五十二夏 海洋生物な私
長らく永らくお待たせしました。
両肩を掴まれて、じっと見られております。
待つこと数秒。
アシュールの視線で煮詰めたモノを真夏の太陽光でこんがり焼いたモノがコチラです。と、今の私と差し替えで出される小麦色の私のマボロシが見えた。
え、ドコの料理番組?
今の流行りはカラッとこんがりよりも、しっとりホワイトなんですけど。美白が正義なんですけど。小麦色の私は売れそうにないのでやめろください、とか茶化したい気持ちが沸々と湧いてくる。抗いがたい。
……でも耐えますとも。
内側もホワイトなわたし、えらい。
いやだって本当に、アシュールが謎の真面目顔だったから、流石の私も茶化せない。これはからかってはいけないシーンと見た。
私を見下ろすアシュールは真面目顔のまま、何度か口を開いては閉じ、開いては閉じ、を繰り返している。何か言いたげなのはわかるけど……それよりちらりと覗く歯並びが素晴らしく良い。しかも白い。え、すご……くもない、小憎たらしいな、うん。私はアシュールが憎い。歯まで美形男子ってどういうこと。
自分で言っててちょっと意味わからないけど。
でもでも異世界の歯科事情ってどうなってるの? 気になる。剣を持ってるとか、私の中ではわりと文化や技術的にはこちらより遅れているんじゃないかとか思っていたけれど、女優も真っ青なこの輝く白い歯は、もしや最先端の象徴なんじゃ? 異世界すごいんじゃ……? とか思っちゃう。
実は入れ歯だったら笑え……いや、流石にそれは笑えないな。いくらアシュールへの反発心や対抗心でできている私でもがっかりだわ。
自前の歯でありますように、と私が歯を凝視していると、視線に気づいたらしいアシュールがぴたりと口を閉じた。
むむ。
思わずどこかのスポーツキャスターのような反応をしてしまう。閉じられた唇の形まで整っているじゃないか。気に入らん。どこかに隙はないのか。私がご機嫌に揶揄えるような隙が。
私の神経を逆なでする要素しか持っていないとは……アシュールめ。
いつものごとく、思考がペットボトルロケット並みの勢いで明後日の方向に飛んで行ってしまうが、まあ、アシュールが何かを言いたいんだろうということはわかってる。そのために壱樹の提案を拒否して強引にここまで来たんだろうことも、察しておりますよ、ちゃんとね。
だけど残念、アシュールは日本語が喋れないし、ちゃっかり財布と私のサンダルを持ってきた代わりに、ノートは置いてきてしまったようだ。何故だ、アシュール。自分の目的を果たすのに必要なものを忘れて、何故に財布とかサンダルとか、そんなものばかり持ってきたのだ。
「……はあ」
思わず溜息が出る。
アシュールらしいわ。律儀というか、とことん周りを優先しちゃうというか。――損すること多いんじゃない? 貧乏くじ引くばかりでもなさそうなところが同情しづらいところだけど! 私は同情なんてしないしねっ。
とか思いながら口元を眺めたまま溜息を吐いたら、私の両肩に置かれたままの大きな手にグッと力が入った。むむ、っと思わず肩を見て、視線をアシュールの顔に戻したら、何故かさっきよりも切羽詰まった顔になっていた。眉間にグッと皺まで寄っている。え。どうした?
「アシュール?」
「…………」
呼び掛けたら、珍しく銀河の瞳がうろうろ。少しばかりその辺をさまよってから戻ってきた。
「何?」
さっきから、口元も目も物凄く何か言いたげだ。こういうとき、きっとお互いにもどかしい。アシュールは器用に表情や仕草、ときには絵を描くことで言いたいことはほとんど伝えてくるし、私たちも察せられる。だけど、細かい感情やニュアンスはやっぱり読み取れないし、たぶん行き違ってることもある。こっちの言葉はわかってるアシュールが一番それを実感してるだろうとも思う。
けど、私的にはこのもどかしさが、実は嫌いじゃない。
言葉でも文章でも、気持ちの表現方法や媒体が豊富にある現代は便利だけど、伝わってる、理解してる、と思い込んじゃってる部分がたくさんある。
でもアシュールと私たちは、完璧に伝わるなんてことがないとお互いにわかっているから、必死に気持ちを繋げようとするし、相手をよく観察して理解しようとする。
そこにはきっとコミュニケーションに一番大事な何かがある。そう思う。
そんなことをこっそり考えていたら、伝わった訳でもないだろうに、急にアシュールの眉尻がふにゃっと下がった。
え、何? 哀しんでる? 困ってる? それともどこか痛い?――って急にそれはないか。なんだろうこの反応は。
考えるのは嫌いじゃないけど、ちょっと面倒になるときもあるし、何故私がアシュールを慮る必要があるのか、と疑問に思うことももちろんある。
大体、アシュールって気を遣ってばかりいる必要がある人格じゃないし、いけ好かないし、金髪だし! 喧嘩売ってくるし! いけ好かない!
つまりいけ好かない、という結論に達したところで、アシュールの右手がそっと伸びてきて、私の頬っぺたにぺとりと添えられた。無断で。
「!?」
不覚にもちょっとびっくりして言葉に詰まってしまったじゃないか。
大きな手から熱いくらいの温度がじわりと頬を侵食する。
深い銀河の瞳が真剣に覗きこんでくるから、こちらも一応アシュールの目から感情を読み取ろうとしてみる。周囲は夏の海水浴で賑わっているはずなのに、何の現象か、喧騒がすぅっと遠退いていく気がした。
手は頬に添えられているだけで捕まれているわけでもないのに動けないのはなんでなの。
私はガチッと固まったままアシュールの濃紺の目を凝視した。
乙女の頬に無断で触るとは何事か!とか、文句の言葉を浮かべたいのに、ちょっと夏の暑さで頭が空転しているみたいだ。まともな文句が浮かばない。夏の暑さのせいで。
私が暑さにやられているうちに、そっと動いたアシュールの親指が、私の下唇を右から左へそろりと撫でた。
熱! アシュールの手、熱!
