三十夏 現実は甘くない
――何でこうなったっ!?
いや、前話と同じ出だしで申し訳ない。
しかし聞いて欲しい。
むしろ聞かせて欲しい。
今、現在の体勢の意味はナンデスカ?
……。
わかっています。
おかしな雰囲気になっていたところから一変して、わざわざアシュールがこの体勢をとったのには、もちろん理由があるんだろう、って。
当然ながら、私の歯型や爪痕と無関係なはずがない。
アシュールは意識的に私の頭を自分の肩に持っていったんだし、手だってあえて誘導したんであって偶然なんかじゃない。
つまり何だ。
全て バ レ て い た と ?
抱きしめられるみたいに項を支えていた手がゆっくりと下ろされ、アシュールが私の顔を覗き込む。
にやにやと形のいい唇が弧を描き、瞳が何かを期待して踊っている。
真っ白になっている私を余所に上体を起こしたアシュールが手を伸ばしてコンコンと行燈を叩いた。
それは昨日の深夜、私がこの部屋に入る切っ掛けとなった忌まわしい行燈に他ならない。
つまり何だ。
全て 覚 え て い る と ?
確かに、酔っ払って寝惚けていたからといって、記憶が完全に飛ぶとは限らない。
かくいう私も、ふらふらになるまでお酒を飲んだところで、記憶は消えない方だ。いやうん、二十歳になったばかりでふらふらになるまで飲むなよ、って話なんだけど、そこはそれ。ツッコミはなしの方向でお願いします。誰しも経験することでしょうそうでしょう。
昨夜のことをアシュールは何も覚えていないはずだと思った、それは私の落ち度だと思う。お酒を大量に飲ませたのは私だし、寝惚けてもいるみたいだったから、記憶なんて残らないだろうと思い込んでいた。
それが、まさか行燈を消しに来たんだろうと予測を立てるほどにはっきりと覚えていたなんて。
でもじゃあ何?
今までの私の行動って?
私が必死にアシュールの身体につけてしまった傷を隠そうとしているのに、アシュールは気づいていたわけ?
いつから?
どこから?
違う、そんなの問題じゃない。
大事なのは、アシュールは全部知ってたのに私の行動を止めなかったってことだ。
その理由に考え至ったとき、カッと身体に熱が集まった。
アシュールに身体をなぞられているとき以上の熱。
羞恥心とか、腹立たしさとか、情けなさとか、そんな類の感情で目の前が赤くなる。
「~~~っ!」
ずっと、自分でも意味不明になるような馬鹿な行動をとっていたと思う。
途中何度も自問したくらいには、自覚があったつもり。
でもそれだって、私自身が恥ずかしい思いをしないためには必要だと思ったから出来たことで。
だから、アシュールが昨夜の記憶を持っているなら全然話が変わってくる。
要は、私は余計なことをしまくったわけだ。
アシュールが一人でお風呂に入るのを阻止して、延長線上で髪の毛を切って洗ってあげて。
その上、私は何をした?
アシュールのTシャツを脱がせて身体を拭いたんだよ!
身体の不自由なおじいちゃんおばあちゃんでもなく、カレシでもない男の身体を、だ!
改めて考えればなんて恥ずかしい行為だろう。
何も知らない男が相手なら、勘違いをしてもおかしくない行動だった。
朝から周囲を纏わりついて、せっせとお世話をして。
そんなこと、女の子にされたら男の人はどう思うだろう。
そうだ、そう考えると、アシュールがもし何も覚えていなかったとしたら、私を蹴倒してあんな破廉恥な行動を取った理由も理解できる。
私の行動を自分に気があると勘違いして、据え膳食わぬは男の恥とでも思って手を出してきた。そう説明がつく。
でも実際、アシュールは全部覚えていた。
それは、私が何を目的にしてアシュールを構い倒し、挙動不審な姿を晒していたか、っていうことにも気づいていたってことだ。
アシュールにモーションかけていたわけじゃない、って知ってたはずだ。
それなのに、どうして誘われていると勘違いした結果のような行動をとったのか。
答えなんて一つしかないじゃないか。
アシュールは、内心笑っていたんだ。
私が必死に右往左往して傷を隠そうとしている姿を見て、笑っていた。
そう考えてみれば、髪を洗ってあげるのだとお母さんの前で必死になっていたとき、笑いを堪えていたのはどうしてだったのかがわかる。
始めは私の行動がおかしいからだと思ったけど、そうじゃなかったんだ。ううん、私の行動は確かに可笑しかったんだろうけど、それだけじゃなくて、傷を隠そうと必死になっている私が面白くて仕方なかったんだ。
髪を洗うのを了承してくれたのだって、私があまりに馬鹿な行動ばかりとるから、どこまでやるのか見てやろうとしたに違いない。
それだけじゃない。さっきだってそうだ。
私がアシュールの身体を真剣に拭いているとき、こっちを向いたアシュールから噛み痕が見えないように肩を抑えた。それを随分無表情に眺めてアシュールは正面に向き直ったけど、あれはきっと笑いを堪えている結果だったんだ。
込み上げる笑いを殺すには、何も喋る余裕がなくて、かつ無表情になるしかなかったんだろう。
背中を拭いているときだって、何か揺れてるなって思って前に回り込めば、アシュールは盛大に笑っていた。ついに笑いを堪えられなくなったってわけだ。
アシュールは、ずっと私の行動を笑いながら見てたんだ。
まだある。
私を畳みに蹴倒して、身体を撫でたこと。
きっと、あれは私をからかって面白がっていたんだ。
私の行動の意味なんて本当は全部知っているくせに、誘われたと勘違いしたみたいに振舞って見せて、呆然とする私の反応を見てまた笑っていたに違いない。
覆い被さってきたときに見えた銀河色の瞳が踊っていたのは、そういうことだったんだ。
もしかしたら、もっと動揺して顔を真っ赤にさせる乙女な反応を期待していたのかもしれない。生憎、こっちは恥ずかしがるほどの余裕もなかったけど。
つまり、私はずっとアシュールに踊らされていたってわけだ。
知らずのうちに、笑いものになっていたわけだ。
――サイアク
目まぐるしく考えて全ての帰結に達したとき、サッと頭から熱が引いていくような思いがした。
――私、馬鹿みたい
「……っ」
「――!」
私は思いっきりアシュールを押し退けた。
アシュールは既にほとんど上体を起こしていたし別に私を押さえつける気もなかったようで、簡単に私から身体を離した。
にこりともしない私に驚いたのか、少しだけ目を見開いているアシュールの顔が視界に映ったけど、真正面からそれを確認することもなく、私は客間を後にした。
無性に腹が立って、何も考えられなかった。
ただ胸のうちで、馬鹿みたい馬鹿みたい、と、そればかりを繰り返していた。
お怒り。
アシュールきょとん。