くすれば、誰も犯罪を起こさなくなるだろうってな。……でも完全には無くならなかった。んで、気がついたらとんでも無い事になっていたわけだ」
「それで殺されたんすね」
「あぁ、当時の王子が宰相、騎士団と共謀して父親である王を殺してな」
「……思い切りましたね、その王子様。英雄ってヤツですか?」
唐突な褒め言葉に頬の筋肉が緩むのがわかる。
自分でも現金なもんだと思う。
実際はただの人殺しなんだがな。
誤魔化しで煙草を深く吸い込むと、変なところに入ったのかゲホゲホと咳が出てしまった。
ひとしきり咳を出し、気管が落ち着いたところで一度深呼吸をして呼吸を整える。
「えぇいクソ……英雄なんてご立派なもんじゃねぇな。……んでもって最後には王子様は行方を眩ませて、当時の宰相に王位を譲ったんだ」
「へぇ、王子様が王位を継がなかったんすね」
「王朝が変わったっつったろ?」
「……つまり当時の王子様は、全部の責任を放り出したわけっすね」
……自分がやった事で、自覚もしているが、人からそう言われるとなかなかへこむな。
褒められた直後だったからか、心の傷も意外と深くまで入ってしまった。
「……そういうこった」
そう言ってまた新しい酒を一気に呑んでしまう。
熱い息を吐き出すと、視界が一瞬だけ真っ暗になり、その後は景色が歪んで見えた。
こりゃあ酔ってるな。
改めて自分で再認識する。
「……その辺にしといたほうがよく無いっすか?」
「……今日は酔い潰れたい気分なんだよ」
「……ダメだこりゃ」
この後二杯の酒を呑んで、そこから後の記憶が綺麗にプツリと途切れてしまった。
夢の中でガキな自分が、「責任を取れ」としつこく耳元で囁いていた。




