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三十一夏 大人の意識、子供の心




 最悪な気分とはこのことだ。

 せっかくの大好きな夏も心が冷んやりしていて台無し。

 いつもなら気温が上がるほどに夏を実感して嬉しくなるのに、今はその熱気がただただ鬱陶しいだけだった。


 アシュールの部屋から逃走……じゃなかった脱走……でもなかった、えーっと、とにかくアシュールを客間に置き去りにしてからの半日、私は物凄く嫌な気分でその日を過ごした。

 自然、仏頂面になる顔を隠せず、そんな私の顔を見た孝太の顔が引き攣って『怖ぇ!』とか言ったのは知っている。でもそんなアホ孝太に姉的制裁を加える気分にもなれず。

 孝太でそれだから、当然アシュールなんかとは目も合わせない。そんな心の余裕は微塵もなかった。

 自分の必死の行動が実は散々笑われていたんだと気づいて、それでも笑顔で過ごせる人なんているんだろうか。

 少なくとも私は無理。

 しっかり触られたわけじゃなくても身体をからかい混じりに撫でられて、動揺している私を面白がっていたのかと思うと女の子として怒り、憤り、羞恥以外に覚える感情なんてない。まんまと混乱して息まで乱していた自分を殴り飛ばしたい程度には、自分にもがっかりしていた。

 だから、ただの悪戯だし許してやろうじゃないか、なんて直ぐに思えるはずもない。

 私の愚行を見て黙って楽しむにしても、アシュールは色々と趣味が悪すぎる。

 正直、どこかでアシュールに失望も感じていた。

 たった三日でも、私はアシュールの大まかな人となりを把握したと思っていた。

 ヤツはどんなに大人気なく私に対抗してきても、結局は私よりもずっと大人で冷静なんだろうって、悔しいけど認めてた。

 ちゃんと越えちゃいけない境界とか、女の子に対する加減みたいなものをわかっているんだと思ってたんだ。そういう部分を、凄いな、って感じてた。

 なのに、女の子に圧し掛かってあらぬ予感を起こさせるような行動をとって、それで動揺する様を見て面白がるなんて、男として最悪だ。

 それに、もしも私が本気にしたらどうする気だったんだろう。

 有り得ないけど、私がアシュールの動きの挑発に乗って、“その気”になっていたら?

 そしたら応えていたんだろうか。あんな真昼間の、すぐ近くを孝太やお母さんが通りそうな場所で? むしろ襖さえ簡単に開けられちゃうような場所で?

 だとしたら、最悪どころか最低だ。

 じゃあ逆に、もし私が“その気”になっていたら、拒んでいた?

 “その気”になったのにアシュールに拒まれたら、私は大恥をかいていたはずだ。

 女の子なら誰でも、余程慣れてでもいなければそういう行為に大胆になるのは抵抗があるはず。それを押して応えようとしたのに、肝心の男から拒否されるなんて心が折れる。しかも、相手から誘われたのに。

 そうなれば、やっぱりアシュールは最低だったと思う。

 私が混乱して何の反応も出来ないでいるうちに種明かしがされたけど、そうじゃなかったらヤツは一体どうしていたんだろう。

 からかうにしてももっと他の方法がいくらでもあったでしょ、って言いたい。

 ただ私の奇行を笑われていたと知っただけなら、あるいは羞恥心だけですんだかもしれない。

 でもあの行動を考えると、頭も胸もぐるぐるして嫌な気持ちが渦巻いてしまう。

 無害そうな顔をして心の内で大爆笑でもしていたのかと思うと悔しくて、むかっ腹が立ってアシュールの側に寄る気にもなれなかった。

 喋れない変わりに心の中では私で遊ぶ計画でも立てていたんじゃないかとまで思えてくる始末。

 黒い気持ちは止め処なく湧いた。


 それでも私だって年齢的には成人していて、世間では大人と言われる人間だ。

 アシュールを避けてはいても、出来るだけ無視なんてしないようにしたし、用事があればちゃんと話しかけたりもした。お母さんの伝言を持ってきたときだって、しっかり対応したと思う。

 ただ以前のように他愛のない話やちょっかいをかけたりはしなくなっただけの話。

 それはアシュールも同じで、時々は視線を寄越しているのを感じたけど、あれ以来アシュールから寄ってくることはなかった。

 でももちろんアシュールがそうするのは私とは違う理由だろう。

 私の急な態度の変化に戸惑っていることくらいはわかる。私は空気が読める方だといつかに豪語した通り、アシュールから微妙な雰囲気が漂ってきているのは感じていた。

 私の動向が気になっているんだろうということも、私の動きに合わせたようなアシュールの視線の動きを感じるから簡単に察しがついた。

 それでもあえてそんな視線に気づかない振りをしたのは、午前中のことがフラッシュバックする所為だ。肩を震わせて笑いを堪えていたアシュールの姿が瞼裏を刺激して、嫌な気分になる。

 アシュールが何度か口を開き、何かを言いたそうにしていることにだって気づいていたけど、それも視界に入らなかったことにしてさっさと側を離れる、ということを私は午後中ずっと繰り返していた。

 すごく嫌な雰囲気でその日を過ごし、課題があると言って夕御飯後には早々に自分の部屋に引き上げた。私を除いた食卓に妙な空気が流れているのにも当然気づいて、でも見て見ぬ振りで受け流した。



 胸に澱のように溜まる不快な気持ち。それを無理に振り払うようにして無理に眠りについた翌朝、お陰様で寝坊した私は二日連続でラジオ体操に参加できなかった。

 朝に身体を動かせなかったことも手伝ってか、日にちを跨いだにも関わらずまだ私の気持ちは晴れなくて、どうにもアシュールと接するのを躊躇する。

 我ながら、引っ張り過ぎなことは自覚していた。

 ちょっとからかわれたくらいでネチっこく怒ってアシュールに冷たい態度を取っている自分は、どんなに大人だと口で言っても、実際は駄々を捏ねる子供と大して変わらないんだろう。

 不満があるくせに相手にそれを直接伝えることもせず、ただ態度だけで表す。それでいて、接触を拒む。相手からしたら溜まったもんじゃないだろうと思う。

 ああでも、私は子供よりもよっぽど性質が悪いに違いない。

 アシュールが日本語を喋れないのをいいことに、謝りたそうにしているのを無視し続けているんだから。

 大人になりかけの子供ほど面倒なものはないと、他人事みたいに思った。



 ――でも。


 本当は、翌日の朝を迎えて頭が起き出した頃、気づいていた。


 アシュールは別に私を笑いものにしようと思っていたんじゃない、って――。





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