二夏 現実なのにファンタジー
「アッシュはさ、異世界から来たらしいよ」
我が弟君は、私から出来る限り離れようと上半身を引き気味にして(言っておくけど私が臭いとかじゃないから!)そんなことを宣った。
その言葉を聞いて、私はすごく納得した。
なるほどね。
まさかとは思ったけれど。
要するに、これが彼の有名な――、
“受験ノイローゼ”というやつですね。わかります。
そんなに受験が大変だったなんて。まだ半年以上あるのに……。だからあれほど、日々の勉強を怠るなと言ったんだ私は。サッカーばかりやっているからこういうことになる。今どき、スポーツ選手だって頭が良くないとやっていけないんだぞ。センスだけで活躍できるのは本当に才能がある人だけだ。日々の勉強から頭の回転を早くする努力というものをだな……って、何の話だっけ? 脱線しすぎた。
説教染みたことを考えながら、私も孝太と同じように僅かに上半身を引いて受験苦という病に侵された弟の顔を半眼で見つめる。もちろん腕は離さないけど。逃がすもんか。正気に戻れ。
孝太は私の言いたいことを察したのか慌てたように言い募る。
「マジだって! 母さんに聞けばわかる! いや、父さんの方がいいか、父さんが言えば姉ちゃんも信じるだろ!」
半ば叫ぶようにして言った孝太の顔は必死だ。
どうやら弟の受験ノイローゼは重程度らしい。今現在も視界にチラつく金髪男を 本気で 異世界人と言い、我が家の庭に落ちてきたのだと言っている。
かわいそうに。高校受験でそんなんじゃあ、大学はどうするんだ、弟よ。大学受験の方がもっと大変なのに。
でも、まあ万が一にもあの頭の堅いお父さんが孝太の言うことを肯定したら、信じてやらないこともない。努力はしよう。有り得ないだろうけど。
「とにかく、一先ず中に入れよ、母さんも父さんも奥に居るし。――アッシュ、買い物は後だ。姉ちゃん帰って来ちゃったから、先に説明する」
あぁん? 帰って“来ちゃった”とはどういう意味だ莫迦もん!
いやそれより、仮にも一週間前に“落ちて来た”とかいう“異世界人”をお遣いに出すとか、うちの家族おかしくない? おかしいよね? まさか受験ノイローゼの弟を抱えて育児ノイ――なわけないか。流石にね。
私が居間へ顔を出すと、父は趣味の盆栽の本を読み、母はお昼御飯の支度をしていた。母は私の顔を見、後ろから黙ってついてきた金髪男を見、一言。
「あら六花、帰って来ちゃったの」
「……」
私も一言言ってもいいだろうか。
帰って“来ちゃって”ごめんなさいね!
弟といい、母といい、何なんだ一体。正月以来久しぶりに見る娘(姉)の顔より、金髪男の方が大事なのか。確かに目の保養にはなるが、それよりもっと娘を歓迎してよ! “帰って来ちゃった”とか酷くない!?
かなりイジケた気分に陥りつつ、促されてテーブルにつく。母はもうすぐ御飯が出来るからと言って台所に戻ってしまった。
私は御飯の準備が整うまでの間に、父から事情を聞くことにした。
そして、父の話を要約するとこうだ。
“ある日突然、庭の上空2~3メートルほどのところに穴が開き、そこから金髪男が落ちてきた。事情を聞いてみると、どうやら魔導とかなんとかでの移動時に座標を間違えたらしい。直に迎えが来るようなので、それまで面倒を見ることになった”
一通り説明を聞いた私は思ったよ。
何そのファンタジー。
普通に有り得ないでしょう。何でそれをうちの家族は簡単に受け入れちゃっているんだ。怪し過ぎるっていうのに。
しかも、怪しさを冗長するのは金髪男が日本語をわかることだ。どういう原理かはわからないが、聞き取りは出来て、でも話すことは出来ない。
じゃあ“魔導”云々とか、“直に迎えが来る”とかっていうのをどうやって聞いたのかというと、金髪男が絵で説明してくれたらしい。
実物を見せてもらったんだけど、これがまた妙にリアルで……、本気で上手すぎる。何処の絵描きさんですか? と思わず聞いてしまいたくなったね。聞かなかったけど。
それはそうと私はその無駄に丁寧に描かれた絵の中にいた、従者っぽい濃紺色の髪の毛の人が気になった。眼鏡を掛けていたんだけど、異世界とかいうところにも眼鏡というものは存在するんだね。
ところでそのインテリ男がかなり私の好みなのだけど、迎えとはその濃紺髪の従者が来るのかね。こっちはしっかり聞いておいた。私的に重要なので。金髪男は首を傾げていたけど。どっちなんだ。はっきりしろこら。
私が見事な絵(主に濃紺髪の男)に見入っていると、父は笑いながら言った。
「まあ、異世界とは言え外国人が“ほーむすてい”に来たと思えばいいんじゃないか?」
……。
何そのイイ笑顔。
ホームステイくらい綺麗に発音しようよ。
私が頭の堅いはずの父の意外な柔軟性に驚いているうちに、母が居間へと料理を運んで来て家族プラス一の団欒的お昼御飯が始まった。
「アッシュ、今日のトマトはとっても甘いから食べてご覧」
「……」
「アシュール君、わさびはどうだ、君の世界にも似たものはあるのかい?」
「……」
「アッシュ、後でサッカーしようぜ」
「……」
いやいやちょっと待ちたまえよ、我が家族たち。金髪男はどれだけチヤホヤされているんだ。久しぶりに帰った娘の影が薄すぎる!
そもそも、落ちて来て一週間という金髪男、馴染み過ぎじゃない? あ。わさびでツーンとなってる。ざまをみろ。
母はせっせと金髪男の前に料理を差し出し、父は昼間からお酒を勧め、弟は勉強についてやサッカーについてあーでもないこーでもないと喋り続けている。一々律儀に金髪男は反応を返しているが、何なんだろう、この和気藹々感は。
異世界人が庭に落ちてくるって、普通の出来事じゃないよね? むしろ異世界とかいうものが存在することが奇跡だよね? もっとこう、戸惑いとかないの? 金髪男は金髪男で何普通に和食とか美味しそうに食べてるの、外見に合わなさ過ぎる。
何よりも家族が何の違和感もなく受け入れているのが違和感あり過ぎるよ!
私は納得いかない思いで悶々としたけれど、――とりあえず。
「アシュールさん、お醤油取って」