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二十夏 余波の余波の予感



 うぅ……。


 私は見たくなかった、気づきたくなかったものを前に途方に暮れていた。

 しかしいくらこれは幻じゃない?とか思ってみても、それが消えてくれるはずもない。


 目の前のアシュールの背中……というか、両脇あたりにははっきりと爪跡が。


 ええ、私がやりました。つい、出来心で。

 後悔も反省もしています。情状酌量はありですか? ……なしですね、はい。

 いやしかし、これは本気の本気でマズイ状況では?


 肩口に歯型。背中側の両脇に引っ掻いたような爪跡。


 ……。


 あははははははははは。笑っとけ笑っとけ!あははははははははは。


 ……すいません。


 現実逃避もしきれず、一人冷や汗を流す私。全ての元凶は自分だというのに、目の前の現実が信じられずに遠い目をしてしまう。

 もし明日アシュールが自分の身体に付いたありえない傷跡を見たら、ヤツは一体どうするんだろう。

 まさか、いつものことだと受け流す? ……いやいや、そんな最低な人間ではないだろう。うん。そこは信じているぞ。勝手ながら。

 じゃあどうする? ――きっと考えるよね、酔っ払って自分は何をしたか、って。で、この傷跡の感じから言って真っ先に思い浮かぶのは……。へい。アレで御座いますね。ははははは。随分激しかったんですね、みたいな。ははははははh笑えない!

 その後、だったら相手は誰ぞや? ってことになって、この家で候補は二人。……私か、お母さんだ。


 ……。


 ――嫌ぁああ! お母さんとアシュールが……、とか想像したくないぃぃいいいいい!!!


 って、違うのはこの私が重々承知しておるところなんですが。……泣きたい。

 ああもう、明日ひと波乱ありそうなのは目に見えているじゃないか! 戻ろうかな! アパートに!!

 ……いや駄目だ、もうすぐお盆だもん。お墓参りはしなきゃ。


 ……。


 まさに進退ここに窮まれり。



 私はがっくりと肩を落として、いまだに目の前でゆらゆらしているアシュールの背中を恨めしく眺めた。

 もうあれだね、これは、アシュールが背中の爪跡に気づかないことを祈るしかない。

 肩の噛み痕も、着替えをするときに鏡のあるようなところじゃなければもしかしたら気づかないかも……。……おお! そうだよ、うん。気づかない可能性もあるじゃないか! 何だ、大丈夫じゃん! 明日はアシュールに付きっ切りで監視していればいいんだ!! 私ってば多細胞っ。 ……。


 何となく多少の希望を見い出した私は、気を取り直してアシュールに向き直った。

 こんなところに長時間いるわけにもいかないし、アシュールの着替えに専念することに決めて、脱がせたTシャツを手に取る。まだ少し浮いている汗を拭いてあげようと思って。


 幾分冷静さを取り戻したら、今度は傷痕じゃなくアシュールの身体に目を奪われた。

 散々黄金率だなんだと罵っていた(誰が何と言おうと罵ってたんです!)けど、改めて見るとアシュールの身体は本当に綺麗だった。隆起する筋肉は無駄無く陰影を作り、明かりを弾く肌は肌理が細かく爪跡以外の小さな傷さえ装飾品のように見える。

 今は姿勢が悪いし力も抜けているから少し緩んでいるけど、何かスポーツでもすれば躍動する筋肉に目が釘付けになっただろうと思う。

 素直に、感嘆するしかなかった。


 ……はい、そんな身体に歯型を残してすんません。爪痕も。


 そうだ、じっくり眺めている暇なんてない。


「アシュール……。腕、上げて」

「…………」


 夢うつつを壊してしまわないように、私は声を潜め、耳元でささやくように頼んでみる。アシュールはくすぐったかったのかピクリと小さく身体を震わせたけど、特に目を開ける様子もなく、操り人形みたいにゆっくりと、ちょっとだけ、腕を上げてくれた。すかさず、そおっと腕にTシャツの袖を通していく。

 両腕を通し終わって、最後が問題だった。……頭、どうやって通せばいいの?

 逆にすればよかったか、とも思ったけど、どっちにしろ後に通す方がやりづらくなるから一緒だ。

 暫く迷った挙句、私は意を決してTシャツの襟ぐりに外側から自分の腕を通した。それから膝立ちになり、アシュールの頭を抱え込むようにして、できるだけ頭に衝撃を与えないように固定しながら被せていった。

 私の腕に触れるアシュールの白金の髪は絹糸のよう……と思ったら、意外と張りのあるしっかりした髪質だった。淡い色の所為で細く柔らかそうに見えていたけど、普通の男の人程度には硬さがある。でも傷み知らずの綺麗な髪だった。まったく、どこもかしこも……小癪な! 大体、傷跡も装飾品のようって有り得ないから! これでデベソとかだったら笑えるのに! あ、こんなところにボタンが、とか言いながら押してやるのに!

 余計な発見に驚きつつ腹立たしく思いつつ、一瞬このままTシャツを放してやろうかという悪魔のささやきが耳元で聞こえた気がする。顔面にビシィッとゴムぱっちん状態になったらさぞ驚くだろう。

 …………。

 ダメダメ! そんなことをしてもしアシュールが目を覚ましたりなんかしたら、気持ちがスッとしたとしても、同時に私から色々なものが失われる……!

 悪魔のささやきを振り払い、私は細心の注意を払ってアシュールにTシャツを着せていった。


 大学の試験中と同じくらい集中した私は、なんとか頭も無事通し終わった。あとはTシャツの裾を整えれば証拠隠滅――いや、着替え終了だ。

 裾を掴んで、屈みながら腰まで引っ張る。そのとき、こつりと肩に当たるものがあった。


「…………」


 アシュールが完全に夢の中に旅立ったのか、額を私の肩に乗せていた。ついでに何故か両腕が私を軽く包むように背中に回ってきて、かなり慌てる。

 そのままずるずると体重が掛かってきたから、私は焦って背中に回った腕を外すと、アシュールの首に手を添えて身体をそっと横に押した。逆らわず、アシュールは布団の上に倒れ込んだ。我ながら物凄い早業であった。背中に回った腕にあんまり力が入っていなくてよかったよ。……危うくまたしても下敷きになるところだった。

 気持ち良さそうに寝息を立てるアシュールを見、あまりの暢気な寝顔に軽く顔を引き攣らせた私は小さく拳を上げて殴る振りをしてから立ち上がった。

 それから当初の目的だった行燈を消し、私は無事、客間という名の危険区域の脱出を成し遂げたのだった。



 もう本当に絶対に決して余計なことはしないとここに誓います!!!



 ……本気でそう誓ったんですが、人生とはままならないものなのですね……。







なんとか切り抜けて、夜の(一人)すったもんだは一応終わり。

六花の所為であんまり甘くならなくて申し訳ない。

こ、これからです! これから……!

しかし六花の明日やいかに。



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