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日もどっぷり暮れて、橙色した真ん丸お月様がドスンと鎮座した夜、でかい屋敷の外で、最後の仕事の前の一服をしていた。
風は比較的強く、生暖かい風が頬を撫でる。
仕事の総仕上げだが、難易度は大して高くない。
少なくとも、ヘンリー=ダルハウジーという一貴族が、ラックベインの奴よりも強いという事は無いだろう。
煙草の火が風に煽られて、ジジッと音を立てた。
最後に一口吸って、火を指で捻り消す。
シュウと紫煙を吐きながら、コキコキと首を二度鳴らして、最後に深呼吸をする。
これで最後。
「さて、いきますか」
そう独り言を呟いて、二、三度屈伸をしてから勢い良く飛び上がり、三階の窓の縁に飛びつく。
窓を押すと、鍵がかかっておらずすんなりと開いた。
心の中で「不用心な、でもラッキー」などと思っていると、中に人がいるのに気付いた。
……ひょっとして、ビンゴ?
男は酒を煽った直後の様で、フゥと溜息を吐いた。
口髭を蓄えた、細身だが引き締まった体をした男。
事前に聴いていた容姿と合致する。
ヒュウと、外から室内へ、夏の夜の生暖かい風が流れ込み、蝋燭の火が消された。
辺りが闇に包まれた。
そして部屋の灯りが落ちた事により、異常に気付いた男がこちらに振り向く。
「ヘンリー=ダルハウジー伯爵で間違いありませんね?」
あえてゆっくりと近づく。
突然の事態に驚いているであろう男は、深呼吸をして心を落ち着けていた。
へぇ、流石にある程度の肝は座ってるか。
男は更に気丈にも、睨みつけるようにこちらを見て、口を開いた。
「……随分と礼儀を知らないとみえる。窓から入って来るのも、始めに相手から名乗らせるのも失礼だと知らないのか?」
まさか悪者から礼儀を教わるとは思わなんだ。
「非礼はお詫びしますよ。でもまぁらこれからもっと失礼な事させて貰うんでね。勘弁してくださいよ」
そう言って、また一歩近づく。
「……何のつもりだ?」
「いやまぁ、一言で言うとですね」
また一歩近づく。
「あんたのお命、頂戴させて貰います」
予想していたのか、それほど動揺した様子は無かった。
「……理由を聞こうか」
そしてただ淡々と、理由を尋ねてくる。
悪の親玉らしく、そこそこどっしりと構えている。
「コーネリア=クロフォード」
一瞬、奴の眉間に深い皺が寄った。
「……あの女か。いくらで雇われた?」
あの女とは、随分と失礼な言い方だ。
そして少し頭にきたので、ほんの少しおちょくってみる。
「知っていますか?愛はプライスレスなんですよ」
「……何を言っている?」
そりゃあ前世の言葉が通じる訳は無いわな。
「……まぁ、簡単に言うとな、惚れた女にお前を殺してくれって言われたんだわ」
今度こそ、奴の顔に驚愕の表情が浮かんだ。
別に勝負をしているわけではないが、何と無く勝った気がした。
「貴様、正気か?」
そんな訳がない。
自分がイカれているのは、よーくわかっている。
「いんや、俺の気持ちは全部コーネリアに持って行かれたの。だから死ね」
そう言って、一歩前に進む。
「待て」
奴が一歩下がる。
「待たない」
また一歩進む。
「取引をしよう」
もう一歩下がる。
「しない」
さらにもう一歩。
「何が望みだ?」
さらに奴が後ろに下がる。
しかしもう後ろは行き止まり。
「俺が望むのは俺とあいつの明るい未来なの。そしてお前はその未来にいたら邪魔なんだよ。他には何も言うことは無いのかい?」
半身になり、少し腰を落とした。
「地位も名誉も金も与えよう。だから俺につけ。ウォルグリーンの奴よりも良い目に合わせてやる」
くだらない。
「地位も名誉も興味無いし、金は自力で手に入れるさ。もう他に無いな。じゃあ死ね」
奴が、腰に挿してある片手剣に手をかけた。
遅い。
大きく左足を一歩踏み込む。
ずだん!と大きな踏み込み音。
勢いをそのままに、右の手刀を男の首の右側へ。
勢いよく、無駄な力を入れずに振り抜くと、次の瞬間、男の首が宙を舞った。
灯りがないせいで真っ黒に見える血が、傍の寝台を同色に染め上げていく。
そしてほんの少し、飛沫が顔にかかってしまった。
さて、これで全部おしまい。
随分と呆気なかったな。
とっととウォルグリーン領に戻るかね。
そんな事を思いながら、顔についた血を拭い、煙草を口に咥えて窓から飛び降りた。
どすっ、という着地音。
下が芝生で良かったと思う。
大きな音を立てないで済む。
シュボッ、と音を立てて煙草に火をつける。
スウッ、と意識して深く紫煙を吸い込む。
シュウ、と歯の隙間から紫煙を吐き出す。
紫煙は風に煽られて、一瞬で消えていった。
翌日、ヘンリー=ダルハウジー伯爵の暗殺事件は、瞬く間に国内全土に広がっていく。
しかし数日もすれば、この事件の話をする者は殆ど居なくなった。
雑多な噂やニュースが国内を行き交い、この事件は人々の記憶の片隅に追いやられていった。
何処かの有能な侯爵の手によって。




