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「あまり暗くならないうちに帰ろうか」
少女の手を取り、ローレンスがゆっくりと腰を上げた。
「そうだね、また映画の時間とか調べて電話するね」
空いたほうの手でパタパタとスカートを払いながら、スティールは答える。
「待ってる」
ふわりと微笑むローレンスと別れの挨拶を交わして、見守られながら自分の一人用リニアカーに乗り込んだ。殆ど真四角の外観にとってつけたようなささやかなボンネットが付いている一般的な通学用リニアだ。
去っていく車を見送ってから、ずっと車内で待機していたアンジェラに促されて青年も乗車する。
仕事用には、今で言うロールスルイスのような大型のリニアモーターカーを利用しているのだが、学園では目立ちすぎるので、登下校時は四人乗りタイプの流線型のリニアの後部席にアンジェラと同席するようにしている。但し、硝子は完全防弾性で車体も相当頑丈な素材で作られているオーダーメイドだけれど。
「本当に微笑ましい光景ですこと」
「ふふ、皮肉なら通じないよ?」
「本心です」
溜め息と共にリニアを発進させて、アンジェラは隣の主を横目で見遣った。
「スティングを通したのも『微笑ましい』からかい?」
「勿論、それに今日は予想以上の効果もあったようですし……」
不敵に微笑む年上の部下に笑みを返し、ローレンスは頷いた。
胸の前で腕を組み、少し考える様子を見せる。
「……色々とスティングのお陰かもしれないな、あの子の態度が変わってきたのは」
「気の毒に、それじゃ当て馬じゃないの」
くすくすとアンジェラが笑い声を漏らす。
「いいんじゃないの? 何もなければただの幼馴染みのままだったわけだし。僕がカンフルになって彼が荒療治したってところかな」
左手の甲を顎にあて、プライバシー硝子越しに風景を眺めながら、しみじみと言った。
シティの中央部に近付くに連れて、街灯の数が増えて人工的な明るさに包まれていく。
「シャールとどんな経緯があったか詳しくは知らないけれど……今のところ、僕の方を選んでくれているようだし。それに……」
珍しく言い淀み思案している主に、アンジェラは物珍しげな視線を投げた。相槌は打たずに次の言葉を待つ。
「それに、どうやら彼女の言っている〈転生〉の話、真実らしいよ」
アンジェラははっと目を見張った。肩の上で切り揃えられた金の髪もぴくりと跳ねた。
「明らかに体験していない出来事が、声と一緒に目の前に再現されたんだ、今日二回も。恐らく、あの子とディーンの思い出に被る出来事や場所に触発されているんだと思うけれど」
真実味のないことならば口にしない主である。夢や幻ではないと確信しているからこそ告げたのだろう。
「それはまた……興味深い話ですわね」
「これからも多分こういう機会があって、徐々に色々と思い出すんじゃないかな。それとも何か大きなきっかけがあれば、一度に全て思い出すのかもしれないし」
見るともなしに風景を眺めながら思案していた瞳に輝きが戻る。
「どうなるにしろ、面白いね」
「ええ、私もこれからどうなるのか大変楽しみですわ」
ふふ、と笑いながら、アンジェラは手元の携帯端末に視線を移した。
のんびりするのも良いが、本日のスケジュールが押している。
「ローレンス様、部屋に着き次第オンライン会議を始めたいと思いますので」
うう、と唸り声で応じながら、ローレンスも気持ちを切り替えた。
とっとと全ての仕事を切り上げて、美味い酒でも飲みながら、もう一度あの子の事を考えるとしよう。
帰宅すると、いつも通り夕食の用意を整えた母親が、翌日の仕込をしながら娘の帰りを待っていた。
一旦自室に上がり部屋着に着替えて手洗いも済ませてから、スティールは食卓に付いた。今日もジルファは銀の界に行ったままなので、リルフィは機嫌良くダイニングテーブルの高さに合わせてしつらえられた自分の止まり木で食事している。
母親が料理好きなこともあり、ダイニングキッチンはリビングとは繋がっているものの、コンロなどが壁際にあり割と独立した形になっている。がらんとした十二畳のリビングを背後に、今日も帰りの遅くなるらしい父親の分を取り置いて母子二人で食事を始めた。
「久し振りにゆっくりしてたのねぇ」
スープで喉を潤してから、母親が口を開いた。「遅かったのね」とは言わない心遣いが娘には嬉しい。
「うん、ちょっと夕日を見てたの……」
「そうなの。あそこは絶景よね~。でもシャールもいないんだし、一人ではちょっと危ないわよ? いくらここいらが治安が良いって言っても。スティングが一緒なら安心なんだけどねぇ」
