十四夏 見返りは頂戴します?
結局、率先して歩いていたアシュールは途中で自分は目的地を知らないという事実に気づいて立ち止まった。だから言ったというのに。いや言ってはないか。
仕方なく選手交代で私が先に立ち、目的のビルを目指して歩いた。その間、何故か手は離してもらえなかった。たぶん逸れるのが怖かったんだろう。全く子供みたいなヤツである。
私たちはビルの3階までエスカレータで上り、少し迂回して目的地のお店に到着した。
『ルブレクス』
私が結構気に入っている紳士服ブランドだ。爽やか系やシックなものがほとんどなんだけれど、所々にブランド特有の小さなアクセントが効いていてシンプル過ぎないようにデザインされているものが多い。
どうしてもこのブランドじゃなきゃ駄目、ということもなかったけど、まあ私も紳士ブランドに詳しいわけじゃないし、知っているところの方が無難かな、という守りに入った結果である。
でも実際、アシュールにはこのブランドは合うと思うんだよね。あんまりゴテゴテ着飾らなくても元が良いんだし、正直Tシャツにデニムとかでも十分だと思う。……しまった普通に褒めてしまったチクショウメ。
それにしても、ここまで来るのに随分時間が掛かったように感じるのは私だけだろうか。思い立ったが吉日とは思ったけど、アシュールと出かけるのは本当に大変だと身をもって知った気がする。誘蛾灯の一件だけじゃなく、昨日も含め色々と。まあもう終わったことはいいんだけどさ。
気を取り直してお店に入ろうとすると、何故かぐぃっとアシュールに腕を引かれた。危なっ。
「な、何っ?」
たたらを踏んで振り返ると、何故か真剣な顔のアシュールがいた。……今度は何よ? スッと買い物しようよ。そんでチャッチャと帰ろうってば。
またしても何か問題が起きそうな気配に、内心ちょっとだけ(いや結構)ぐったりしながらアシュールの様子を窺った。
「---------」
アシュールは軽く首を左右に振りながら何かを言った。
何だろう? 正直、言葉はさっぱりわからないので感情以外の細かいことはジェスチャーが頼りなのに、首を振られただけじゃ“何かを否定している”くらいしかわからん。
「なんか嫌だった?」
聞くとまた首を振った。嫌ではないらしい。……じゃあ何だ。
アシュールは首を捻る私を見て困ったように軽く吐息を零した。溜息吐きたいのはこっちなんですがね。
お腹の底でまたしても対抗心がモゾモゾしだして、私は慌ててこっそり深呼吸をした。ホント私、学習しているんです。アシュールに対抗心を燃やしてもイイことなんて何も無いって、よくわかったもので。
「どっか具合が悪いとか? それともお腹空いた?」
優しく、ゆっくり、冷静に聞く。子供に対応するみたいになってしまったのは、来る途中のヤツの行動がまだ意識下にあった所為かもしれない。
だけど、アシュールは私の言葉にまたしても首を横に振った。もう何なの。さっぱり検討がつかないんだけど。
困り果てていると、ヤツはショップの服を指差し、次いで自分を指し示して首を傾げた。その仕種の言いたいことはわかった。
“あの服は俺にか?”
的なことが言いたいんだろう。細かい部分はわからないけど。とにかく私はアシュールに頷いて見せた。
「そうだよ。アシュールの。お父さんのお古ばっかりじゃ嫌でしょ?」
「----」
当然だろうと思いながら聞いたのに、アシュールが再度首を振って、たぶん否定の言葉を口にした。
…………。
あー、そういうことね。
アシュールがショップに入りたがらない理由がなんとなくわかった。
要は、遠慮しているんだよね、服を買ってもらうことに。そうじゃなければ、わざわざお父さんのお古でいいとは言わないでしょう。どう考えてもサイズが合っていないんだし、着心地だっていいとは言えないと思う。そんなのをいつまで続くかわからない生活の中で、ずっと着続けていくのは本当は嫌なはずなのに。
変なところで謙虚だね、アシュールって。いやまあ、気持ちはわからなくもないけど。
私だって、見知らぬ土地で面倒見てもらってる人に住まいと食事だけじゃなく、服まで与えられたら遠慮すると思う。しかも新しいのを買うとなると。
だとしても、ここは無理にでも買わせていただくつもりだ。
だって正直、お父さんの服とかアシュールには合って無いし。見てられないし。いつ帰るかわからないけど、夏だからそれなりに着替えもいるだろうしね。
むしろ私が帰省するまで一週間もあったのに、ずっとお父さんのお古だったという事実の方が居た堪れないよ。私としては。もしかしたら今みたいに、遠慮して押し切ったのかもしれないけど、私は押し負かされないからね!
