第5話
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帝都から程遠いこの辺境の地ノールドは、寒冷地として知られている。
厳しく長い冬を越え、ようやく迎えた春を謳歌するかのように芽吹く植物たち。その恩恵にあやかる動物たち。生きとし生ける者たちが、もっとも輝く季節である。
一年の半分が雪に閉ざされるこの辺境の地を治める領主は、自らの足で領地を歩き、直に民の声を聞く。実に民に愛された領主だった。
その領主が住まう屋敷の客間に通されてしまったルーチェは、戸惑いを通り越して茫然としていた。
つい先刻前まで縛られていた両手は、今も手首に薄くあざを残してあの出来事が夢ではないと教えてくれる。座り心地の良すぎるソファーに座らされ、テーブルをはさんだ正面に座る金髪の青年と彼に勧められるがままにお茶を楽しんでいる。その香りで我に返り、状況に流されすぎた己を悔いた。
あの時転びそうになったルーチェを抱きとめ、空いている片手で手綱を引き馬を止めたのは、金髪に翡翠の瞳をした青年ジェイドだった。彼はこのノールドの領主の次男で、現在は王立騎士団長を務める人物だという。
偶然にも休暇で領地に帰省していた彼は、市井を巡り領民たちの暮らしを領主である父に報告するよう命じられ、今日もその途中だった。
「誠に申し訳ない。私の不在時にまさかこんなことになろうとは……
魔女と間違えて女性に縄をかけるとは、騎士としてありえぬ行為だ」
そう言ってジェイドはルーチェの捕縛を命じた男を睨んだ。その視線を受けびくりと肩を震わせたのは、王立騎士団副団長ライルだ。
団長不在の折、王から命を受け団長代理として意気込んで任に就いた矢先の失態とあって、かなり落ち込んでいるようだ。
「えぇと、私は誤解が解けたのなら構わない。素性もわからぬ私に嫌疑がかかるのも理解できる。
あまり責めないでやってくれ」
まるで飼い主に叱られた犬のようなライルのうなだれぶりに、思わず同情したルーチェが助け船を出す。
「あなたがそう言うのなら……と言いたいところですが、今回は理由が理由なだけにそうもいきません」
「理由?」
意味を掴みあぐねいているルーチェに、ジェイドは短くはっきりと告げた。
「噂をご存知ですか?」
「噂?」
やはり意味がわからずオウム返しするルーチェに、ジェイドはしっかりと頷いた。
「我々王立騎士団は王命によってのみ動くことが許されているのはご存知ですね。
その王命により、今回騎士団は有能な薬師を探していました。
その情報を集める過程で、ある女性の薬売りの話を耳にしたんです。そうだな?」
急に話を振られ、ライルは慌ててうなだれていた背筋を伸ばした。
ジェイドから視線で話の先を促され、冷や汗をかきつつ説明を続けた。
「我々は薬師の情報を集めているうちに、度々奇妙ないでたちの女の薬師の話を耳にしました。
顔もろくに晒さず、扱う薬も見たことのないものが多く、しかもそれが恐ろしく良く効くと。
始めはあまり気にも留めていなかったのですが、そのうちその女が魔女で実は毒を売っているのだという噂まで出てきて……」
「そしてその噂を真に受けてしまったのが、事の顛末ということです」
誠に申し訳ない。
そう言って頭を下げる二人に、言い知れぬ思いがこみ上げる。
(そう言えば、王立騎士団が薬師を探しているというのも噂だったな……)
改めて市井の噂話の恐ろしさを垣間見たルーチェだった。