「…………」
ん? あれ? 私の顔が熱いのか? よくわからないけどとにかく頬と一緒に包まれた耳も熱い気がしてきた。もう少しで発火するかもしれない! 離せー! そう思うのにフリーズがとけない。え、今って極寒の真冬でしたっけ? あのギラギラ降り注ぐ太陽はマボロシ??
そんなあり得ないことを考えている間にも、ひと撫でされた唇までじんじんしてきた……ような。シビレるような、変な感じ。まさかアシュールの親指にヤスリでも仕込まれていた……?
「――っ」
ヤスリ仕込み疑惑の親指がもう一度、今度は左から右へ滑らかに滑って行って、ついさっき事故と無理やり断定した、しっとり柔らかい感触がぶわっと蘇った。
瞬間、叫ばなかった自分を褒めてあげたい。
何故思い出すんだ! いや完全にアシュールが悪いけど! 思い切り、アレを示唆する仕草なんてしやがって! あれは事故だと言っとろうが!
動揺のあまり、さっきのアシュールよりも高速で視線が泳ぐ。ここは陸地なのに。あ、息ができないのは陸地だからか! そりゃ視線どころか思考も泳ぎますよね、水を求めて。海はどこ? 私を海に返してくださいっ。
「---! -------!」
「えっ、な、何いきなり!」
自分は海洋生物だったのか、と新たな発見をしているところに、ガバリと白金がキラキラの残像を残して上から下へ流れていった。
「な、なんで頭下げてるの?」
「…………」
勢いに押されて一歩下がってしまったじゃないか。不覚。思わず財布を掴む手にも握りつぶすくらいの力が入る。もちろん実際に潰れることはない。非力な乙女なので、私。
「--------、----、-----」
何か、長めの言葉をもらったけど、もちろん意味はわからない。ただその姿勢から恐らく謝罪だろうというのはわかった。
というか、言葉はわからないけど、何に謝罪しているのかもわかった。いやむしろ大分前からそんな気はしてた。
強制的に問答無用で思い出させられた……例の接触事故についてでしょ? そりゃ誰でもわかるよね! 接触事故のことを知っているのは私とアシュールだけだけど! それ以外が知ってたら海辺の熱々の砂を掘って自ら頭のてっぺんまで埋まる所存だけど!
なんて内心叫んでる場合じゃなかった!
「ちょっとアシュール頭上げて!」
金髪キラキラな頭が下げられたままで周囲の目が気になる。好奇の目とはこのことか。という視線にさらされて居たたまれない。
「もう、とりあえずこっち来て」
頭を上げたアシュールの手を取って、海の家の陰まで引っ張っていく。日陰でほんのちょっとだけ夏の太陽の視線も遮られてクールダウンできるような、できないような……。いや、できないな。
振り返ってアシュールの顔を見て、思わず唇に目線が飛んでビクッとなってしまった。なんなの、もう! 別に意識してるわけじゃない。ただちょっとアシュールめの背が高いから、目線をちょっと上げた位置にちょうどたまたま偶然なぜか唇があっただけで!
「……とりあえず後ろ向いてくんない?」
「----」
「…………」
神妙な顔で素直にくるりと後ろを向いたアシュールの広い背中を見る。なんか面と向かっていると目線がかってに……。
いやそれよりなんて言おう? 正直、あまり蒸し返したくない話題なんだけど、誠意を込めて謝ってくれている人を無視もできないじゃない。
さっきのことはお互い忘れよう?
私たち何もなかったよね?
あれは事故だよね?
……むむ? なんか変じゃない? 途轍もなく変じゃない? この文章、誤解しか生まなくない? なんで? 経緯を考えたら不自然じゃないのに何故に? ていうかクエスチョンマーク多くない? 私の混乱ぶりが伺えない? 伺えるよね?
冷静になろう。
本当にただのハプニングなのに、危険な香りが漂うから今考えたセリフは却下だ! そこはかとなく悪女なセリフは却下却下!
じゃあコレはどうだろう?
私、気にしてないから……
わざとじゃないってわかってるから……
大丈夫、初めてじゃないし……
いや待ておかしい! さっきのセリフとは別のベクトルでおかしい! どうしてなの! 今度は悲劇のヒロインっぽくなったんだけどどうしてなの! そっと涙を指で払う大人し気な美少女が思い浮かんだんだけどどうしてなの! いや大人し気なのに初めてじゃないって何?強がり?実は経験豊富? あ、そこ突き詰めてもしょうがないか! ただの妄想の産物だし。
うーん……。
私が無駄に(本当に無駄に!)悩んでいる間も、じっと背中を向けるアシュールは何を考えているんだろう。思いっきり頭を下げてたことといい、この日陰へ来たときの神妙な様子といい、おそらく私に何を言われるのか真剣に待っているんだろう。
そこにはきっと揶揄おうとか、茶化そうなんて考えはないんだろう。
当然、私だって真面目に言葉をかけてあげるべきだと思う。真剣に。お互い気にしないでいこう、って。
――でもさ、海水でまだTシャツの張り付いたその、いけ好かない筋肉質な背中を見てるとさ、先に立つ気持ちってあるよね。
逞しく無駄のない背筋。左右に分かれたその真ん中。背骨のラインがくっきりと窪んでる――。
「--------っ!!」
私の奔放な人差し指が、つい。