要郭編16
「さて、面子は揃ったな………」
そう呟いた朔白は、機嫌がよいようだった。両隣に夫の随訓と忠臣の茴香を侍らせ、月旦らを一通り眺める。居心地が悪そうなのは浅葱で、彼だけはうつむいていたが、月旦や群青は話し合って蹴りをつけようと意気込んでいた。誰も円卓に並べられた料理には手をつけようとしない。使用人は誰も口にしにない茶を注いでは取り替えていた。
*
風呂から上がった二人は随訓の屋敷の使用人に促されるまま大広間へ案内された。広間の入り口には花冠司馬の紋章をつけた武人が待ち構えていた。門番の横を通り過ぎるとき、月旦は自然と肩身を狭くしている自分に気がついた。隣にいる群青は何食わぬ顔で落ち着いている。余裕の笑みさえ見えそうだった。
「お前は色を捨てたのかと思ってた。あんなに気に入ってたくせに」
群青が口を開いた。その視線の先には朱色の円卓があり、椅子の一脚に鮮やかな青色の髪の少年が座っていた。
どこか楽しげな群青に対し、浅葱は嫌々首を回して顔を上げた。
「……捨てたりしない」
覇気のない声だった。元の色に戻った浅葱は、別人かと思うほど雰囲気が変わっていた。印象が変わった大きな原因は髪と瞳の色の違いだろう。透き通った明るい青色は否が応でも人目を引いた。玉のように美しく、まるでこの世のものとは思えなかった。浅葱と比較をすると、群青のそれはまだおとなしい方だ。よく覗き込まなければ青色であると気がつけない。
「嫌味を吐く気力も削がれたのか?」
浅葱からは自分に構うなと言う無言の言葉が聞こえていたのだが、群青はそれを気にすることなく気さくに話し続けた。黙っていても仕方がないと観念したのか、浅葱は群青に向かってため息を吐き、小声でぶつぶつと呟き始める。
「僕のことなんてどうだっていいじゃない。君の姫様が花冠に消されなくてよかったね。これで君の野望はまだ終わったわけじゃない」
「その方がお前らしい。沈んでるなんて珍しいじゃないか。気取り屋で格好つけたがりが」
浅葱は群青の言葉に、弾かれたように顔を上げた。言い合いが続くのかと思いきや、浅葱は歯を食いしばって文句を飲み込んだ。これ以上つついても浅葱がひねくれるだけだと悟った群青は口を閉じることにした。
すると間もなく入り口から誰かが広間へ入ってきた。長い髪を翻しながら、慌てたように駆け込んでくる。
「こちらです、父上!」
そう言ったのは茴香だった。茴香の背後には口ひげを生やした学者のような男が居た。茴香は群青の側へ寄ると、後ろからやってきた学者の男を紹介した。
「こちらは私の育ての父であり、師です。花冠では町医者を営んでいます」
茴香の紹介が終わるや否や、学者の男は茴香の前に踊り出て感嘆の声をあげる。
「おお!!見事な…!」
「は?」
興奮した様子の親子に、群青は困惑した。何が見事であるのか思い当たることがないからだ。
「まさか、本当に色を持つ種族が存在するとは…!ああ、差し支えなければもっと近くで見せてくだされ!」
学者の男はそう言うと、群青の返事も待たずに両の手で群青の顔を掴み、その瞳を覗き込んだ。
「おっさん!俺は見世物じゃないぜ!」
「ああ、すまない!つい、興奮して……」
群青は声高に叫んだ。初対面の人間に顔を掴まれるなど、いくら群青でも気分がよいことはない。学者の男は慌てて群青から手を離すと、今度は椅子に腰掛けている浅葱を見た。次は自分に矛先が向くと予想がついた浅葱は、何か言われる前に学者の男に告げる。
「僕に同じことをしたら、あなたの両腕をもらいます。その腕で人を救うことはもうできない」
「す、すまない!悪気はないんだ!私はこの少年の怪我の具合を見に来た。本来の目的はそれだけだ」
