28.閑話、地獄から抜け出す為に
私は今、人生の中で最も幸せだ。
忌まわしい娼婦の仕事からは抜け出せていない。
でも以前の仕事と比べると、天と地程の差がある。
彼と過ごす毎日が、私が娼婦であることから忘れさせてくれた。
普通はお客様が娼婦に入れ込むものだけれど、この人には私が入れ込んでいるのかもしれない。
一緒に暮らしてわかったこと。
彼は侯爵様の専属冒険者。
しかもAランク、無茶苦茶強い。
ひょっとしたら私に惚れている……かも。
つまり、今までにあったどの男よりも男前で、優しく、頼りになる。
ついつい彼の前では甘えてしまい、子供のような態度を取ってしまうことがある。
それは打算という意地汚いものではなく、自然と、元からそんな関係だったかの様に、子供っぽい態度を取ってしまう。
それでも彼は、いつも笑って許してくれる。
愛おしそうな目で、私を見てくれる。
彼ともっと早く出会えていれば、もっと楽しい、充実した人生を歩めたかもしれない。
そう思える程、夢の様な生活を過ごせていた。
でも、彼からお金をもらう瞬間、一気に現実に引き戻されてしまう。
お前の幸せは幻想なんだと、お前に幸せになれないと言われている様な気がした。
「ごめんください」
うだるような暑さの日、ある日男が一人訪ねてきた。
ちょうど彼が仕事でいない時間だった。
「はーい」
特に警戒することもなく扉を開けると、凡庸そうな男が立っていた。
何処にでもいそうな、冴えない男。
服装も何処にでもいそうなもの。
でも何かがおかしい。
強烈な違和感を感じた。
「ユリアさんですね。それともコーネリア嬢とお呼びした方がよろしいかな?」
猛烈な寒気と恐怖が襲ってきた。
……何故この男は、私の名前を知っているの?
違和感の正体が分かった。
目つきが悪いどころではない。
まるで蜥蜴のような、冷たい感情のこもっていない瞳。
この目をしている奴らを、私は知っている。
射竦められて、身体が言うことを聞かない。
呼吸が浅く、身体が動かず、声を出すことができない。
「あのお方からの指令だ。青鬼の情報を集めて報告せよ」
……捨てたくせに、使えると思ったら当たり前のように命令を出してくる。
勝手だ。
イライラする。
でも身体が動かない。
「よもや嫌だとは言わないよな?」
声が出ない。
でも必死で、首を横に振った。
誰があんた達の言いなりになるもんですか。
なけなしの意地だった。
「……情がうつったか?」
男の手が、ゆっくりと私の首に添えられた。
「……そうか、……まったく……これだから女は面倒くさいんだ。……もう要らないな。廃棄処分させて貰う」
添えられた手に、ゆっくりと力が入っていく。
……あぁ、もう本当に、これでおしまいなんだ。
やだなぁ、……最近は楽しかったのに。
でも、最後だけでも楽しくってよかった……。
「お前、俺の女に何してくれてんだコラ」
急に男の身体が宙に浮くと、彼の声が聞こえた。
いつもの優しい声とは違って、冷たく、静かに、恫喝する様な恐ろしい声。
男の後ろに、身体を青く光らせた鬼が立っていた。
男は彼に頭を掴まれて、宙吊りにされていた。
しかも片手で。
どんな力をしているんだろう。
でも、こんなにも頼りになる人、他にはいない。
「ユリア、ちょっと目を瞑ってろ」
彼は怒った顔で優しく囁くと言う、器用な事をしてきた。
彼の声に従って目を瞑る。
何回かグシャッという、何が潰れた音がした。
男の悲鳴は聞こえなかったけど、くぐもった呻き声が聞こえてにた。
そのあとガサガサと衣擦れの音がして、彼の「もういいぞ」という声が聞こえてきた。
目を開けると、男はそこに居なかった。
代わりに、いつも洗濯物を入れている袋が置いてあった。
「ちょっと侯爵様の所に行くぞ」
「……私も?」
「お前一人にしてたら危ないだろーが」
唐突に、頭をパフッと叩かれた。
そのままヨシヨシと、頭を撫でられる。
「……泣くなって。ちゃんと護ってやったろ?」
知らないうちに、涙が流れていた。
……あぁ、私にも……護ってくれる人ができたんだ……。
嬉し泣きなのか、悔し泣きなのか、自分でもよくわからなかった。
色々な事がいっぺんに起きて、頭が上手く回らない。
でもそんな事は御構い無しに、彼は私を連れて、侯爵様の屋敷向かった。
屋敷では私一人だけ別室に案内された。
彼は袋を持ったまま、侯爵様の所に行ったようだった。
一言、ここは安全だから、とだけ言って。
……ひょっとしたら昔の事がばれたかな?
……でも、もう今はやってていないから大丈夫だよね?
……怒られるかな?
……嫌われるかも。
……でもあの時、俺の女って言ってくれた。
……嬉しかったな。
都合の良い考えと、悪い考えが交互に思い浮かぶ。
でも出来るならば、まだ彼と共に暮らしたかった。
でも同じ事がまた起こるかもしれない。
だったらいっそ……
黒い考え事をしながらしばらく待っていると、彼が戻ってきた。
彼は私に何も聞かなかったし、一言「帰るぞ」と言った以外には何も言わなかった。
何も聞かないのは彼なりの優しさなのか。
それともそんな風に指示されたのか。
でもなんとなく、前者のような気がする。
彼は本当に優しい。
彼の善意と好意を利用して、私は今汚い事をしようと心に決めた。
「……殺してほしい人がいるの」




