ただそばにいさせて 1
界渡りしてとぼとぼと歩いて帰宅すると、両親は寝ないで待っていてスティールを迎えてくれた。叱られるのを覚悟して神妙な表情でただいまと告げた娘を二人はおかえりと言いながら、ぎゅっと抱き締めて。
「シャール、意識が回復したよ」
ただそれだけの報告で、二人は笑顔で頷いて「少しでも寝ておきなさい」と説明を求めなかったから、嘘をついているわけではないけれど二人に真実を告げられない罪悪感に涙が零れそうになる。
自室に戻ると精一杯集中して課題を終わらせて、ようやくベッドに入った頃にはもう空が白み始めていた。
すっきりしない頭で翌朝登校準備をしていると、約束していないのにスティングのバイクが玄関前に停まった気配がした。
「スティール、お迎えよ~っ」
階下から母親の呼ばわる声がして、「はーい」と応えて首を捻りながらも鞄とヘルメットを抱えて階段を下りて外に出る。
まだ時間に余裕があり少し待たされるつもりだったのか、スティングはエンジンを止めてバイクから降りて待っていた。
「よぉ」
「おはよ。どしたの? 今日約束してなかったよね」
「ああ……うん。帰りにちょっと付き合ってもらおうと思って。だから乗ってけよ」
「買い物か何か? うん、別にいいけど……」
昨日のどたばたですっかり週末のスティングの態度のことなど忘れてしまっているスティールと、何かいいたげなスティングの視線が絡む。
「おまえ、なんか目がはれぼったい」
「ぬー。なんて失礼なっ! あんまり寝てないから仕方ないんだいっ」
正直に告げられ憤慨するスティール。
「今度はなんで夜更かししてるんだよ?」
「シャールが昨日の朝倒れちゃって……ずっと付いていたんだけど、意識が戻ったのが夜中でね。急いで戻ってきたけど、あんまり寝てないんだ」
目頭を押さえたりパチパチと瞬きをしながら説明をして、隠すようにスティールはヘルメットを被った。
「そっかー。まあ、シャールももうそこそこ年だしな」
頷いて納得したかのように、スティングもヘルメットを装着してバイクに跨った。
「まだうちにきて十一年しか経ってないもん!」
不本意そうに返しながら、ここでも真実は告げられず沢山の言葉を飲み込んでスティールは少年の後ろに跨ったのだった。
途中でうつらうつらしながらも何とか放課後までやり過ごしたスティールは、調理室でクラブのメンバーと打ち合わせをしていた。
調理クラブといっても毎日調理していると大変お金が掛かってしまうので、レシピを決めたり手順を予習したり、または前回作ったものの反省会など、実習ではない日の方が多い。
今日は翌日のレシピのおさらいをして、残りの時間でめいめいにおしゃべりに興じているところだった。
いつも一緒に調理するサンドラにこつを教えてもらい、それをレシピにメモ書きしていると、話題を変えるタイミングを計っていたのかサンドラがスティールの顔を覗きこむようにして声を潜めて口を開いた。
「あのね、実はあたしね、昨日スティングとデートしたの。」
丁度文字を書き終えた瞬間だったスティールは、息を呑んでサンドラと目を合わせた。
「映画観たりお茶したり……まぁ、普段皆といるときとそう変わらないんだけど、二人っきりで遊んだの。」
大きな青い瞳がキラキラと輝いていて、頬はほんのりと紅潮している。
「ほんとに! 良かった、お付き合いすることになったんだ!」
おめでとう~っと言いながらスティールはぎゅうっとサンドラに抱きついた。
「ありがとう」
控えめな声でひとしきり二人で喜びを分かち合った後、ふとスティールは思い出した。
「あれ? でも何か今日帰りにあたしに付き合えとかなんとか言ってたんだけど……」
正直者な上に、ついつい声に出してしまうスティール。しかしそれはサンドラも承知していることらしく、別段驚いた様子も見せずに頷いた。
「スティングの気持ち、茶化さないで聴いてあげてね。私はずっと前からスティングが好きだけど、いつかは……私のこと好きになって欲しいけど……でも今はようやく一歩前進できたから、それでいいの。一人の女の子としてちゃんと見てもらえるから。だから、スティールもスティングのことちゃんと考えて、ね?」
「ちゃんと考えるって……なにを??」
サンドラの口にした言葉の意味を量りかねて、スティールの頭の中は疑問符が飛び交っていた。
隣に腰掛けて顔だけ向き合っているサンドラは、それに対しては曖昧な笑みで答えた。
うーと唸りながら、あ、あたしもこのタイミング逃さないほうがいいかも、とスティールも口を開いた。
「あのね……あたしも内緒話……なんだけど」
え、とサンドラが目を見開いて再び顔を寄せてきた。
「あたしもつい最近ローレンスとお付き合い始めたんだ~」
サンドラは叫びだしそうな口を自分の両手でしっかりと押さえ込んで、更に更にまん丸になった目でスティールを見つめた。
