二十五夏 ファースト・ミッション
アシュールの首にきっちりタオルを巻いて、大きめの洗濯ばさみで固定する。
その上から切込みを入れたゴミ袋を巻いて、タオルと隙間を空けないように留めて服に切った髪の毛がつかないようにした。身体が多少はみ出てる部分は後で粘着テープとかを使えばいいよね。
「アシュール、長さの指定とかある?」
「……」
念のため聞いてみたけど、アシュールは少し考えてから首を横に振った。
……指定がないならこの際、バリカンで思い切って坊主とかどうよ?
実はこっそり、バリカンも用意してたりする。念のためよ? 念のため。
アシュールは坊主なんてしたことないだろうし、新たなことに挑戦するのもいいんじゃない?
そう思って、私はバリカンを手にした。スイッチを入れるとウィーンッと激しい振動音が鳴る。腕も鳴る。ふふふ。
「さ、アシュール始めるよ。危ないからジッとしててね!」
「!!!」
鼻歌混じりにバリカンを構えたら、何かを察したらしいアシュールがガタンッとけたたましい音を立てて立ち上がった。……どうでもいいけど、その恰好、結構笑えるね。ビニールポンチョ、みたいな? しかも透明なゴミ袋だから、シースルー状態!
「---、------!」
アシュールが必死で私から距離を取りながら、何かを叫んでいる。
うん、何を言っているか全然わかーんなーい。えへ。
じりじりと距離をつめる私と、じりじりと後退するアシュール。
この構図どこかで見たな、なんて思いながらにやにやする顔を抑えられずに迫っていた私だけど、アシュールの背後の盆栽が危険なことに気づいて、慌ててバリカンを下ろした。盆栽壊したらお母さんよりも怖いお父さんが出現する!
「はははは冗談だよ! これは使わないから!」
「…………」
シースルーポンチョのまま疑わしげにこちらを見るアシュールの姿に笑いを噛み殺し、バリカンのスイッチを切って縁側に置いた。
両手を挙げて見せたら、アシュールは盛大な溜息を零しつつ首を振って疲れたように椅子に座り直した。うん、勘が鋭いのも大変だね。
実際、アシュールの坊主というのも見てみたかったけど、アシュールには流石にハードルが高いかと思ってやめた。美形は何をしても美形な気もするけど、自分の世界に帰ったときに揶揄われたりしたら可哀相だ、っていう私のささやかな良心が疼いたしね。
じゃあどういう髪型にしようか、ってちょっとだけ悩んだけど、どんどん日も高くなってきて暑さも増してきたから、とにかくハサミを通すことにした。
最初にハサミを入れるときはいつも緊張する。何せど素人だし。
アシュールの髪の毛は、Tシャツを被せるときに不可抗力で触ったけど、改めてじっくり触れるとやっぱり綺麗な髪だ。張りがあって、太すぎず硬すぎず。今みたいに長い状態だと重みでしっとりサラサラのストレートに見えるけど、案外しっかりした髪質だから短く切ったら自然と立ち上がるかもしれない。整髪剤いらないかも。もちろん、ちゃんと整えようと思ったらスプレーとかムースがいるかもしれないけどね。でも確実にハードはいらないはず。……髪の毛までオールマイティとか、どこまでも隙の無いヤツ。可愛げも無い! もっとダメダメなくらいが私は……って何の話だコノヤロウ。
とにかくど素人ながら、友達や孝太の髪を切っていた多少の経験を踏まえてつらつらと考えながら、ハサミを進めた。
シャキシャキと小気味いい音がする。
アシュールは伏し目がちで静かに身を任せていた。
髪と同じ色の睫毛も長く、伏せるとまるで憂いを含んでるみたいに見える。……変なところで妙な色気を出すんじゃないよ、まったく! こっそりハサミが滑ったとか言ってちょん切ってやろうかと思ったけど、後で私が酷い目に合いそうだったからやめた。主にお母さんの激怒に合いそう……。う。娘より美形男をとるなんて!
まあそんなことはどうでもよくて。
アシュールは注文を付けたくても日本語喋れないから出来ないだろうし、内心冷や冷やしているかも、と思うと少し笑えた。
まあ見ていたまえよ、六花様の腕前を!
最初は不純な動機だったけど、時間が経つにつれて他のことは頭になくなった。
一メートルもない近距離にいながら、一言も交わさずに髪を切り続けて、一時間弱くらいで完成した。我ながら慣れたものだ。
「出来たよ!」
「……」
縁側に置いておいた卓上用の大きめな鏡を取って、一枚をアシュールに渡す。もう一枚をゆっくり動かして後ろも見せた。
「どう? 結構上手くいったと思うんだけど」
「……」
全体に短くしてしまおうかとも思ったんだけど、万が一失敗したら修正が効かないから、前髪を残して短くなりすぎないようにした。
襟足の長かった部分は刈り上げるくらいの勢いでかなり短くして段差をつけたけど、両サイドは耳上あたりで切り揃えて、サイドから前髪に向かって少し長くなるような感じに。
前髪は整える程度にしか切らなかったけど、後ろが無い分、大分涼しくなったんじゃないかな?
「――!」
鏡を見たアシュールは少し驚いたように目を見開いていた。……やっぱ私の腕を信用してなかったんだな。いやまあ、最初は揶揄ったりしちゃったし、いいけど。
「気に入った?」
覗きこむと、破顔して頷いてくれた。気に入ってくれたみたいだ。
頷いた拍子に切った髪の毛が少し飛んで太陽に反射し、キラキラと舞い落ちてアシュールの周りで妙な効果を生んでいた。……捨てるものまで綺麗とか、どんな? やっぱバリカン……いやいや、しつこいからやめよう。うん。
でもやっぱり喜んでもらえるのは素直に嬉しい。今だから言うけど、ちょっとドキドキしてたんだよね。失敗したらマズイなあ、とか。ほら、そんなことになったら、今後アシュールに強い態度も取れなくなるじゃない? 事ある毎にそれをネタに脅迫されそうだし……。それは私的に非常に困るのだ。色々と。……なんか負けたくないし。アシュールに頭が上がらない私とか、想像したくない!
だから気に入ってもらえたことに内心ホッと胸を撫で下ろしつつ、アシュールの頭を軽く払ってから被せていたビニールを外した。首に巻いていたタオルも取って、首元に張り付いている毛を落とし、一度振ってから、アシュールのこめかみやら首やらに浮いた汗を拭って上げた。
「あら、アッシュ、随分すっきりしたわね!」
さてこの後は……、とか思っていたら、通りかかったお母さんが口元に手を当てながら声を掛けてきた。なんか目がキラキラしてるけど……! むしろ頬までほんのり染まってるんだけど! 気持ち悪いからやめてくれないかなあ?
笑顔で頷くアシュールを横目に見ながら、引き攣る顔を隠すように後片付けをする私。母親の乙女な部分は子供としてはあまり見たくないものである。しかもその対象がすぐ横にいる場合はさらに。
お母さんは弾む声で言った。
「髪の毛の切れ端がついてるかもしれないから、直ぐにシャワーを浴びるといいわ。着替えは持ってってあげるからね」
「……」
「……」
ちょっと待ったぁぁぁぁああ!
お風呂は駄目だって言ってるでしょ!!!
あ。
言ってはないか。
坊主でもよかったんじゃないかな?