十二夏 異世界人の献身
少しずつ意識が浮上した。
なんだか首筋が冷んやりする。あと、脇のあたりも。
気持ちいいなあ、と思いながら薄っすらと目を開くと、ぼやけた視界に妙にキラキラしいものが映った。
眩しいぞ、太陽。
とか思っていたら、その太陽は何故か徐々にこちらに近づいて来る。
何だコリャ、と思った次の瞬間やっと焦点が合った。眼が捉えたものは当然太陽なんかじゃなく、私は慌てて両手を翳した。
「――ッ!」
あ、危なかった……!!
キラキラ発光体の正体――アシュールの顔が、私の顔から僅か数センチのところに迫っていた。
咄嗟に両手でヤツの口を塞がなければ、危うく私のそれにぶつかっているところだ。見開かれる銀河のように深く吸い込まれそうな濃紺の瞳がすごく近い。さらりと降る紗のような白金の髪が私の頬に掠り、指先にはアシュールの冷たくしっとりとした唇の感触がダイレクトに伝わって、……伝わって……?
うひゃあ! 何何何なになになになにっ!?
きょとんと目を瞬くアシュールと冷や汗をダラダラ流す私の目がカチリと合わさって、体勢を崩せないまま凝固する。それから数秒の間があった。
えーっと、この状況は一体……!
気づけば私は木陰のベンチに横たわっていた。しかもアシュールの膝枕的な感じで。頭の下が固いです。お母さん。
いまだに私に覆い被さるようにしているアシュールと、動揺のまま固まり続ける私。な、何をどうしたらいいんでしょうか、お母さん!
私は心の中でひたすらアワアワと叫ぶだけ。実際には“うん”とも“すん”とも声が出ない。あまりに驚きすぎて!
そのまま私たちの間には妙な沈黙が流れて、何がどうなってこうなったむしろこの先どうしたら、とぐるぐると寝起きのような鈍い頭を回転させていると、暫くしてアシュールがゴクリと喉を鳴らした。……何を飲んだ?
手を離したらアシュールがそのまま倒れこんできそうで身体を動かすことができず、視線だけそろりと巡らせると、アシュールの手には私が実家から持ってきた保冷カバー付きのペットボトルが握られていた。さらに私の脇の辺りにはもう一本のペットボトル。こちらは保冷カバーが外されている。さっき脇が冷たいと思ったのはコレのお陰らしい。なるほど。
「……」
「……」
「……オッケーわかった把握したアイアンダースタンディッドナウなのでちょっと離れようかアシュールさんオーケー?」
ノンブレスで意味のわからない言葉を垂れ流し、アシュールを押しやる。アシュールはあっさり身を起こした。
…………。
そんな簡単に起きられるならさっさと離れてくれればよかったのに! 心臓に悪すぎる。
跳ねる心臓を宥める暇もなく、私もアシュールのかったい腿から起き上がろうと……したんだけど、押し戻された。なんか問答無用な感じで。肩を押された反動で後頭部をアシュールの太腿に強打したんですが。痛い……。
何すんの、とアシュールの顔を見たら、文句があるのか、とでも言わんばかりに見下ろされてしまった。
何その威圧感。怖いんですけど。
それでももう一度起き上がろうとすると、それを察したアシュールに肩を押さえつけられた。肘から先で両肩を押さえ込まれては上体を起こすことなんて出来ない。さらにヤツはこれ見よがしにペットボトルに口をつけ、挙句になんとドリンクを口に含んだまま少しずつ私に近づいてくるじゃあないですか。
これは脅しですねそうですねわかりますわかりましただからやめてくださいゴメンナサイ。
アシュールの本気の目に、私は慌てて両手を上げて降参のポーズをとった。
動きません起きませんからそれ以上近づかないでくださいお願いしますっ。
諦めた私を見て何故か満足気なアシュールにほんの一瞬殺意が湧いた。乙女を脅迫するとは何事だ。
しかし卑怯にも脅されたので仕方なくその体勢を維持しつつ、気になっていた首筋へと手をやる。そこには水で濡らしたハンドタオルが巻かれていた。
これってやっぱり、あれだよね。私ってば、十中八九軽い熱中症で倒れたってことなんだろう。
今日も暑かったし、炎天下の中アシュールを探して走り回った所為で、急激に体温が上がってしまったのかもしれない。
でもこれも自業自得だ。アシュールを逸れさせちゃったのは私だもん。
アシュールは倒れた私を介抱してくれていたんだろう。つくづく今日は申し訳ない。
さっきのも、ペットボトルに入っていた冷たいスポーツドリンクを飲ませようとしてくれていたんだと思う。私は意識がなかったから、その、……口移し的な、アレで。ソレはアレな感じだが……。アレだから仕方ない。うん。……何を言っているんだ、私? いまだに動揺から抜け出せていないなんて、私ったらどこの乙女さん!