ほう、と心配そうに息をつく母親に、ぴくりと首を上げてリルフィが視線を向ける。
きっと「あいつが一緒の方が危険だっつーの!」とでも言いたいんだろう。
「あの、えと、実は今日も一人じゃなかったっていうか……っ、」
どもりながら弁当の時のように手元のハンバーグをぐしゃぐしゃに崩すスティール。顔色は既に真っ赤である。
あら、と手を止めて、母親はじっと娘の顔を見つめた。相手がスティングならば、こんな反応はしないだろうことは明白である。
「もしかしてボーイフレンドでも出来た?」
まさかと思いながらも、期待に目を輝かせて身を乗り出す。
「あ、う……うん……あのっまだお父さんには内緒にしてて……?」
恥ずかしそうに肯定するスティール。
「わかったわ。あの人ったら、ホントに何でもかんでも心配してねぇ。女同士の秘密ね?」
私があなたくらいの頃にはね、週末なんかいつもデートの予定でいっぱいだったのよ? とか、ああ娘とこんな会話をするのが夢だったのよ~と喜色満面の母を前に、娘の方があっけに取られてしまう。
「それで、どんな人なの? 同級生なの? かっこいい??」
矢継ぎ早に質問してくる母親の視線をかわしてリルフィを盗み見ると、そ知らぬ振りをして食事を続けていた。
「うん、とってもカッコいいよ。あのね、ローレンスっていうの。大学部の人」
別に隠しても仕方ないので、本当のことを教える。
「まぁそうなの~。なんだか高貴な雰囲気のお名前ねぇ。年上って素敵だわ。ちょっとスティール! デートに行くならもっとちゃんとした服を揃えなくちゃ! 今度買い物に行きましょ?」
「そ、そうかな?」
今まで洒落っ気のなかったスティールは、母親の指摘に動揺する。
「あ、この週末映画に誘ったんだけど……やっぱり持ってる服じゃダメかな?」
うーん、と娘のクローゼットの品揃えを思い出し、母親は唸った。
「野原で転げまわれるようなカジュアルなのしかないと思うんだけど。あぁやっぱりもっと年頃の女の子が着る可愛いのがいいわね。こないだカタログに載ってたのがいいわ。あれ、この後すぐに注文するから。それならあなたのサイズなら明日にでも届くから大丈夫よ」
とにかくもう嬉しくて仕方ないらしく、本人よりも楽しんでいる様子の母を見て、スティールは一安心した。
反対されたり叱られたりするとは思っていなかったけれど、親に認められて付き合えるならばそれに越したことはない。
頭の中で色々とデートの格好を考えている母親に向けて時々頷きながら、スティールはばらばらに分解されたハンバーグを口に運んだのだった。
入浴後に全身を映す鏡の前でちょっとウエストの辺りを気にしてみたり。普通の少女ならば何気なくやっているであろうことをようやくしてみせるようになったスティールをリルフィは微笑ましく眺める。
部屋に戻ると、髪を乾かしてから指でくるくるとまとめてアップにしてみたり、俄かにヘアスタイルまで気になるようになってしまったらしい。
「うー。長すぎるとくくるのも大変だなぁ。やっぱりちょっと切ろうかなあ」
そんなことをぶつぶつと呟きながら、鏡の中の自分に不満顔だ。
「ねぇリル、やっぱりあたし、このままだと子供っぽい?」
鏡の中から目を合わせて、質問が飛ぶ。
『子供っぽいってことはないけど、ちょっと無頓着過ぎただけなんじゃない? 大丈夫よ、素材は良いんだし着飾ればもっと可愛くなるわ。それにその髪、さらさらで素敵じゃない? 私は巻き毛だから羨ましいわよ』
止まり木から答えると、スティールは目を輝かせて振り向いた。
「リルって巻き毛なんだ! サンディみたいな感じ?」
『んー、あそこまできつくはないけど、ウェーブの中では割と巻き方がきついかしら』
以前家に遊びに来たことがある友人の姿を思い出しながら答えると、更に瞳を輝かせてスティールは止まり木ににじり寄って来た。
「うあ~! リルの本当の姿、見たい見たい~っ! ねっ、今度界渡りしたときに戻ってよぅ。ジルファさんがいないところでならいいんでしょ?」
期待に満ちた眼差しにたじたじと押される。
『え……まあその……そうだけど……。でもシャールの傍には絶対付いてきてるでしょ?』
「あー……そっかぁ……むう。残念~。けどいつか絶対見せてね? 約束ね?」
ぱっと気持ちを切り替えてじっと見つめられる。リルフィは大事な少女のお願いには、とことん弱い。
『わかったわ。じゃ〈いつか〉ってことで、約束ね?』
渋々頷くと、スティールは両手で万歳して喜んだ。
2012/11/29 改稿