幼馴染から要らない服をもらうことも考えたけど、大学進学とともに色々整理していたのを知っているから、そんなに沢山不要な服があるとは思えなかったので、やめた。
新しい服を色々と揃えるとなると結構お金も掛かりそうだけど、今年の春休みはしっかりバイトして稼いだから貯金もそれなりにあるし、目の前のブランドはそんなにバカ高いってわけでもないからアシュールの服を買うことに何も問題は無い。
アシュールが躊躇する理由がわかって、しかも大した理由じゃなかったので私はホッとした。これでまたひと悶着、なんてことになったら明日は一日絶対動かないデーになるところだった。
「何か遠慮してるみたいだけど、別にタダで買ってあげるわけじゃないから気にしなくてもいいよ」
私が笑ってそう言うと、アシュールはほんの少し眉を寄せて首を傾げた。遠慮するなら見返りを頂戴すれば文句はないだろう。
「もう少し先だけど隣町で花火大会があるから、それについて来てよ」
花火大会はお盆の後で、今日から数えるとまだ一週間以上ある。アシュールがそれまでウチにいるかはわからないけど、わからないからこそそれでいいと思った。服を買うのは私が勝手にそうすることだし、別に本気で対価を欲しいとは思わないから。
それに、守れないかもしれなくても、一つ約束があればアシュールも無償で与えられるばかりじゃないと思えるだろう。
だけどそんな条件を出してもまだアシュールが戸惑った様子なので、さらにもう一つ追加しておくことにした。私って優しいな。
「あと、アシュールが自分の世界に帰って、万一もう一度ウチに来るようなことがあったら、そのときに何かアシュールの世界のものを頂戴」
にんまりと笑いながら私は言った。これも花火大会と一緒で、守られる保障なんて無い。むしろ花火大会よりも可能性は薄いと思う。そもそも今回こちらの世界に来たことだって不慮の事故っぽいし。二度同じことが起こるなんて奇跡以上じゃないかと思う。
だけど、本当にアシュールが異世界人なら、あちらの世界に帰ってから私との約束を守るために何かを用意して、それをいつも持ち歩いていたら……面白いと思わない?
「もちろん、ウチの家族全員分ね?」
お父さんにお母さん、孝太の分もとなると、結構大変だと思う。でも4人分のお土産を肌身離さず(いつこちらの世界に来ることになるかわからないからね)持っていれば、アシュールはきっと毎日私たちのことを思い出すだろう。そんなことをしなくても忘れられないくらい貴重な体験だったとしても、思い出す頻度は格段に上がるはず。
アシュールは意外に義理堅く、律儀で謙虚なところもあるヤツだから、無理に恩を売るつもりはないけど、そうやって時々思い出してくれたら、アシュールに懐いているウチの家族も報われるだろうと思ったんだ。
ああなんか、結構私も絆されているなあ、なんて思う。アシュールに会ってたった二日。でも、なんとなく心底悪いヤツでもないんじゃないかと思い始めていた。
こうやってアシュールはウチの家族を落としたわけか。ホント小癪なヤツである。
「そうだなあ、一人につき二つずつくらい、用意しといてね! これで満足?」
「……。 -----」
意識してニヤニヤしながらアシュールの顔を覗き込むと、アシュールは一瞬呆気にとられたように目を瞬いてから、次いでパッと弾けるように破顔して笑った。
たった二日。されど二日。濃密な二日。です。