浅葱から遠ざけるように、学者の男は両腕を自分の背中に隠した。場を取り繕うように、群青は笑みを浮かべて言う。
「茴香の言う腕のいい医者ってのはあんたのことか。花冠からわざわざ来てくれたのか?」
「いいえ、あなたは幸運だったのです」
群青の問いに答えたのは茴香だった。
「幸運だった?」
聞き返す群青に、茴香は笑みをみせるだけで、明確な答えは言わなかった。
月旦はまただと思った。先ほど随訓も同じように月旦の質問をはぐらかしたからだ。
「お前たちが本当に診察したいのは誰だ?姉上や随訓が患っているようには見えなかった」
月旦は茴香らにそう尋ねた。茴香と男は互いの顔を見つめあう。二人とも困惑しているように見えた。
「私が話そう。皆席に着くがよい」
立ち尽くす茴香とその父、月旦と群青に噂の主が声をかける。
「朔白様!」
主の姿をみとめて、茴香の顔に笑みが浮かんだ。
「浄手、お前も卓を囲むか?」
「い、いえ!滅相もない!私はただの野次馬です」
「そうか。ならば研究は後にしてくれ。我らには話し合わねばならぬことがあるのじゃ」
茴香の父・浄手は朔白に促されるまま広間の外へ出て行った。花冠一行はごく自然に朔白を取り囲むように椅子に座し、月旦、群青も空いている席へ腰掛けた。
「さて、面子は揃ったな…。病み上がりに手負いの小僧が相手だ。そちらの言い分を汲んでやろうか。何が聞きたい?」
朔白は笑みを浮かべながらそう尋ねた。月旦は自然と朔白の腹の内を読もうとした。どうしてこのように機嫌がよいのだろう。どうして優しい素振りを見せるのだろう。しばらく会わないうちに角のあった性格は丸くなってしまったのか。昔の朔白は好きになれないと思っていたが、無くしてしまった今では寂しいような心地もする。考え込むうちに、月旦の眉間には皺が刻まれていた。聞きたいことは山ほどあったが、月旦の口から飛び出たのは、
「あなたは本当に、姉上ですか?」
という一言だった。
月旦のその発言にぎょっとなったのは群青だった。いくらなんでも唐突過ぎる。目の前にいる女が朔白でないのなら、何者なのか。これには朔白も怒るのではないかと群青は思った。
「そう来たか…。素直になれと忠告したはずだ、月旦」
随訓は苦笑しながらそう言った。朔白は子供のように頬を膨らませている。
「そなたの記憶には、鬼のような姉の姿しか残ってはおらぬのか…」
「本当に姉上ならば、何か心境の変化がおありなのか」
月旦は苦笑する一同の中でも真剣だった。真剣に、この目の前の女が自分の姉なのか見定めようとした。
「いかにも。私はな、九月の後に母になるのじゃ」
その言葉は誇らしげに、可憐な少女のように明るい声で紡がれた。
「……子が……?」
月旦は自然と視線を朔白の腹へ向けながら呟いた。
「我らが要郭を訪れたのは、随訓の故郷をしかと見つめておきたかったからじゃ。随訓は花冠が貰い受ける。無論、司馬将軍として、後の皇の父として」
朔白は随訓を見上げた。随訓は頷いて答えた。
「朔白はこの旅から戻った後、現花冠皇から玉座を賜る。これからは気軽に花冠を出ることもかなわないだろう」
姉と義兄の口から、皇だの玉座だの生々しい言葉が出てくることに、月旦は驚いていた。いずれそうなることは言わずとも花冠の皆が理解している。だからこそ、口に出して告げられると奇妙な心地がする。また、その話題の中心に自分の姿がないことも、月旦にとっては違和感だった。もう花冠のことなど、思い出に変わったとばかり思っていた。けれど違った。本当は月旦は、花冠を忘れることなどできない。無意識に、話の中に自分の名が出てはこないかと耳をすませてしまう。月旦は自分に嫌気がした。
うつむいて顔をしかめる月旦に気がついて、群青もまたよい気分ではいられなかった。