後悔を後に立てず・Bパート
……遅れました。ホントにスイマセンorz
―――多分俺が反対側を確認した時に、円形である給水塔を逆から回って来たのだろう。というかそもそもこの人は気配を消すのが上手すぎるだろ。蒼井さんに呼ばれるまで、肩が触れそうなくらいの隣に居る事に気が付けないなんて。
……まあしかしそんな事は後々俺が思った事で、今この時、俺はそこまで頭が回っていなかったりもした。
「あ、あが……」
小さな顔が近い。鼻が触れそうなほどに近づいてくる蒼井さんの瞳は大きめで、澄み切った海のように青い。
肩口で切った黒髪は色素が薄いのか紫っぽく、風に流されカーテンのように靡く。
そして……身を乗り出すように傾く体を支える為に前に置かれた両腕に挟まれて、いつもは気にならない部分が強調されていたりもした。……そういうところが気になるのも、薬の所為なんだろう。きっと。
「樹君、正直に答えて。……樹君から見て、私はどう見える?」
「どう、と、言われて、も……」
今の俺には『俺がすごく危ないです』としか言いようが無い。全くホントに困る。ここまで真っ直ぐ蒼井さんを見れない(しかもいろんな意味で)というのは、結構やばいかもしれない。
「もう、どうしたの?そんな風にしどろもどろしてるなんて、樹君らしくないよ?」
蒼井さんはイタズラっぽく妖艶に笑う(すごくめちゃめちゃ綺麗だ)。―――ってこの人分かっててやってやがる!
「ちょ、は、離れてくださいっ。……な、何かマジでやばそうなんですが……っ!」
「なあに?声が小さくてよく聞こえないんだけど?」
小悪魔みたいに微笑みながらも蒼井さんは真っ直ぐに訊いてくる。その目が今の俺にはとても直視できなくて、必死に全力でグルグル回る頭から、今この場でそれなりに適切な言葉をなんとか引き抜いた。
「あ、蒼井さンハあいつらと比ベてカなりまとモデ、だからおレモ相談しヤすくって、何とイうか、どんな時デモ頼れル先輩みたいな人デスっ……!」
ほとんど片言になりながらも必死で言い切った言葉が押し潰される。
喋った後には他の感情が込み上げて、それが濁流のように押し寄せてくる。
蒼井さんにならまだ許せそうな気もするが、だがしかしやっぱり誇りとかプライドとかみたいな、けど何か違うそれっぽいものに懸けて女性に真正面から『すごく綺麗です』とか『とても可愛いです』とか『人間界に舞い降りた女神様や〜(某宝石箱の人風に』なんて言える筈も無い。(……あ、俺が壊れてる気がする)
蒼井さんはというと、俺の答えを待ちながらニヤニヤ笑っていたが、俺が必死に捻り出した答えを聞くと半眼で俺を睨みながら唇を尖らせて、
「……むー」
と可愛く唸った。やべぇ、死ぬ。
「そういう風に顔を真赤にしながらそんなこと言われたら好きな先輩を前に恥ずかしくて言い訳をする後輩みたいなんだけどね。樹君の場合は言ってることの方が真実なんだから困っちゃうよね〜」
そんな、俺のさっきの脳内を見せたら絶対幻滅されそうな程の過大評価を言いながら俺から離れる蒼井さん。というかその例え、俺の言い訳そのままですよ。
「……でも、私から見た武藤君もそんな感じだよ。どんな時でも頼りになる、私の大切な友達の一人」
何故か嬉しそうに蒼井さんは笑う。……いや、それはいいのだが、わざわざそれを言う為にその”大切な友達”にあんな仕打ちをしたのですか蒼井さん……!
言う事言ったらしい蒼井さんは給水塔の反対側に戻っていく。蒼井さんが視界から消えたところでやっと緊張が解けて、俺はゆっくりと大きな溜息を吐いた。
……マジでヤバイ。こんな事がずっと続いたら、俺が死ぬか壊れるかのどっかになる。絶対。
それもこれもあの飴の所為で、強いて言えばその飴を持ってきた人物の所為でありつまるところ―――
「……ノッポの野郎絶対許さねえ……」
怨念の類のような声で俺はここにはいないノッポに怒りを込める。アイツの所為でホントに最悪な一日だ。もしこの昼休み中に解決法を見つけてなかったら、最低でもこの屋上から逆さ吊りにしてやるっ……!!!
俺は拳を思いっきり横振りで給水塔の壁に叩きつける。中に溜まった水で衝撃が反響し、大きな振動となって手元に返ってくる。同時に反対側からきゃっ、という小さな悲鳴が聞こえた。
「あ! す、すいません! そっち側で蒼井さんが寄りかかってるの忘れてました!」
給水塔越しに謝る。
「ううん、大丈夫。……でもそんなこと言っちゃダメだよ。別にヒムラさんも悪気があってやった訳じゃあないんだから。人間面白そうだと思ったらそっちにフラフラっていっちゃうでしょ。それにさっきも言ったけど武藤君も悪いんだし、そもそも樹君が―――」
「……あの、ちょっといいですか?」
なんかまだまだ続きそうな蒼井さんの説教を遮って、俺は疑問に思った事をきく。
「えっと、……ヒムラって誰ですか?」
「えぇ!? 今更!?」
本当に驚いたように蒼井さんは声をあげる。だがしかし俺の頭の中にヒムラなんて名前は―――
「……ほら、緋斑茜さん。樹君の言ってる……ノッポ、さん」
申し訳なさそうに蒼井さんが言う。……ああ、思い出した。ノッポの苗字・緋斑。無駄にカッコよく難しいからとあだ名を考え、背が高いからということで俺がノッポと勝手に呼んでるんだっけ。
「もう。武藤君ってたまに酷いよね。友達の名前ぐらいちゃんと覚えなきゃ」
「……まぁ、頑張ります」
多分本名を呼ぶことなんて無いと思うが。
「それとさっきの事だけど、そもそも武藤君がちゃんとあの飴の事を確認しないのが悪いんだし、こういうことを起こしたくなかったらもっとしっかりするべきだと思うな。大体―――」
せっかくさっき遮った蒼井さんの説教はまだまだ続く。蒼井さんはたまのスイッチが入るとそうそう止まることはなく、あ、なんか朝礼の校長先生の話の時特有の耐え難い眠気が……。
「―――武藤君? ちゃんと聞いてる?」
「は、はいっ。ちゃんと聞いてます。俺も悪いのは分かりました。だからもうその話は終わりということで……」
「―――本当に分かった? もう緋斑さんの事を目の敵にしない?」
「勿論です」
はっはっは。当たり前じゃないですか。そんなまさか、この俺が蒼井さんのありがた〜いお説教を切り上げさせる為に話を合わせてるなんて、そんな、……まさか〜♪
反対側の蒼井さんは黙ったまま物音一つ立てない。だがしかし給水塔越しに感じる視線は、まるで俺を狩ろうと言わんばかりの、その、言うなれば殺気、のような……。
キーンコーンカーンコーン……
「あ、予鈴ですね。ほら蒼井さん、さっさと戻りましょう!」
俺は昼飯の後片付けを早々に済まし立ち上がる。
「何してるんですか蒼井さん! 授業に間に合わないと大変ですよ!」
「……へぇ、珍しいね。武藤君が授業に間に合うように急ぐなんて」
俺はまだ座ったままの蒼井さんを横切りその向こうのハシゴに手を掛ける。
降りるために不可抗力で振り向くと、
――――――
一瞬。一瞬だけ、蒼井さんの後ろに黒いオーラが見えた気がした。
……うん、気のせい。きっと。……きっと。