24
閣下の屋敷を出て自宅に戻る。
辺りはすっかりと夕飯時と言った様相で賑わっていた。
今まではその喧騒の中に自ら飛び込んでいっていたが、今はもうその中には混ざらない。
何人か、馴染みの冒険者や屋台の主人が誘ってきたが、全て断るとそそくさと自宅へと足を速めた。
ただいまと言うとおかえり、という返答。
あぁ……今俺は幸せだ。
今まで無かった返答。
少し高めの声が出迎えてくれる。
家の中に入るとユリアが飯を作っていた。
あの日から彼女はうちで寝泊まりしている。
同じベッドで朝を迎え、同じ食事を取り、同じ時間を過ごし、同じベッドで情事を楽しみ、同じベッドで睡眠を取る。
完全に夫婦、若しくは恋人同士の共同生活。
そこに金銭が動いていなければの話だが……。
それでも今俺は、人生で最も幸福な生活を送っている。
「ご飯、出来てるわよ」
彼女が笑顔でそう言ってくる。
狂おしいほど愛くるしい。
これが心からの笑顔であってくれたらと、儚くも望んでしまう。
「ありがとう」
そう言って彼女に口付けをする。
彼女は自然な動作で瞼を閉じ、顔を少し上に向け、唇を突き出した。
薄眼を開けて彼女の顔を見ると、閉じられた瞳から長いまつ毛が伸びているのが見えた。
「食事にしよう」
「えぇ。早くしないと冷めちゃうわよ」
ユリアはこの家に住むようになってから、率先して家事をしてくれている。
炊事に洗濯に掃除。
まるで主婦だ。
俺は彼女の上辺の行動と、心の中が直結していてくれればと思う。
しかし、きっと彼女の心の中は、俺への愛情では無くお金への愛情で一杯で、彼女の頭の中は、お金へ繋げる為の効率の良い行動を体でどう表現するか、で一杯なのだろう。
俺だっていくら脳筋だとはいえ、彼女の行動が全て打算なのだろうとわかっている。
それでも、彼女は今まで俺の事を詮索するようなことはなかったし、俺が居ない間に家探しをしているような所も無かった。
だからこそ、彼女はシロだと思うし、どうにかして心を金から俺に向けることができないかと考えてしまう。
「今日は何処に行ってたの?」
食事をしながら考え事をしていると、急にユリアの声で現実に引き戻されてしまう。
「あぁ……依頼でな、ちょっと近くの山まで行ってたんだ。少し帰ってくるのが遅かったかな?」
「いいえ、そんな事はなかったわ?お仕事は大事だものね?」
何が可笑しいのか分からないが、ユリアはクスクスと笑い出した。
そして帰ってくるのが遅いと言ってくれなかったことに対して、心の中だけで肩を落とした。
食事が終わり片付けをした後、俺は一人で井戸に向かう。
ユリアはいつも、俺が帰ってくる前に水浴びを済ませてしまう。
一人でのんびりと水浴びをするメリットも無いので、烏の行水よろしくとっとと済ませてしまう。
夜と言えども、まだまだ昼間の名残が残っているおかけで、冷たい井戸水が丁度いい。
髪にかかった水滴を、頭を振る事で水気を飛ばし、ふぅ……と一つ溜息をつく。
……あいつが犬だったらどうしよう。
閣下は面倒事になったらすぐに頼れと言ってくれた。
しかしあの人も決して暇な人間では無い。
寧ろ閣下よりも忙しくしている人なんて居ないのではないだろうか。
そんな人に面倒事に巻き込むのは、やはりというか気がひける。
それでも結局は、面倒事になったら頼らざるを得ないのだろうが。
もう一度溜息をつき空を見上げると、流れ星が一つ流れていった。
あまりに速くて、願い事をする暇も無かった。
体を拭き下着だけ履いて、煙草に火をつける。
シュウと歯と歯の間から紫煙を吐き出しながら、また流れないかな、などと思って空を見上げるが、流れる星は見当たらず、只々綺麗な星空が広がっていた。
紫煙と共に溜息をつき、ガチャガチャと晩酌の準備をする。
持っていくのは薄く色付いたグラスと乾燥させた豆とかなり良い酒。
持って行く場所は寝室。
寝室では彼女が薄い夜着一枚で待っていた。
「ねぇ、ちょっと煙草は消してきてよ」
「あぁそうだった。悪りぃ」
長い事一人で暮らしていたせいで、家の中では歩き煙草が癖になっていた。
慌てて炊事場に戻り、煙草の火を消す。
寝室に戻ると、ユリアは少し頬っぺたを膨らまして、怒ってますアピールをしていた。
普通、娼婦がそんな反応をするか?
そんな事を思いながら、少し子供っぽい彼女の仕草が愛おしく感じた。
「まったく、もう今日はヤらないよー?」
「ごめんって。許してくれ」
だから娼婦の仕事はヤる事だろうに。
そんな事を思いながら、平謝りして彼女のご機嫌取りをする。
俺の口元が苦笑いになっているのはご愛嬌といったところか。
そそくさとユリアの分の酒を作る。
グラスに手をかざし、ほんの少し魔力を込めると、カラン、という音と共にグラスの中に氷が落ちた。
あまり魔法を放出させる事は得意では無いが、酒を作る程度の量ならば造作も無かった。
「……相変わらず魔法って不思議」
「今までの客の中にはこれくらいできるやつだっていただろう?」
ユリアが一瞬、ほんの少しだけ辛そうな顔をした気がした。
次の瞬間にはいつもの顔に戻っていたので、きっと俺の願望が見せた幻想だろうと思う。
彼女は少し上を向き、顎に人差し指を当てて考え出した。
そんなちょっとした仕草が、たまらなく愛おしい。
「……居なかったかなぁ。そもそも相手が何してる人かなんて聞いたこともなかったし」
「そっか、俺がユリアの初体験になったみたいで嬉しいな」
ユリアは少し顔を赤くし、何言ってるのよ、もう……とそう言ってそっぽを向いてしまった。
二人分の酒を作って、片方をユリアに渡す。
共同生活を始めてから、二人で晩酌をする事が、情事を楽しむ時の隠語の様な行動になった。
逆に素面の時は基本的に何もしない。
彼女と肌を何度か重ねて、自然と今の形に落ち着いた。
ユリアはまだ少しむくれていたが、黙ってグラスを軽く打ち合わせる。
カン、と軽い音が響いた。
お互い酒を舐めるように口を付けた後、しばらくとりとめのない話をし、豆をかじってまた酒を舐める。
しばらくそんな行動を起こした後、ユリアがこちらに擦り寄ってきた。
「……今日はするの?」
わかっているのにわざと聞いてくる。
それでも彼女の艶やかな一言は、俺の心をゾクゾクとざわつかせた。
「……当たり前だろ」
そう言って彼女を押し倒し、口付けをする。
彼女の潤んだ瞳と目が合った。
いつも彼女がされるがままの筈なのに、事が終わった後は逆に彼女にされるがままで情事が終わっている気がする。
他の女ではこんな事はなかった。
きっとこれは彼女が娼婦だからではなく、俺が彼女に惚れているからなのだろう。
好き勝手している様で、コントロールされている。
それでもいいか、などと心の中で俺の幼稚な本能が呟いた気がした。




