第2話
週一くらいのペースで頑張ります。
「うちの子がすぐ腹を下すんだ。何かいい薬はないかい?」
恰幅の良い主婦が、見るからに怪しい闇色のローブの女に話しかけた。
女は二、三言ことばを交わしてから、木箱に納められた薬包を渡し、
「こちらのハーブティーを毎食後に熱めのお湯で淹れて飲ませてください。
それでも改善されないようなら、また別のものを用意します」
と小さな声でお代を伝えた。
目を合わせない様うつむく。目深にかぶったフードからは黒く艶やかな髪が覗く。
愛想も素っ気もない態度だが、客は後を絶たず様々な注文を述べては、薬や薬草を買っていった。
昼には客足も落ち着き、ようやく一息ついた頃には売り物がほぼなくなってしまった。
商売を始めた頃には考えられない売れ行きだ。
当初は怪しい風貌のルーチェに声をかける者は少なく、信用を求められる薬草を扱う店ということもあって、なかなか売り上げが伸びなかった。
が、珍しい薬草やハーブを多く取り扱う上、ルーチェ自身の薬学知識も豊富であったため、買い物ではなくルーチェの話を聞きに来る者が増えだした。
接客など初めてのルーチェは、戸惑いつつも言葉少なに的確な説明をし、客の欲しい薬の作り置きがない場合はその場で調合したりもした。
「あら、もう店仕舞いかい?」
「はい、売り物が無くなってしまったので」
声をかけてきたパン屋の奥さんにそう返して「午後からはお店の方を手伝います」と言うと、
「いいよいいよ、せっかくだから市を一巡りしてきたらどうだい?
なにか掘り出し物がみつかるかもしれないよ?」
手伝うといい募ろうとしたところをそう付け加えられて考え直す。
(そういえば、軟膏に使う蜜蝋が足りなくなってきたな)
「ではお言葉に甘えさせてもらいます」
ルーチェがそう言うと、奥さんは少し悪戯そうに笑い、「そこの通りの角の布屋の息子が良い男だって噂だよ」と教えてくれた。
(こんな田舎でもなかなか良い品が手に入るものだな。香りも質も良い黄蜜蝋が手に入るとは…)
予想以上に良い品が手に入ったことに気を良くしたルーチェは、「次も買いに行こう」と心に決め、内心うきうきと足を進めた。
売り場へ戻る途中、パン屋の奥さんが教えてくれた布屋の前を素通りしようとしたが、若い女性の群れにはまってしまった。
(成程、これが世に聞く「年頃の乙女」のなせる力…)
と、妙なところで感心していたが、完全に人垣に行く手を阻まれ身動きが取れない状態になってしまった。
ただでさえ人ごみが苦手なルーチェは、すっかり人酔いしてしまい、急に流れだした人の流れについて行けずに足をもつれさせた。
受け身を取ろうにも、抱えた荷物がそれを許さない。
迫り来る痛みを覚悟して眼をつぶると、地面の冷たい衝撃ではなく温かいものにぶつかった。
「怪我は?」
頭上から降ってきた声に驚き目を開くと、覗きこんでくる翡翠の瞳と目が合った。
「ここは人が多い。場所を移しましょう」
そっと肩を抱き寄せられ、言われるがままに人ごみを抜ける。
(な、何だ?)
「こっちへ」
急に視界が開け、やっと自分の現状を確認することが出来た。
(どうやら自分は見ず知らずの人間に助けられたようだな)
最近は奇特な人間が増えたのだな、とまたしても変なところで感心する。
「すまない、人が多い処に慣れなくて難儀していた。助かった、ありがとう」
ようやく顔を上げ、相手の顔を見る余裕が出来た。目の前にいるのは銀に近い金髪の翡翠の瞳の青年だった。照り返す太陽の光がその髪に反射してより輝いて見える。
そこでルーチェは、いつもより明るい視界に違和感を覚えた。
はっとして頭に手をやると、いつの間にかフードが脱げていたらしい。直に触れた黒髪に慌ててフードを被り直す。
「いいえ、慣れない人にこの人ごみは辛いでしょう。
そんなことより、隠してしまうのですか?せっかく綺麗な黒髪なのに」
フードからこぼれた長い髪をひと房すくい、まるで騎士の様に軽く口付ける真似をする金髪の青年。
このあたりでは見かけないその色に、昔見殺しにした人間を思い出した。
(そうだ、あの人間も翡翠の色だった)
嫌な記憶の断片が脳裏をよぎり、思わず「パシンッ」とその手を払いのけてしまった。
はっと我に返り、相手が何か言いだす前に
「すまない。田舎育ちゆえ無礼を許してほしい。わたしは急いでいるのでこれで失礼する。
これは打ち身の薬だ。よかったら使ってくれ」
常に持ち歩いていた琥珀色の小瓶を押しつけ、小走りで逃げるようにその場を離れた。
その背に向けて伸ばした青年の手に、彼女は気付くことはなかった。
大通りの脇にある人通りの少ない小さな路地で足を止め、壁に肩を預けてずるずるとしゃがみこむ。
荒い呼吸のせいで潤む視界を瞼で閉ざす。
「……師匠、ごめんなさい。私はまだ、人が怖い」
うつむき震える小さな声は、大通りの雑踏に紛れて消えた。