一夏 壁ではなくイキモノでした
――実家に帰ると、見知らぬ外国人――いや、異世界人が居た――。
大学2年の夏、8月に入り暑さもいよいよ増して来た頃、私は約二ヶ月という長い夏休みを利用して田舎の実家に帰省することにした。都会のあまりの暑さから逃げたとも言う。
ビルの建ち並ぶ都市は、日陰も多いがアスファルトや磨かれた窓からの照り返しも強い。鉄板の中に放り込まれたようだと思うのは、私がまだ都会に慣れない田舎者だからだろうか。
蝉は煩いけれど、緑が涼しげに木陰を作り、玄関や窓を全開にしても犯罪の欠片も起きそうにない開放的な実家が恋しい。エアコンの冷たさよりも風の涼に惹かれるのは、やっぱり私が田舎者だか(略)。
実家の縁側で団扇を片手にアイスを齧る。これぞ私にとって外せない夏のイベントだ。日常的過ぎようがなんだろうがイベントである! 齧るものはスイカになったり桃になったりしてもいい。暑い縁側で汗だくで、汁だくになるのがいいよね。……え、私だけ?
それに、暫く実家を離れていたことで、母があれやこれやと世話を焼いてくれるのも嬉しい。
この間無事に成人も迎えたので、今年は父と酒でも酌み交わそうと秘かにお酒のお土産を用意していたりする。父とお酒を酌み交わす、なんて発想が男臭いのは重々承知している。私に女子力はない!
実家への帰省で唯一、受験に受かれば来年の春に晴れて高校生になる予定の弟が小うるさいのが玉に瑕だけれど、それでも私は帰るのが楽しみだった。
しかし、母の愛情に甘え、父との交流という名目でお酒を飲み、自堕落に休みを謳歌しようと思っていた私が、帰省した先で思いもよらないものに遭遇するとは誰が思うだろう。
「ただいまーっ。お母さ――」
慣れた仕種で簾を払いのけて入った先、玄関には何故か見たことも無い白い壁があった。
怪訝に思ったのは一瞬で、反射的に見上げた先で出合った“色”に私はポカンと間抜けに口を開けて立ち尽くした。
「――は?」
白い肌、
白金の髪に、
同色の睫毛に縁取られた瞳は宵闇の藍で、
星屑みたいな銀の虹彩がいくつも瞬くように散っている。
銀河を凝縮したみたいな瞳だ。
少し節のある鼻は過ぎない程度に鼻梁が高く、
その下に鎮座する唇は薄くも厚くもない。
それらのパーツを黄金率のように乗せた顔が、頭一つ分以上も上にある。
その上、頬はファンデも付けていないのにきめ細かくさらりと綺麗だなんて。
私は一歩半という至近距離にあったソレに驚愕し、慌てて簾を押し退けるようにして後退した。
――え? は? ぇえっ?
遮っていた壁が遠のき少しだけ開けた視界の隅に、熊のような虎のようなわけのわからない刺繍のついた草臥れた水色の手提げ袋が見える。巷でついに必須となったエコバッグというやつだ。田舎では前から存在していたそれは、年季が入りすぎて薄汚れている。それを男はお綺麗な手にぶら提げていた。
いや、待て。
似合わなさ過ぎるだろう。
しかも、よく見ればその金髪頭の着ているTシャツは父のもので、綺麗に筋肉の乗った身体に窮屈そうにぴったりと張り付いている。腹筋硬そう。って違う。
下に穿いているハーフパンツには見慣れない紐が。黒のハーフパンツには真新しい真っ白な紐が随分と映えている。これまた父のもののようだが、どうやら上はパツパツなのに、ウエストは緩々で、母が苦肉の策を弄したらしい。
Tシャツやハーフパンツから覗く手足はすらりと長く、筋肉もしっかりとついているのに身長の対比の所為か細く見える。
つまり、
何だろう、このイキモノ。
「あれ、姉ちゃん何やってんの?」
私を自失から救ったのは弟の小生意気な声だった。丁度いいところに……、っていやいや待て待て、何をそんなに平然と! 『何やってんの?』はこっちの台詞だ。
まずはこのイキモノの説明をしろ! というか、『おかえりなさい、お姉さま』と言え!
ってこれも違うっ。
こんな不思議生命体、うちには居なかったはずだぞ絶対に!弟よ!
混乱する私を首を傾げて見下ろしていたイキモノが何故か納得顔で頷いているのを横目に、私は高速で弟を手招く。高速すぎて手首が痛い。あ、ちなみにこの手招きは上から下へじゃなく、下から上へ、ね。アメリカンな感じで。……どうでもいいか。
かなりの混乱状態になりながら、近寄ってきた弟を力一杯引き寄せる。『痛ぇ!』とか聞こえたが、私の手招きスタイルよりもどうでもいい。
『ちょっと、孝太! あのイキモノは何っ!?』
数歩先で静かにこちらを見つめているイキモノを極力視界に入れないようにしながら、小声で弟を詰問する。引き寄せた弟が『姉ちゃん近い暑い痛い』とか言っているが、私の手招きスタイルよりも(略。
怪現象を目の当たりにしたかのような私の様子に弟は溜息一つ(生意気な)。
「あー、アッシュだよ。アシュール……えーっと、ヒャカスバーラだっけ?」
後半はきらきらしい不思議生命体に向かって言う。不思議生命体はこっくりと頷いた。日本語わかるのか。
すごいな勉強したのか、と驚く私を尻目に、弟はもっと私を驚愕に陥れることをポロッとサラッとアッサリ言い放った。
曰く。
「一週間くらい前に庭に落ちてきたんだ」
莫 迦 を 言 え 。