本当についこの間まで恋の話すらしなかった少女に、まさか年上で有名人の彼氏が出来るとは誰も予想だにしていなかったに違いない。
「……信じられないだろうけど、ホントだよ?」
俯き加減にちらりと上目遣いにサンドラを見上げるスティール。
サンドラは手を離すと、大きく深呼吸して気持ちを落ち着けようとしていた。
そうしながら、周囲の生徒たちが会話に気付いていないことを確認する。
「ローレンスが内緒にしていた方がいいって言うから、黙っててごめんね。」
一般の生徒が知れば瞬く間に学園全体に、そして世界中に知れ渡り大変な騒動になるやも知れないことをスティールはまだ理解していない。サンドラの方がその影響力の大きさを瞬時に悟り、絶対に口外してはならないことだと認識したくらいだ。
「あ、当たり前よっ。良かった~誰にも聞こえなかったみたいで……」
こそこそと椅子を引き寄せて、サンドラはぴったりとスティールに体を寄せた。カールした黒髪と紅茶色の髪が絡むほどの距離で。
「あのね、この学園内ではまだ噂聞かないけど、ローレンスさんって前の学園ではかなり沢山の恋人がいたみたいなんだけど……知ってた?」
「え、そうなんだ?」
ゴシップに疎いスティールはきょとんとサンドラを見つめ、
「あーでもあれだけカッコいいんだから、居て当たり前だよね」
と繰り返し頷いている。
サンドラの情報は雑誌やインターネットからのものだったが、信憑性のないことを口にしたりはしない。ごく普通のことのように、当然のこととして周囲にも受け取られていたネタだからこそ、スティールに告げたのではあったが。
けれどそういう恋人たちは別段隠したりする存在ではなかったらしい。
それなのにスティールには、秘密にして置くようにと告げた。
そのことが意味するものは……。
「あの、もしかしてローレンスさんから申し込まれたの?」
半ば確認の為、念の為にと尋ねると、
「そうだよ~えー、なんで判るの?」
赤面したスティールが肯定した。
やっぱり、と思いながら、サンドラは嫌な汗が噴き出してくるのを感じた。
「もう、スティールったら。もっと自覚して! 絶対絶対誰にも知られないようにしなくちゃ駄目だよ? 少なくともあっちが卒業するまでは」
「そ、そうかな」
そのあまりの迫力にスティールは目を白黒させてたじろいだ。
もしも何処かから情報が漏れたら、それが嘘でも真実でも確認の為に記者たちがわんさか押しかけてくるだろう。流石に学園内には入れないだろうけれど、学園内でも新聞部や写真部の餌食になることは想像に難くない。そしてそれ以外の生徒たちの反応も凄いことになるだろう。自宅だって最早寛げる場所ではなくなるはずだ。
なんてったって、相手は世界のシルバー・シュバルツ・コーポレーションの時期社長なのだから。けれどもそこのところがスティールにはどうもピンと来ていないらしい。
元々グラビアなどの情報から入ったわけではなく、ディーンを見つけたらたまたま有名人だったのだから、仕方がない点もあるかもしれない。それに〈銀の界〉にいたときにもディーンは王子らしさというのはその立ち居振る舞いからしか感じられず、特に着飾っていたわけでも横柄にしていたわけでも供の者を連れていたわけでもないので、やはり身分格差というものは感じていなかったのだろう。
しかし『有名』ということにかけては、ディーンよりローレンスの方がいろいろな観点から上手を行っている。王子たる者の顔を知る立場の者は少ないが、この世界では何しろ情報網が発達しているので、何かきっかけさえあればすぐさま世界中に映像が流れてしまうのだ。せめてもっと普通の見目形であれば、そうまで騒がれることはないのかもしれないけれど。
大きく溜め息をついて、サンドラはポンポンとスティールの肩を叩いた。
「スティールも前途多難みたいね……」
「うう。なんかよく判んないけど……サンディがそう思うんならそうなのかなぁ? ローレンスは、普通の人なのに変だね?」
見慣れてしまっているが為に、手が届かぬ雲の上の人とは感じられず、スティールにとっては綺麗で格好良くて傍に居るのが心地良い人、という括りになってしまっているのだ。シャールやジルファで美形慣れしてしまっているせいもあるのかもしれない。ディーンの弟である第二王子も、性格に難はあったけれど十分端正な外見をしていた。
「きっとローレンスさんも、スティールのそういうところに惹かれたんだと思うよ。」
サンドラは苦笑した。
「あう。わ、解んないけどっ、そうなのかなぁ」
顔を真っ赤にして照れまくっているスティールの様子なんて初めてで。サンドラは、改めてスティングの恋路も多難なことを知った。
あれほど恋愛に無頓着だったスティールが、ローレンスのことはきちんと異性として意識していて、また好意を寄せてもいる。出遅れたというだけでは済まされない大きなハンデだった。
2012/11/27 改稿




