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二十九夏 陽炎、蜃気楼、…現実



 ――何でこうなった?


 私は呆然とアシュールを見上げる。

 思い切り足払いを受けた割りにどこも痛くないのは、床に倒れる前にアシュールが背中と足を支えてくれたからだ。

 ……って、“くれた”とか言ってる場合じゃないよね!? 明らかに蹴倒したのはアシュールだし!

 というか結局、――何でこうなった?


 四度目の後頭部強打は避けられたけど、問題はそこじゃない。

 さっきまで私はアシュールの身体を自分が仕出かしたことへの少しの罪悪感とともに、丁寧に拭いていた。これでも一応、考えなしの行動だったと反省はしているもので。

 それが、突然アシュールが笑い出して、何だコイツは脳みそ爆発したか?とか思っているうちに今の状態だ。

 ……。

 えー? 何で?

 状況を整理してもやっぱりわからない。どうして私は畳の上に倒されたんでしょうか?


 混乱のあまりいつもよりも冷静に(混乱して冷静になるとか意味わからないけど)なって、呆然と頭の中で考えていると、しばらく楽しそうに――そう、物凄く楽しそうにこちらを見ていたアシュールが徐に動き出した。


 ――なっ、に……っ?


 大きく厚い掌が頬に添えられた。

 丸い形をなぞるように滑る。

 目の前に迫る、楽しそうに細まった銀河がほんの少しだけ揺らいだ気がした。

 それでもアシュールの手は躊躇わずに顎のラインを撫で、するりと首筋を伝う。

 触れるか触れないかの瀬戸際で、全ての感覚が持っていかれているみたいだ。

 背筋を何かが駆け上がった。

 無意識に眉が寄り、定まらない視点を誤魔化すために目を細める。


 ――ヤバイ


 その単語がわんわんと頭の中で反響した。

 だけど機嫌よく踊る銀河の瞳からは目が離せない。


 私お得意の悪態は何処にいった?

 もしかして開店休業中?

 いやいや開店してるなら休業すんな!


 罵倒が振るわない。

 脳みそが働いていないのがわかるというものだ。

 頭も回らなければ口も開けず、身体すら自由に動かせない。

 私は馬鹿みたいにアシュールの瞳を見つ……睨んでいた。

 その間もアシュールの手は止まらず、首筋から降りてきた指先が鎖骨の窪みをなぞり、肩口までいってまたゆっくりと戻ってくる。

 思わせぶりな動き。

 産毛に触れるだけのような微かな感触が余計に熱を残していくようで、腹が立つのに振り払えなかった。

 鎖骨と鎖骨の間、その溝をくるりとひと撫でした指先が身体の中心を通り、肋骨に沿って進み、わき腹を撫でた。

 倒れた拍子に捲れたTシャツの裾から覗く肌を、指先が直接掠める。


「っ!」


 ひくっと喉が鳴りそうになったのを寸でのところで我慢した。


 意味がわからない。


 ――何でこうなった……?


 繰り返す言葉も意味はなくて、ただ胸の内で浮遊しては消えていく。

 ぐっと唾を飲み込んだのは私のはずなのに、視界の端でアシュールの喉仏が上下するのを見た気がした。


 休憩とばかりに脇腹でほんの少し停滞していた右手が動きを再開する。

 腰を撫でて、ホットパンツに到達し、皺を越えていく。

 剥き出しの太腿に硬い皮膚の感触。


 信じられない。

 ヤバイ。

 空気が薄い。

 誰かエアコンつけて!


 妙に熱気が篭もっている気がする。

 脳みそ溶ける!

 そう叫びたいのに、きゅうきゅうと喉を締め付けるような感覚が邪魔をした。


 力加減はずっと変わらず、触れるか触れないか。

 その状態で膝の辺りまで滑っていったアシュールの掌は、再び上昇を始めた。


 唇が乾く。

 そうは思っても舐めて湿らせることすら出来ず、私は固まったまま、ひたすらアシュールの底の見えない銀河を覗いているしかなくて。

 その銀河の深遠に焔が点ったような気配を感じた。

 気づけば私の心臓が無駄に過労気味だった。

 まるで身体の中から警鐘を鳴らすみたいに内側から胸を打ち鳴らす。


 ――また


 私が出来ないでいることを、アシュールがやってしまう。

 形のいい理想形の唇から真っ赤な舌が覗いて、ちらりと自分の唇を撫でていった。

 ほんのちょっとその妖しげな仕種に気を取られている間に、腿を上ってきたアシュールの手がホットパンツの裾で行き止まる。

 行き当たった裾を正面から外側に向かってなぞるように動いた指先が、僅かに裾を潜った。

 たった一センチほどだけど、そこは隠されている場所だ。

 下着や水着にでもならない限り人目に触れない。

 そんな部分に、自分ではない人間の――男の指が、そっと滑ったんだ。


「――ぁっ!」


 堪えきれず声が洩れてしまった。

 蚊の鳴くような声でも間近にいるアシュールには聞こえたらしく、事態を招いた当人がハッと息を呑んだのがわかった。

 まるで目が覚めたみたいな反応だ。


 どこにトリップしてやがった、精神だけ故郷に帰ってたとか言うわけじゃあるまいね!?


 信じられないことに、私の呼吸は乱れている。

 何でだ。

 口に出来ないようなポイントを直接的に刺激されたわけでもないのに。

 混乱にブレる私の視界とは逆に、どこか焦点が狂っていたようなアシュールの瞳には力が戻り始めていた。

 対照的な二つは短時間交差して、先に逸らされたのは闇より深い銀河の方だった。


 さっと一瞬下げられた金の頭。

 切ったばかりの白金を流して次に見えたアシュールの顔には、……悪戯っぽい笑みが広がっていた。


 ――何……え?


 濃密な空気が霧散した。

 アシュールはにこにこしながら未だに自失していた私の両手を取り、一層笑みを深くして私の手を背中へと導く。

 状況についていけずされるがままの私。

 アシュールがゆっくりと上体を倒し、太陽光に照らされた眩しい美貌が降りてくる。

 私はそれでも動けなくて、ついにアシュールとの距離がゼロになった――。


「……」

「……」


 ――誰か説明してくれませんか。この状況。


 後頭部を支えられ、少しだけ浮かされた私の頭。

 口元は……、アシュールの肩口に当てられている。


 うん、私が何がなんでも隠そうと画策していた歯型にぴったり合わせるように。


 先に誘導された両手はたぶん、間違いなく、爪痕に合わせられていると思われ――。


 …………。



 ――だから何でこうなった!!






二人とも我に返っていただけてようござんした。



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