十七夏 肴は月と盆栽で 二
「アシュール君が落ちてきたとき、彼は父さんたちからは考えられないような素早い動きで体勢を立て直してな、直ぐに剣を構えたんだよ。恐ろしいほど鋭い眼光でこちらを睨み据えてな」
「ぇえ? 完全に危ない人じゃない!」
『アシュールが剣を構えた』そう聞いたとき、私は思わずガンッとお猪口を置き、身を乗り出してしまった。でもお父さんはそんな私の勢いにも笑って答える。
「ははっ、そうだな。今思えば危ない状況だった。でも、アシュール君を危ない人と思う以前に、父さんたちは驚きすぎて動けなかったよ。
だけどさらに驚いたのは、唖然としてる父さんたちを見渡して直ぐ、アシュール君が厳しかった表情と緊張を解いて、黙ってその場に剣を置いたことだ。それから丁寧に頭まで下げた。何事かを言いながらね。たぶんあれは謝罪だったんだろうな」
私は乗り出していた身を引いた。聞くだに信じられなかった。
孝太に剣を預けたと聞いたときも思ったけど、知らない場所に放り出された人が、そう簡単に身を守る拠り所である剣を手放す? しかも周りに見たこともないような人たちがいるのに? それって簡単なことなの? いや、無理でしょう。確実に安全だなんてわからないのに、剣を置くなんて。
それに、そもそも剣を持っていたってことは、アシュールの世界がそういったものを持ち歩かなくちゃいけない程度には危険と隣り合わせな場所だったってことでしょう? そんな場所で生きていたなら尚更、身を守るためのものを手放すなんて信じられない。
アシュールって実はあまり頭がよろしくないの? なんて思ってしまった。
そのときのお父さんも同じような(頭がどうのとは思わなかっただろうけど)驚きを感じたらしい。
「まあ、生きてきた環境で見る目を鍛えられていたからかもしれないが、アシュール君は、瞬間的に父さんたちを危険ではないと判断したんだろうな。
それからこれは父さんの勝手な想像だが、そのとき同時にアシュール君は、武器も持たず驚くばかりの父さんたちにとっては彼こそが脅威だということを察して、剣を手放したんじゃないかと思うんだ。父さんたちが驚きから回復して剣に気づいたときに恐怖を覚えないように。そのうえで、突然の訪問に謝罪をした。
……並大抵の度胸ではできないだろうな」
それはそうだ。
だって、たとえ相手が驚きに固まっていたとしたって、その人たちが安全だなんてどうして考えられるだろう。相手が驚きから抜け出したとき、恐怖のまま震えるか、それとも立ち向かってくるかは、予想が付かないんだもの。
それなのに剣を手放したってことは、突然襲い掛かられても対応できる自信があったのか、あるいはお父さんたちは安全だという確信があったのか。どちらにしろ、万一のことを考えたら結構な覚悟がいる行為だよね。
「アシュール君が剣を置いたという事実に加えて、服や剣を孝太に渡したことで、父さんの中で彼に対する警戒心が崩れたんだろうな。
……彼はね、先に父さんたちを信用してくれたんだと思うよ。自分の大事なものを委ねることでね」
ああそっか、そういうことなんだ……。
お父さんがアシュールを受け入れたのは、アシュールが先にお父さんたちを信用すると態度で示したからだ。
「とにかく一度家の中に入れて事情を聞いた。アシュール君も色々困惑していたようだが……。結局、迎えが来るまで置いてもらえないかと頼まれてな。思わず父さんは二つ返事で受け入れてしまったよ」
お父さんはそう言って肩を揺らして笑った。
アシュールはここに落ちてきたとき、きっとほとんど賭けに近いもので剣を置いたんじゃないかと思う。周りの状況も含めお父さんたちが安全だなんて、そんなの見たことのない世界で瞬時に判断出来ることじゃない。……と思う。
お父さんたちの警戒心を少しでも和らげるために剣を置いて、自分の大切な、剣を含めた衣装を委ねることでお父さんたちを信用するってこと、自分の身も任せるということを暗に表現したんだろう。
そこまでされたらお父さんも保護せずにはいられなかったんだろうね。頑固でも一本筋の通ったお父さんは、誠意には誠意で返す人だから。
それで今ではすっかりアシュールを受け入れて、かつお気に入りにまでなってしまったというわけだ。それはお父さんの性格を理解していれば、納得のいく展開だった。
「お前も最初は抵抗があったみたいだが、アシュール君の人となりを見て受け入れたんだろう?」
「え?」
合点がいったと頷いているところへ突然そんなことを言われて驚く。
私がアシュールを受け入れたと?
「服まで買ってやって。優しいじゃないか。支払った分、父さんが返してやろうか?」
お父さんは妙に優しい顔で笑ってる。それは子供の成長を喜ぶ親の顔だった。
…………。
なんかすごい、
居た堪れない!
