不死身の青鬼、不死身の吸血鬼
動物の声も、虫の鳴き声も聞こえない程に音が消えた場所で、月明かりに照らされた男は両腕を広げてユラユラと揺れていた。
その仕草がやけに芝居がかっていて、まるで此奴に遊ばれているような気がして腹が立つ。
ぺっ、と口の中に溜まった血痰を吐き出し、詰まった鼻血をふんっ、と吹き飛ばして左手で拭う。
首を二回、ごきりと鳴らして右足を後ろに引き軽く腰を落とした。
「……何故死なない?」
男が心底不思議そうに聞いてきた。
それに対して、お互い様だと思った。
「……そりゃこっちの台詞だ」
殴っても、蹴っても、全く手応えがない。
それどころか、攻撃が全てすり抜ける。
幻影ということはないだろう。
実際に男の攻撃を防御した時は衝撃もあったし、痛みもあった。
「……まさか私と同類か?」
男がまさかといった顔で尋ねてきた。
芝居がかった仕草はそのままに、だんだんと感情が出やすくなってきている。
「ンな訳ねぇだろうが」
溜息を一つ吐いて睨みつける。
勝手に吸血鬼にしてんじゃねぇよ、と思った。
「じゃあ何故死なない」
男が首をカクンと左に傾けて、問い詰めてくる。
何と無く、相手の空気に飲まれそうになっている気がした。
「さてね、教えてやる義理はねぇな。お前こそなんで死なないんだよ」
いつでも動き出せるように重心は落としたまま、胸元を探る。
手に触れた感触に、無事だったかと思い安堵した。
「それこそ答える義理は無いな」
胸元から煙草を一本取り出し、咥えて火を点ける。
相手の空気に飲まれないように、少しでも自分の調子というものを取り戻したかった。
意識していつもより深く、強く紫煙を吸い込む。
紫煙が口と肺を満たす感覚に、何処と無くしっくりくるものがあった。
「あっそ、可愛げがねぇなぁ」
紫煙を吐き出し、咥え煙草のままそう言いうと、落ちていた大きめの石を拾って投げつける。
男は避けようともせず、石が男の体を通り抜けた。
石が男の体に触れた瞬間、その場所だけ霞の様になっていた、気がする。
「お前は吸血鬼に可愛げを求めるのか?」
男が一歩近づきながら尋ねてきた。
相変わらず両腕は広げたままだ。
まるで攻撃してこいと言わんばかりで、完全に挑発されている。
「半端者なんだろ?ていうか真面目に返さないでくれる?」
が、敢えてここは挑発には乗らずに、男の行動を待つ事にした。
先程からこっちから攻撃を仕掛けてはカウンターを貰っていた。
ならば今度は攻撃を受けてやろうじゃないかと、両足を前後に広げて腰を落とし、いつでも動ける様に身構える。
「……変な奴だな」
ちょっと頭にきた。
堪忍袋の尾は簡単に引きちぎれるらしい。
「うわー、女の生き血を啜る奴に変って言われちまったよこんちくしょう!」
初めの一歩でトップスピードにのり、二歩目で前に飛んで抜き手を放つ。
「危ないな」
頭に当たったと思った瞬間、またしても頭が霞の様になってすり抜けてしまった。
「避けんじゃねぇよ!」
着地した瞬間に背後からヌルリとした気配。
「その言葉をそっくりそのまま返そう」
男の抜き手が迫る。
「返品不可だこの野郎!」
全力で振り向き左手でいなそうとするが完璧にはいかず、少し左の掌の肉と右の肩の肉を持っていかれた。
食いしばった歯に挟まれた煙草がミシリと音を立てた。
バックステップで距離を取るついでに、足元の石を男に向けて蹴り上げる。
ぶつかって隙ができれば儲けものだ。
しかし男は向かって来ずにその場に留まっている。
さっきからこの繰り返し。
攻撃をスカされてカウンターをもらいかける。
しかし男の攻撃は散発的で、深追いをしようとしない。
だからこそ俺は倒れる事なく、この男と対峙出来ていた。
「大体少し血を貰うだけで、死んだり従えたりするわけでは無いのだがな」
「えっ?そうなの?」
男の言葉に思わず声が出てしまう。
吸血鬼といえば血を吸った者を眷属に出来るとか出来ないとか。
それなのに何も無いとはこれいかに。
「だから言ったろう。私は半端者だと。ほんの少し首に噛み付いて、血を飲んで終いだ。舐めれば傷跡も残らない」
少し拍子抜けしてしまったが、だからと言って義理とはいえ家族を差し出す気にもなれやしない。
そんな事を考えていたら、思わぬ声が上がった。
「嫌よ!そんな事していいのはレイド君だけなんだから!」
まさかのカミングアウトである。
「……いや、兄貴の性癖を大声でバラされても」
固まっている。
皆が、固まっている。
男も、義姉さんも、当事者達が皆。
風に吹かれた紫煙だけがユラユラと揺れていた。
「……ロイドちゃん!言葉のあやだからね!」
「今の沈黙での所為で説得力が無いんですけどぉ⁈」
馬鹿なやり取りをしている隙をついて男が攻撃を仕掛けてきた。
フワリとした雰囲気の所為か、動きは然程速くは感じない。
実際は半端無く速いので、気を抜けばすぐさまやられそうではあるが。
今もまた、フワリと近づいて右の抜き手。
体をそらし避ける。
右の抜き手から左の抜き手、更に後ろ回し蹴りの連続攻撃。
思わずくらいそうになってしまったがギリギリの所で回避する。
奇襲が失敗したと見るや、またすぐに距離を取る。
……何故この男は、追い打ちをかけない?
さっきの霞になるやつを使えばどうとでもなるはずなのに。
「ふむ、私が思うに、お前はひょっとして人間の中でも強者なのか?」
男が今度は腕を組み、右手を顎にやって面倒臭そうにそう言い放った。
その芝居がかった仕草がやけに似合っていて、無性にぶん殴りたくなった。
「一応一番新しい化け物って呼ばれてるわ!」
一気に距離を縮めて正拳突きを放つが、またもや霞になってスカされる。
しかし今度男が現れた場所は少し離れた岩の上だった。
「そうか。では加減してお前とやり合うのは面倒臭いな」
そんな明らかに強者が弱者に対して使う台詞を、男は高い所から見下ろしながら言い放った。
「……は?」
ぶっ殺すぞ、という気持ち半分、何が起きるんだ?という不安半分。
何をされるのかわからない不安感が、俺の意志を上回ろうとしていた。
「とっとと終わらせるという事だ」
「……おいおいおい」
男が冷たく言い放った直後、月明かりに照らされた影が蠢いた。
小さい物は石ころの影。
大きい物だと岩や散発的に立っている木の影。
その影が渦を巻くように伸びて、俺の周りをグルグルと回っている。
「死ね」
次の瞬間、蠢いていた影が渦を巻きながら一斉に飛び出した。
地面から空に向かって、螺旋を描くように。
「だあっ!面倒くせー!冗談は程々にしやがれ!」
短くなった煙草の明かりは、伸びた影に切り取られて消えた。
漆黒の竜巻の中心で叫んだ声は、肉体を切り刻まれて出た叫び声に上塗りされていった。