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五十一夏 怪我のしようがない接触事故




 ゆっくり、無駄に整った顔が近づいてくる。

 ――あ、左の眉の直ぐ下のところに、傷。一センチくらいのうっすらとした傷が見えた。

 何の傷だろう。身体にあれだけの傷痕があるんだから、刃で切られたのかな、それとも殴られたりでもしたんだろうか。

 こんな小さな傷も見えてしまう距離で考えながら、つと傷のさらに下にある群青を見たら、半分瞼に覆われている。

 伏し目になったアシュールの息がほんのりと唇に当たった。

 手を掴んでいるのはこっちの方なのに、手から何かの毒でも流れ込んで来ているみたいに全身が固まって動けない。

 アシュールの白金の長い睫毛が完全に降りて。


 ――すり。


 高い鼻が、私の低めの、可愛い鼻を掠めた。


 ――すりすり。


(――ん?)


 コレって……。




「おおおおおお・ま・え・らぁぁああ!」

「!」

「!」


 意味不明な叫び声と一緒にバサッと顔面に何か降ってきた。アシュールの頭と私の頭の両方に。

 ななな、何だ!?

 いきなりだったから、私も、そして流石のアシュールもビクッとした。二人、至近距離で、思いっきりビクッと!

 ハハハ、驚いてやんのー、とアシュールをからかう余裕は、今の私にはない。

 ――ヤバイ!

 パラソルで日陰ができているところに何か被せられて、視界がより暗くなっているのに、アシュールの顔ははっきりと見える。

 嘘、やっぱり見えない。

 銀河の虹彩がやたらはっきりと見えるけど、それ以外はぼやけてる。左の眉の下の傷も今は見えない。

 不自由な視界の代わりに、感覚だけがやけに敏感になってる気がする。柔らかくて弾力があって、ちょっと熱い。

 ああヤバイ!

 距離感崩壊はなはだしい私達だけど、これはいくらなんでも崩壊しすぎ!


 今、私の全神経は、目と、唇に、集まっているんじゃないかと思う。


「――っ!」


 事故、事故、事故――!!


 これはただの接触事故ー!!


 呆然としているだけの自分を思いっきり張り倒す勢いで、心の中で叫ぶ。

 そうそう、よくあるよね、車の接触事故って! 私も自損だけどやったことあるある! うん、私は車、アシュールは壁、何も問題なしっ。

 ……車も壁もこんなに柔らかくないけど。――いやいや柔らかい車とか壁もあるよね。あるある!


 心の中で言い聞かせていたのはたぶん、ほんの一瞬だった。壱樹に気付かれない程度には。うん、そう信じる。信じたい!

 一時停止した時間を無理矢理動かすように、ガバッと身を起こす。勢い大事。何事もなかったかのように。いや、実際何もなかった! あったのは車と壁の接触事故のみっ。アシュールの方は見ない! 万事おっけー!


「――ちょっと壱樹、何すんの!」

「何すんのじゃない! 海から見てるって言ったろ!」


 はい、言ってましたね。謎の監視宣言してましたね。でも本当に見てるとか、ストーカー並みの執念深さ。その執念深さで司法試験も受かるといいね!

 でも今の私に応援は期待するなよ、絶対、逆のことしか祈らないから!

 というかそもそも、海から浜辺で寝そべっている人の動向が見えるって、壱樹の視力どうなってるの? 2.0ってそんなに見えるの? 勉強し過ぎで視力落ちるとかないの? 視力お化けなの?

 ヤケクソ気味に視力お化けの疑いがかけられている壱樹は、目の前でゼェハァ言っている。海から全速力で浜を駆けて来たらしい。海水に濡れた胸筋やら腹筋やらもゼェハァに合わせて躍動している。

 しかし何だろう。

 壱樹も体格はいい方だと思うけど、やっぱりアシュールと比べると細く見えるなー。なんか筋トレはしてるとか言ってた気がするけど、優しく「意味ないよ?」って言ってあげるべき? 「おばさんのお腹の中から出直して来な?」って。

 あ、でもダメだ、今の私には壱樹に向ける優しさは海に投げ捨てたんだった。筋トレ後の壱樹に砂糖をたっぷり溶かした水道水を差し出す自信がある。


「何なのお前らっ? パラソルの下は屋内だと思ってない? パラソルの縁からカーテンでもかかってると思ってんのか!? 公序良俗って言葉知ってる?」


 ナヨイ壱樹(アシュール比)が詰め寄ってくる。もちろん全然怖くはない。でもちょっとちょっと!

 座る私に覆い被さるように怒鳴ってくるから、海水だか唾だかわからないものが降りかかって来るんですけど! 離れろー! 禿げろー!


「パラソルからカーテンって何? 思うわけないじゃん」


 荒れ狂う内心を隠して冷静に突っ込んでみる。

 パラソルにカーテンとか、それ何て言う天蓋? 天蓋つきパラソル? いやむしろ下はベッドじゃなくレジャーシートだから、この場合、天蓋つきレジャーシート?