しかし普通は驚くでしょう!? 目が覚めていきなりキラキラしいものが迫ってきたら!
キラキラしいものが……。
…………。
あああああもうっ。
あと一歩早く目覚めるか、遅く目覚めるかのどちらかにしてほしかったよ!
よりによって直前とか……。恥ずかしすぎて憤死する! せっかく落ち着いた体温だって急上昇しそうだ。そういえば川遊びのときも似たような――って、アレは思い出しちゃ駄目だ。余計恥ずかしくなる!
唯一の救いは、今顔が赤くても熱中症の所為にしてしまえるってこと。多少の体温の上昇もまだ具合が悪いのだと思ってくれるに違いない。……それでも恥ずかしいものは恥ずかしいんだけど……。
ところで、この体勢はいつまで続けなくちゃいけないんでしょうか、おか(略。
見た目はともかく気持ちの動揺を悟られないよう、手の甲を目元に当てて顔を隠すようにしていると、突然前髪が払われ、次いで額にひんやりとしたものが触れた。反射的に翳した手を外す。額にはアシュールの大きな手が乗せられていた。
ちょうど熱を測るような形で置かれた手はさっきまで冷たいペットボトルを握っていた所為か冷たくて、火照った額に触れられると本当に気持ちがいい。手も大きいから私の額なんてすっぽりと隠れてしまう。それどころか目元まで覆えるんじゃないか、ってくらいだ。
大きな手は決して柔らかいというわけでもなく、肉刺のような硬い感触もあったけれど、何より冷たさがあんまり気持ちよくて思わず目を閉じた。気持ちいいな……。
これはいいやとちょっと笑ったら、頭の上の方からもふっと笑うような気配がした。……いや、笑った、のかなあ……? なんだか吐息のようにも聞こえた気がしたけど、目を瞑ってしまっている私には生憎判断がつかなかった。
でも、どっちでもいいや。だってすっごく気持ちいいし。
木陰だからか時折涼しい風も吹いてきて、その心地よさにいつのまにか騒がしかった心も凪いで来る。アシュールも私も何も喋らず周りの喧騒も遠退いて、時間がゆったりと流れているように感じた。
そういえば、今日の午後はこんな風に涼しい場所でのんびり過ごす予定だったんだよね。アイスを齧ったりなんかして。それが今は大分おかしなことになってしまったけど。
なんてぼんやり考えていると、額の手がするりと外されてしまった。
ああ、気持ちよかったのに……。
名残惜しく思ったけど、また直ぐにアシュールの手は戻ってきた。反対の手に変えたのか、また少し冷たさが増していて、そのひんやり感にホッ息をつく。極楽極楽。
快適な状態に浸っている私の横でごそごそとバッグを漁る音がした。それでも気にせず目を閉じていると、頬や首筋を軽く拭われる感触がして驚いた。どうやらさっきのごそごそはもう一枚入っていたハンドタオルを取り出していたときの音らしい。
…………。
……なんか妙に優しいな、アシュール。
そう思ってしまうのは、私が捻くれている所為? 病人だから優しいだけ?
でもなんか下心がありそうだ(変な意味じゃなくて)とも勘繰ってしまう私は、性格が歪んでるんでしょうか。
そうじゃなくても、素直にされるがままでいいんだろうか。
何だか物凄く丁寧に扱われている気がする。
しかも、アシュールの放つ空気がこう……なんて言うか……。
妙に甘ったるい空気が流れ始めたようで、私は比例するように徐々に居心地の悪さを感じ始めていた。
後ろめたさの解消という下心が御座います。