何その慈愛に満ちた顔! こんなところにもマリア様が!? おいこらそこら中マリア様だらけじゃないか! っていうかむしろお父さんは見た目的にイエス様!? 何言ってるんだ、おこがましい!! いや私が何を言っているんだとにかく落ち着け!!
改めて服を買ってあげたとか言われると、すごく恥ずかしい。まるで私がお父さんやお母さんの仲間入りしてアシュールをチヤホヤしているみたいじゃないか!
優しいとかじゃないのにっ。受け入れた……のは、間違ってはないかもしれないけど、でも! まだいけ好かないとは思ってるし!
私は顔の紅潮を急いでお酒を煽ることで誤魔化そうとした。無理だとわかってるけど何か文句でも!?
お猪口に並々入っていた分を一気に飲み干して、叫ぶみたいに言う。
「もーっ、何言ってんの! 服はただ気が向いただけだしっ」
うんうん、ただお父さんの服があまりに似合わな過ぎて見ていられなかっただけだ!
「それに、お金なんていらないよっ。 私が勝手にやったことなのに」
お父さんには大学の入学金だって払ってもらったし、一人暮らしのための仕送りだってしてもらってる。学費は奨学金で賄ってるけど、入学金と仕送りだけで頭が上がらないと思うのに、私が自分の判断で使った自分のお金まで後からお父さんに請求しようなんて、まったく思わない。
私が大慌てで手を振ったら、お父さんはまたしても優しい顔で笑った。なんか、……敵わないなあ……。
「――お、アシュール君、どうした?」
「…………」
羞恥に耐えていたところでお父さんの声があがり、慌てて振り返ると私たちの後ろには話の中心だったアシュールが立っていた。手にはお盆を持っていて、その上には水差しとコップが乗せられている。……気が利きますね。
たぶん、傍から見たらお父さんと私、二人でお酒を飲んでヒートアップしてきているように見えたんだろう。主に私が騒いでいたので。何だよ、一人祭りかよ。ちぇっ。
アシュールが来たのは、小休止に水を、ってことだ。いやほんと、シンデレラはよく働くね。感心、感心。
「…………」
私は父に水を勧めるアシュールを眺めて逡巡したあと、ヤツの腕を引いた。ちょっとここに座りたまえよ。
「アシュールも飲まない?」
そう言ってお酒の瓶を示すと、アシュールからは困惑した雰囲気が伝わってきた。何だ私の酒が飲めないっていうのか! とかどこぞのお偉いさんのようなことを思う。
アシュールは迷っているみたいだったけど、断れないと思うな。だって……、
「おお、いいな。飲もう、飲もう! 今夜は月も綺麗だ。お陰で盆栽も映える」
もう盆栽はいいし。
とか思ったのはお父さんには内緒にして、アシュールを見る。ほら、断れないだろう。
私はアシュールの前に私の使っていたお猪口を差し出した。口をつけたやつだけど、アイスだって平気で食べてたし大丈夫だろう。私はアシュールが持ってきた小さめのコップを代わりに手にとった。
「はい、お猪口。私はこっちでいいから」
「…………」
「…………」
にっこり笑って言ったら、妙な沈黙が流れた。え。何よ?
目を瞬いていると、私の顔と手元を見、暫くして二人はプハッと吹いて笑い出した。何その反応?
あ! 二人して何か勘違いしてない!?
私はただアシュールは日本酒なんて飲み慣れないだろうから、コップなんかで飲んだら大変だろうと思って気を遣っただけだっていうのに! 私だって慣れてないけど、別にコップをとったからって水を飲むみたいにガブ飲みするわけじゃないんだけど!
二人が笑った理由を察した私が顔を真っ赤にして怒るのを一頻り笑った後、アシュールとお父さんは楽しそうにお酒を注ぎ合って飲み始めた。
おいちょっとだからその和気藹々感は何なんだ!
私をハブにしないでください。
覚えてろよ、二人して乙女を笑いものにしたこと、絶対後悔させてやる! って、これがいけないのか。うん。自制、自制、自制心。
…………。
だがやはりムカつく……!
私たちはそれから三人で、ゆっくり月を眺めながらの寝酒を楽しんだ。もちろんお父さんは月じゃなく、嬉しそうに一人で盆栽を眺めていたけど。
その間こっそり二人のお猪口にお酒を注ぎ足していた私に気づかず、惰性で飲んでいたお父さんとアシュールは自分が飲んだ酒量に気づかず、その後完全に縁側で酔い潰れた。さらに二人は縁側で転がっているところをお母さんに発見され、大目玉をくらうこととなりました。般若と阿修羅と仁王は健在でした。アーメン。
ざまあみろ。べ。
長くてすみませんorz
違和感あった部分、修正済み。
アシュールが実家にて“ほーむすてい”することになった経緯の回はこれで終わりです。
次話、第四ラウンド。しかし抑え気味で。