32.閑話、元娼婦と過保護な兄貴
覚悟を決めたつもりなのに、何度も「これで良いのか」という言葉が頭をよぎる。
……でも、もうこれで、後戻りは出来ない。
「いい子だからここでまってな」
「……わかった。でも貴方も気をつけてね?こんなこと言える立場じゃないんだけど……」
「大丈夫だ。青鬼は強いんだぞ?物語でもそうなってるだろ?」
私は精一杯の虚勢を張って、ククスクと笑っ笑ってみせた。
「そうね。そして優しいのよね…」
そう言うと、彼は居心地が悪そうにした。
相変わらず、褒められるのに慣れていないみたいだ。
でも、彼が優しいのは本当。
そして私はその優しさを、利用する。
「じゃあな、行ってくる」
そう言って頭を撫でてくる。
きっと慣れていないのだろう。
少しぎこちなかった。
彼が私に背を向けて、部屋の扉に手をかける。
「……行ってらっしゃい」
出そうと思っていたよりも、か細い声が出てきた。
きっと彼は、私が望めば何でもしてくれる。
実際に彼は、私の「人を殺してほしい」というとんでもない我儘を、至極あっさりと了承してくれた。
仕事柄、殺める事には慣れているのだろうが、それでもこんな馬鹿な我儘を聞いてくれる人なんて、そうそういないだろう。
むしろ、「人を殺してほしい」とお願いをした私の方が、覚悟ができていない気がしてきた。
コンコンと、扉を二回叩く音がした。
「どうぞ」
そう声をかけると、とても綺麗で冷たい顔をした男が入ってきた。
服装は文官の制服。
だけど、左の胸につけられている紋章を見ると、その男が高官であることがわかった。
「初めまして」
声質も冷たい。
あまりお近づきになりたい部類の人間では無かった。
「……初めまして」
思わずこちらの声も硬くなってしまう。
「構えなくていい。私はロイドの兄だ」
衝撃の事実だった。
人相が悪い良い男、というよくわからない評価は一緒だと思う。
でも顔も声質も、彼はこんなに冷たくはない。
彼はガラが悪い顔立ちをしているけど、なんとなく愛嬌のある顔立ちをしている。
それに彼はいつも面倒くさそうに、でも暖かな声色をしていた。
でもこの男は違う。
顔も声も瞳も、暖かみが全くない。
まるで自分以外はみんな敵だと思っている様な雰囲気だった。
「いつもあいつが世話になっている様だな。礼を言う」
全く礼を言う様な顔色でも、声質でも無い。
社交辞令で言っているのがよくわかる。
「だが、一つだけ言わせていただく。これ以上あいつを利用するな」
釘を刺されてしまった。
そりゃあそうか、と納得もしてしまう。
私は、この男の家族を人殺しの道具に使っているのだ。
周りから見たら、誰もが私が彼を利用していると思われるだろうし、実際に利用している。
それは揺るぎない事実だった。
「弟の初恋なのであまり口を出すのは如何なものかとは自分でも思うが、これ以上何かするならば、それ相応の覚悟をしていただく」
彼の初恋と聞いて、不覚にも心音が一段跳ねてしまった。
どうしよう……嬉しい。
素直にそう思う。
でも、彼は初恋の人から、人殺しの道具にされるのだ。
この男の言い分に、「……ひょっとして過保護?」と思ってしまった。
「ちょっと過保護じゃないですか?」
思い切って聞いてみた。
弟の初恋云々という理由は、いい年した大人に対して適切な扱いではない気がする。
まるでとってつけたような理由だ。
「今回は事が事だ。少なくとも初恋の相手に人殺しを依頼されるなんて普通は経験しない」
「安心してください。これ以上は私は何も望みません」
「その言葉に偽りはないか?」
「神に誓って」
あぁ、でも。
「一つ望み、ありました」
「……何だ?」
「私は彼と添い遂げたい。……本気よ?」
というよりも、彼に全てを捧げる、といったほうが近いか。
何なら彼の奴隷にだってなっていい。
……彼は優しいから、きっと反対するだろうけれど。
「……ふざけているのか?」
「本気って言ってるでしょ?」
男の射抜くような視線が飛んでくる。
でも、目は逸らさない。
絶対に。
ここで目を逸らしたら、後々後悔する事になりそうな気がする。
しばらく睨み合っていると、唐突に男が「はぁ」と、溜息をついた。
何と無く勝ったと思った。
「……弟をよろしく頼む」
そう冷たく言い放って、男は出て行った。
案外、本当に「弟の初恋を心配そうに見守る兄」だったのかもしれない。
だとしたら、ちょっと申し訳ない事したな、と思った。
私は彼を利用する。
覚悟は足りないのかもしれない。
だからせめて、私は後悔だけは絶対しない。
私が後悔して仕舞えば、彼に対して申し訳が立たないから。