 いや、それただのテントでしょ。


「じゃあ何だ、ここは海外のビーチだとでも思ってるのか?」

「思ってないって!」


 こんな田舎の海には金髪美女も金髪イケメン外国人もいないからね!(外国人に対するイメージが乏しい)

 大体、壱樹の所為で接触事故が起きたんだし、思いっきり殴ってやりたい。偉そうに公序良俗とか言われると激しくイラつく。毟りたい。

 そうだよ、壱樹が余計なことするまでは、事実、外国人の恋人同士みたいなことはしてなかった。

 でも壱樹を毟ることで接触事故が知られるのは嫌だ。


 「もー、わかったよ、私たちが――いやアシュールが悪かったです!」


 ここは壱樹の次点で原因を招いたアシュールが悪い! と、苦し紛れにビシィッとアシュールを指差したけど、アシュールは壱樹のTシャツ片手に胡座をかきながら、何故か心持ち顔色が悪い。あ、そのTシャツを頭に被せられたのか。……てか何で青くなってんの? 壱樹のTシャツ臭かった? 一応着替え用のみたいだけど。

 一方ナヨイ壱樹は私の人差し指に釣られるようにアシュールを見て、……謎の納得顔をしていた。

 えっ、こっちは何に納得したの?


「アシュールさんは外国人ですね」

「――いいえ、異世界人です」


 何このやり取り。会話が微妙に不自然な英語の教科書か。会話してるの二人とも日本人だけども。

 というかもう、なんか物凄くカオスな状態になっているじゃないか。……半分以上、私の頭の中の話だけど。

 これ以上押し問答してても意味がないし、何より私が爆発して接触事故をぽろりと白状してしまっても困るから、戦線離脱することにした。


「とにかく、孝太たちも戻って来たみたいだから、私とアシュールはお昼買いに行ってくるよ」


 ちらりと視界に入った、こちらに向かってくる三人の少年をダシに、逃げることにする。


「いや、俺とむつで行こう。

 なんか、おばさんがお前とアシュールさんは混ぜるな危険、って言ってた意味がわかったわ」

「…………」


 非常に心外なんですけど。でも今のところ否定できないのが悔しい。


「わかったよもー。……アシュール、聞いてたと思うけど、私たちお昼の買い出し行ってくるね。孝太たち来たら飲み物出してあげて?」

「…………」


 いつもなら直ぐに頷くんだけど、アシュールは何故か首を振ってサッと立ち上がった。

 気の所為か、立ち上がるときに、手に持っていた壱樹のTシャツを投げ捨てた気がする。……ん?


「――あ、おい!」

「ちょ、アシュール?」


 手首を掴まれて、パラソルから引っ張り出された。なんだなんだ!? 強引になったときのアシュールには良いイメージがないんですけど!


「熱っ」


 心の準備なく裸足で砂浜に踏み出しちゃって、思わず声が出てしまった。慣れればどうってことないのに。

 アシュールはハッとしたように私を見て、手に持っていた何かを押し付けてきた。

 ……財布? いつの間に。てか、買い出し行く気で手を引っ張ったのか。


「――わぁっ」


 押し付けられた財布をマジマジと見ていたら、急に視界がグンッと高くなった。思わず手近な金色の丸いものに抱き付く。金色の丸いものっていうか、アシュールの頭だけど。

 子供みたいに片腕に座るように抱き上げられてて、不覚にもアタフタしているうちに、アシュールはずんずん歩き出してしまった。


「ちょちょ、アシュール、何、降ろしてっ」

「…………」


 腕の中で金色の頭が小さく横に震えた。拒否ですか。

 ……何て言うか、何がしたいの? 正直、さっきの接触事故の所為で、この距離感は居たたまれないというか……はっきり言って恥ずかしいんですけど!

 進むにつれ、すれ違う人に凝視されるし、小さい子には羨ましそうに見られるし。恥ずかしさ十割増し。

 いっそ暴れて落ちるか。下は砂だし、きっと痛くない!

 そう決意したとき、左足に何か……。スルッとビーチサンダルを履かされた。

 アシュールは私を抱き上げたまま、器用に右足にも履かせてくれる。

 ……だから、ビーチサンダルとか、いつの間に?


「……ありがと」


 一応、お礼は言っとく。降ろしてくれたし。

 抱き上げる前に履かせてくれれば良かったんじゃない? とか、ビーチサンダルを渡してもっと早く降ろしてくれよ、とか色々言いたいことはあるけど、混ぜるな危険なので黙っておく。これ以上の騒動は本意じゃないし。……今までの騒動だって本意なんかじゃないですが!


「どうしたの、アシュール?」

「…………」


 肩を掴まれて向き合うようにされた。

 目の前で妙に真剣な顔をされると、ちょっと身構えてしまうんですが、何なの?






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