二十一夏 弟の反省、姉の所以 一
「孝太ーっ!」
「ッッ!!!」
私は叫びながら思いっきり遠慮なく弟の部屋の扉を開けた。孝太は驚いて、布団の上でビヨンッと飛び跳ねて起きた。
うん。只今朝の7時。朝っぱらから大声で叩き起こされれば当然の反応と言える。期待を裏切らないリアクションをありがとう。
見事な跳ねっぷりに顔がニヤつきそうになるが、そこはこれからの目的を考えて自重しておく。今回は別に受験ノイローゼ気味の弟を揶揄いに来たわけじゃないので。
「――っ姉ちゃんッッ!!! いきなり驚くだろ!」
心臓吐くかと思った……。とか呟く弟を完全に無視する。心臓なんて吐けるわけがないでしょう。なんていう真面目過ぎる突っ込みも飲み込んで。許可などいらん、とばかりにずかずかと部屋の中に入り、ぐるりと中を見渡した。
「あった」
目的のものを発見して、はあああ、と深い溜息をつく。
昨日、洗濯物を押し付けたときは急いでいて気づかなかったけど、確かに弟の部屋の壁には見たこともない服が掛けられ、そのちょうど下あたりに厳つい剣が立てかけられていた。これが昨夜、縁側でお父さんが言っていたアシュールの所有物か。
そうなの、朝っぱらから弟を奇襲した私の目的はこれでした。
昨夜(主に深夜)は色々あって、本気で死ぬかと思いましたけど、これは忘れてなんかいませんでしたよ。
悪気はなくてもアシュールから取り上げてしまった、ヤツの衣装一式。
だけど服の方は、お父さんが言っていたキラキラというよりも……ゴテゴテ? 確かにキラキラしている部分もあるんだけど、要職にでも就いていたのかと思えるくらい装飾過多で作りも凝っている。結構複雑に布が組み合わされているみたいだから、すごく説明がしづらい。
全体の色はほんの少し紫がかった深めの落ち着いた灰色? それで所々のポイントに安っぽくない金色や臙脂色が使われた装飾がある。使いこまれた皮のベルトのようなものも見受けられた。上着は基本的に詰襟型なんだけれど、首周りが余裕ありそうな感じに開いているから、内側の服を見せるようになっているのかもしれない。全体は秋や春物のコートみたいな、少し厚めの生地みたいだ。
内側の衣装は首元から胸元までは深い赤のビロード生地になっていて、そこにも装飾品やらキラキラしたものやらがたくさんついていた。首回りには燻銀のような渋みのある細かい彫刻の施されたゴツいシルバーの首輪みたいな……袖にはよく意図のわからないベルトのようなものが巻かれていたり……とにかくまあ、現代日本ではコスプレくらいしか存在しないような衣装なんだ(説明放棄)。
剣も同じで、西欧ファンタジーに出てくるようなヤツ?
まあ、何かよくわからないけど、確かにすごい。なんとなく孝太が興奮するのもわかるような気はする。
だけど、だからと言って見逃すわけにもいかないのよ。
私はあまりの派手さにあんぐりと開けていた口を閉じて、孝太に向き直った。
「……孝太、あんたコレ、直ぐにアシュールに返しなさい」
「は? コレって、アシュールの服のこと? ……何でだよ、急に」
寝惚け眼のまま顔を顰める孝太にまた溜息が出る。やっぱり全然わかってないな、こいつ。
「こんなの持っててどうするの?」
「……別に、眺めてるだけだけど? 何が駄目なんだよ、ちゃんと許可とってるって!」
眺めてるだけ。
まあそうだろうね。でも、その眺めてるだけのことが、今のアシュールは自由に出来ないでいるってことだ。孝太は眺めてすごいなあ、って思うだけだろうけど、アシュールはこれを見て故郷を懐かしんだり自分にはちゃんと帰る場所があるって実感したりできる。重要性が全然違う。だから、駄目。
「あのねぇ、……孝太はアシュールが異世界から来たって、信じてるんでしょ?」
そう言うと、孝太は訝しげに唇を尖らせながら肯定する。質問の意図がわからないらしい。いやいや、ちょっと頭を使えばわかるでしょ。というよりわかりなさいよ。……無理か。このサッカー馬鹿め。
私は溜息を零すと、孝太の勉強机の椅子に腰を下ろして、組んだ足の上で頬杖をつきながら孝太を見つめた。
「考えてみなさいよ。孝太がもし、家の前でサッカーして遊んでるときにどっか見知らぬ土地に突然飛ばされたとして、そこに住んでる人たちに新しい服着せられて、元々着ていたものとサッカーボールどっちも取り上げられたらどう思う? いくらそこの人たちが親切でも、いつかは帰れるという保障があったとしても、あんたにとって日本に繋がるものが服やサッカーボールしかないのに、簡単に預けちゃえるの? 手元に置いておきたいとは思わない?」
ゆっくりと言い聞かせるみたいに聞いてみる。孝太は不満気ながらも少し俯いて、今私が言ったことを必死に想像しているみたいだった。
「…………」
「……でも、帰るときには返すんだぜ?」
最初の強気はどこへやら。多少思うところがあったのか、こちらの反応を窺うようにして孝太は言う。そんな上目遣いをしても駄目。お姉さまには効きません。……ちょっと頭を撫でてやろうかと思ったけど。
「帰るときに持ち物を返すのは大前提でしょ。それよりも、こっちにいる間に返してあげなきゃ。
孝太にとっては珍しいものでも、アシュールにとってはずっと側にあった、今は唯一の大切なものかもしれないよ?
……孝太は、知らない土地、知らない人、知らない文化や食事に囲まれていつまで続くかわからない生活を始めたとき、せめてサッカーボールが側にあったら、とか思わない?」
そう優しく聞いてみると、ちょっと考えてから孝太は肩を落とした。わかったかな?
「……うん。確かに、最初はよくても段々つらくなるかも……」
私は今までとは違う意味で吐息を落とした。
うん。孝太も、悪気があったわけじゃないのは私だってよくわかってる。孝太くらいの年齢では、周りの人たちの気持ちよりも興味が引かれることに意識が引き摺られるのは仕方ないことだと思うし。
それでもわかってくれたことに安堵して、私は椅子から立ち上がり、布団に座り込んだままの孝太の頭をポンポンと叩いた。
「わかってくれればいいよ。孝太は言えばわかるし、反発してても相手の言いたいことちゃんと考えて納得できれば素直に受け入れるし、そういうところはすごいと思うよ」
普通は反抗心から見て見ぬ振りをしたり、意地になって余計に駄目なことをしちゃったりするけど。
孝太は考え足らずなところはあるけど、諭されれば理解できる頭もあるし、叱られても自分が悪いとわかればちゃんと謝って態度を改めることも出来る。まあ、欲を言えば叱られる前に余計な行動はとるなと言いたいけど、まだ義務教育も出ていないのにそこまで求めるのも酷だろう。これから少しずつ学んでいけばいい。
……人のこと言えた義理でもないんだけどね。たかだか二十歳の小娘が何を、と思わなくもないけど、気づいたことがあれば注意するのも年上の仕事だ。
とにかくわかってくれたし、あとは本人に任せて孝太の部屋を出ようと歩き出したら、姉ちゃん、と呼び止められた。何だい何だい、お姉さまが恋しくなったかね? ん? とか余計な茶化しを心の中で入れつつ振り返った。
「姉ちゃんはさ、何でそんなに人の気持ちがわかんの?」
またもアシュール出てこなくて申し訳ない!
でも孝太にも出番を……!