46.閑話、ヘンリー=ダルハウジー
カチャカチャと、家令が晩酌の支度をしている。
椅子に座ってその姿をぼうっと見ていた。
こんな時でもこの初老の男の作業する姿は淀みがなく洗練されている。
長年支えてきて、幾つもの経験をしてきたこの男に、迷うという事はきっと無いのだろうと思った。
「では、失礼します」
そう言って、家令が一礼し、扉を閉める。
そしてはぁっ、とため息が自然と出てきた。
心の底から、あの男が羨ましいと思った。
あいつの落ち着きが俺にもあればな……。
そんな嫉妬と羨望の入り混じった物思いにふけながら、酒を舐めるように飲んだ。
日中は何をしても頭に入って来なかった。
治水の件、貿易の件、鉱山の件、どの案件も順調に進んでいる。
しかし、今最も重要な案件が進んでいなかった。
それどころか情報一つ入って来ていない。
ラックベイン一味が襲撃に合っている、という情報が入ってきたのは、すでに幾つかの支部が潰された後だった。
つまりそれだけ速やかに殲滅されているという事だ。
そして、奴らに、というよりも私に正面切って抗争を仕掛ける人物を、私は一人しか知らない。
アレックス=ウォルグリーン
おそらくは、私の力を削ぐのが一番の目的であろう。
そして奴の所には一匹、とんでもない奴が居る。
通称「青鬼」。
そんなふざけた二つ名を持った男は、最速でAランクまで上がり、間も無くSランクに到達しようとしている。
何をもってしてそんな男を手懐けているのかはわからないが、どの道脅威であることには変わりがない。
日が沈んでからも胸騒ぎが収まらず、何をしていいのか分からずに、食事と風呂以外は只管自室で、室内の端から端までウロウロとしていた。
何故だ、と思う。
ラックベインと連絡が取れない。
あちらから連絡が来ないし、こちらから連絡を取ろうとしてもつながらない。
しかし、あの男ならばそう簡単に負ける事はないはず。
奴を引き入れたのは、純粋にその強さが役に立つと思ったからだ。
例え青鬼相手であったとしても、十分に勝機はあると思う。
ついでに奴の、嬉々として殺す残虐さと、異常な性癖も戦闘に役立つだろう。
それなのに連絡が取れない。
嫌な汗が背中をつたう。
奴も殺られてしまったのだろうか。
そんな後ろ向きな考えが浮かんでは消える。
気を紛らわそうと、強目の酒を一息に呷り、フゥと溜息を吐く。
そんな時に突然、夏の夜の生暖かい風が頬を撫でた。
続いて甘い香りが鼻腔をくすぐる。
一瞬風が強くなり、蝋燭の火が消える。
辺りが闇に包まれた。
そこではたと気づく。
窓は閉めたはず。
嫌な予感がする。
背筋がゾクゾクする。
ゆっくりと窓へ振り返ると、男が立っていた。
月明かりの逆光で顔は伺えないが、長身で筋骨隆々とした男。
ふと気付いたことが一つ、この甘い匂いはラックベインの奴が吸っていた魔力煙草の香り。
しかし背格好は明らかに奴よりもひと回り以上大きい。
……何故この男から奴と同じ匂いがする?
嫌な予感がする。
そもそも、この部屋は三階にある。
どうやってこの部屋に、しかも窓から入った?
「ヘンリー=ダルハウジー伯爵で間違いありませんね?」
男がゆっくりと近づいてくる。
自身の意思とは関係なく、足がガクガクし始めた。
震えが止まらない。
呼吸が浅くなる。
思いの外、丁寧な口調だが、それが余計に気持ち悪さを助長させている。
そしてただ話しかけられただけなのに、物凄い威圧感を感じる。
しかし貴族として、ダルハウジー伯爵として、無様な姿を晒すわけにはいかない。
意識して深呼吸をし、心を無理にでも落ち着ける。
「……随分と礼儀を知らないとみえる。窓から入って来るのも、始めに相手から名乗らせるのも失礼だと知らないのか?」
深呼吸をしても、思った程に心は落ち着かなかった。
それでも今、貴族としての吟醸だけで、この男と相対する事が出来ている。
「非礼はお詫びしますよ。でもまぁらこれからもっと失礼な事させて貰うんでね。勘弁してくださいよ」
そう言って、また一歩近づいて来る。
「……何のつもりだ?」
「いやまぁ、一言で言うとですね」
また一歩近づいて来る。
やっと顔がわかった。
人相は整っているが、悪い。
口元に笑みを浮かべて、少しふざけた雰囲気を醸し出している。
しかしこの男の、特徴的な鋭い目元は全く笑っていない。
「あんたのお命、頂戴させて貰います」
この様子だと、おそらくラックベインは殺られたのだろう。
そしてラックベインを殺せる男に、私がかなうわけもない。
しかし……
「……理由を聞こうか」
人間ならば理由の如何によっては、こちらに寝返らせる事だって出来るはずだ。
そして、ここで寝返らせる事が出来なければ、全ては終わってしまう。
「コーネリア=クロフォード」
随分と懐かしい名前を聞いた。
昔、可愛がっていた女の名前だった筈だ。
今更、復讐のつもりだろうか。
「……あの女か。いくらで雇われた?」
「知っていますか?愛はプライスレスなんですよ」
「……何を言っている?」
男は突然妙な事を口走った。
「……まぁ、簡単に言うとな、惚れた女にお前を殺してくれって言われたんだわ」
ガラリと口調が変わった。
そして男の返答は予想外のも物だった。
この男は正気だろうか?
惚れた女の為に、伯爵家を敵に回すという愚行を侵すのは、正気の沙汰でない。
しかし今まさに、この男はラックベイン一味を潰し、私の首にまで手を伸ばそうとしている。
「貴様、正気か?」
「いんや、俺の気持ちは全部コーネリアに持って行かれたの。だから死ね」
男が一歩進む。
「待て」
私が一歩下がる。
「待たない」
また一歩進む。
「取引をしよう」
もう一歩下がる。
「しない」
さらにもう一歩。
「何が望みだ?」
さらに後ろに下がる。
しかし、カツンとかかとが壁に当たる。
「俺が望むのは俺とあいつの明るい未来なの。そしてお前はその未来にいたら邪魔なんだよ。他には何も言うことは無いのかい?」
男が半身になり、少し腰を落とした。
「地位も名誉も金も与えよう。だから俺につけ。ウォルグリーンの奴よりも良い目に合わせてやる」
しかし男の目には、迷いが無い。
「地位も名誉も興味無いし、金は自力で手に入れるさ。もう他に無いな。じゃあ死ね」
一か八か、腰に挿してある片手剣に手をかける。
その瞬間、男が消えた。
そして突然視界が変わった。
正面を向いていたのが上を向き、天井が見えたかと思うとそのまま反対側の壁、そして床へと視界が変わる。
どすっ、という衝撃。
床に倒れたのかと思ったが、どうにも様子がおかしい。
何故私の視界に、首の無い私が写っている?
私の体の向こう側で、青鬼が煙草に火をつけて、窓から飛び降りていった。




