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涼しい夜が明けて数刻後、若干の蒸し暑さと、左半身の重さで目が覚めた。

俺の左胸の上に頭を乗せ、スヤスヤと寝息を立ているのは裸の女。

今では一足先に起きて、女の寝顔を見るのが、日々の日課になってしまった。

何度も同じ朝を経験しているはずなのに、女の寝顔を見ると、初めての様に新鮮な感じがして、思わず微笑みがこぼれた。

まつげの長い、少し幸の薄そうな、でも素晴らしく美人な女の寝顔。

そのままずっと寝顔を見ていたかったが、そういう訳にもいかない。

ゆっくりと、起こさないように、始めに絡められた足をゆっくりと引き抜き、次に肩に置かれた頭にそっと手を添えて、軽く持ち上げ、ゆっくりと肩をずらして、隙間に枕を滑り込ませる。

彼女を起こす事なく、抜け出せた事にホッとして、まだしっかりと意識が覚醒しないまま、裏の井戸に移動する。

雲一つ無い、真っ青な空。その中に鎮座する太陽が、まだ朝と言える時間なのに、容赦無く暑さを撒き散らしていた。

井戸に桶を放り込み、冷たい水を頭から被る。つい反射的に、息を止めて身体がカッチリと固まってしまったが、すぐに辺りの暑さがまとわりついてきて、冷たい水をちょうどよくしてくれる。

水浴びを何度か繰り替えし、寝ぼけた頭を無理矢理覚醒させて、大きく背伸びをすると、バキバキと背中から乾いた音がした。

そのまま軽く身体を動かし、筋を伸ばす。

そして基本の空手の型に移る。

型を覚えていたのは前世なので、この型がちゃんと合っているのかはかなり怪しい。

身体は自然と動いてくれるが、ほとんどシャドーボクシングの方が近いかもしれない。

ある程度身体があったまってくると、次はその日の気分で身体を動かし始める。

カポエラもどきやテコンドーもどき、中国拳法もどきに合気道もどき。

どれもやった事のない、テレビの中でしか見たことのないただの真似事。

でもこの世界の身体能力ならば、ある程度の動きは叶えることが出来るし、魔法を使えばさらになんだって出来る。

少し前にたまたま色々もどきを見た彼女は、踊っているみたいで綺麗と言ってくれた。

例えそれが世辞でも、今まで褒められた中でもトップクラスの嬉しさがこみ上げてきた。

恥ずかしいので絶対に顔には出さなかったが……。あの時俺は、ちゃんと隠せていたであろうか。


しばらく前から、娼婦と共に暮らす様になった。

そして娼婦に本気になってしまった。自分でも馬鹿な事をしている、と思う。

娼婦の身体は金で買えても、心は買う事は出来ない。

そもそも惚れたのは仕事用の顔で、未だ女の本当の顔を見たことがないと思う。

それでも、本能を理性で押さえ込むことが出来なかった。


炊事場へ移動し、煙草に火をつける。

今朝一本目の煙草は、いつもよりズッシリと肺に響いて、酩酊感を与えてくれた。

何より身体を動かした後の煙草は、何となく吸っている時と比べ、はるかに旨く感じた。

そろそろ女が起きてくる頃だろうと思い、咥え煙草のまま、豆茶を二人分入れる。

彼女はいつも、寝ぼけ眼で、俺が二本目の煙草に火をつける頃に起きてくる。

そして、蚊の鳴くような声でおはようと声をかけてくれる。

彼女は素晴らしい程に、朝が弱かった。

今日もまた、二本目の煙草に火をつけた頃に起きてきた。



「……………………おはよう」



「あぁ、おはよう。今日は砂糖は?」


「……お願い」


女が来るまで無かったやり取り。

このやり取りも、毎朝やっているのに、新鮮さを失ってはおらず、そして毎朝のこのやり取りを、楽しんでいる自分がいた。

砂糖を彼女の分だけ入れて渡す。

格好をつけて、自分の分には砂糖を入れない。

それにしても、今朝はいつもと少し違った。

……いつもより、ほんの少しだけ声が大きかった気がする。


「……苦い豆茶なんて美味しいの?」


「慣れれば美味しいよ」


まだ俺は完全に慣れてるわけではないけれど、格好をつけてしょうも無い嘘をついてしまった。


「……変わったもの吸ってるのね」


やはりいつもと違う。いつもは朝からこんなにも饒舌では無かった。


「……そうか?」


彼女がいつもと違う事に気付いてないふりをする。そういう事も大事だと、以前ニックのおっさんが言っていた。


「……吸ってる人は知らないし、今まで見る事も無かったわ……変な臭いだし」


「そうかい。でもこれは譲れないな。」


「……変なこだわりね」


「ほっといてくれ」


彼女の顔が、変わった。真面目だけれど媚びる様な、申し訳無さそうな顔。


「……ねぇ、」


彼女の声色も変わった。


「ん?」


「……お願いがあるの」


酷く真剣味を帯びて、切迫しているような声色。

しかし例えどんな面倒事でも、解決してやりたいと思う。


「……何だ?」


「……殺してほしい人がいるの」


自分が思っていたより上を行く、とびっきりの面倒事が舞い込んできやがった。


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