表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君臣のドグマ  作者: 回天 要人
承章
45/51

要郭編12

 随訓の生家に足を踏み入れた月旦は、その後数日間床で一日を過ごすことになる。原因は風邪だ。高熱、咳、頭痛に吐き気と悩まされ、食事さえ喉を通らない日が数日続いた。今はようやく、粥くらいなら摂れるようになってきたのだが。

 浅葱に追われ、逃げ惑う道中で民家の前に並べてあった水瓶の一つに突っ込んだ。水浸しになった身体を忘れたつもりは無かったが、その後の出来事があまりに唐突で予想外であったために、ついうっかり身体を乾かすことを怠ってしまった。身内と再会して、まして快く屋敷に招かれたことで張り詰めていた気が弛んだのも原因の一つだろうか。野山で野宿をしても病一つかからなかったはずが、簡単に風邪を引いてしまった。

 敵の本拠地に落ち着いていながら、身体は病に冒され身動きが出来ない。これは一大事だと月旦は熱に浮かされながら思ったが、そんな心配をよそに、朔白らは何もしかけてはこなかった。月旦を消したいのならば今以上に絶好の機会はないと思えたが、彼らは毎日談笑しながらのんびりと二人きりの時を過ごすばかり、日が昇れば要郭の街へ繰り出して物見遊山に励んでいた。挙句の果てに、床に臥せっている月旦の枕元へ、見舞いの品だと言って観光地の名産品を置いていくのだから意味がわからない。本当に彼らは、月旦の命を奪う気があるのだろうか。いつ何をされるだろうと、ビクビクしていたのもほんのつかの間、月旦は最早何を恐れていたのかわからなくなっていた。

 その日は、まだ時刻は正午を過ぎた頃だった。いつもならこの時刻は朔白とともに物見遊山に出かけているはずの随訓が、笑みを浮かべながら月旦の部屋へやってきた。今日の月旦は床から起き上がって、客間の椅子に座していた。ようやく頭が冷えてきて、何がどうなっているのかゆっくり考えられるだろうと思っていたところだった。真意のほどを朔白や随訓に尋ねる気力はまだなかったが、自分の中で記憶と状況を整理したかった。


「やっと警戒しなくなってきたな。それとも、病で警戒する気力もないだけか?」


 随訓は皮肉交じりに月旦へ声をかけた。客間の戸口に寄りかかりながら、腕を組んで立っている。また過剰に警戒されてはかなわないとでも思っているのだろうか、月旦の側へは近寄らず、入り口でたたずんだままだった。


「……どちらも、その通りだ」


 月旦は楽しそうな随訓を見て顔をしかめる。本気で病に悩まされた月旦の数日間を、茶化されたように思えたからだ。


「顔色は悪くないが、病は治りかけが一番気を抜いてはならんと聞く。一度医者に診てもらえ」

「医者?」


 月旦は随訓の提案に警戒の色を強めた。もしや、医者に見せた挙句薬と称して毒を処方されるのではないか…警戒心などとうに消えたはずだったが、冷静になった月旦はやはり自分は命を狙われる立場なのだから、安易に彼らの好意を信じてはいけないと考え直した。数日間何の攻撃もされなかったことは思案の外だ。疑り深いというのか、要らぬ心配が過ぎるというのか。

 またしても刺々しい空気を醸し始めた月旦に、随訓は笑みを零しながら告げる。


「腕のいい医者がそろそろ到着するそうだ」

「わざわざ、呼んだのか?」


 そう問う月旦に、随訓は片頬で笑ってみせる。


「いや、お前はついでだ」

「ついで?」


 月旦は首をかしげる。何のついでだと随訓に目で問うが、随訓は微笑むだけだった。明確な回答のないまま、話は別の話題へと変わっていく。


「お前を毒殺しようなどと考えておらん。起き上がれるのならそろそろ下へ降りて来い。お前を追っていた小僧のことも気になるだろう?朔白もお前と話したがっていた…。と、その前に風呂がいいか?お世辞にも見目麗しいとは言いがたい姿だ」

「………」


 病床の月旦に身なりを気にする余裕は無かった。随訓の申し出はありがたかったが、素直に礼を言えるわけもない。無言で返事を返すと、


「…いいか、月旦。朔白はお前が考えているほど非道な人間ではないぞ。お前をそんな風にしてしまったのは花冠の連中だが、花冠とて皆が皆お前の敵ではない」


 随訓は真剣な様子で淡々と述べた。どこか遠くを見つめるような目で、少しばかり悲しそうな目にも見えた。随訓は遥か彼方の花冠を思い出しているのかもしれない。


「朔白を信じてやれ。昔はお前に無理難題を押し付けたこともあったが、あれは朔白なりの戯れ…。俺が言っても説得力はないだろうが、疑心暗鬼に陥るのはやめにしろ。素直な心で思い返せば、真意は自ずと見えるだろう」


 静かに告げる随訓の言葉は、月旦の中に染み渡っていった。素直な心を、いつ無くしただろうか。純粋に国を愛し、家族を信頼し、楽しい未来を思い描いていた頃、朔白にも随訓にも随分と度が過ぎる悪戯をされた気がするが、確かに今思い返せばあれらは戯れといえなくもない。遥か昔には、悪戯を咎められ、母に手を引かれつつ泣きながら月旦の元へ謝りに来た朔白の姿もあった。あの涙は本物だったはずだろう。

 月旦は去り行く随訓の背を幼少の頃に戻った気持ちで見送った。あの頃の月旦は随訓がうらやましかった。朔白と兄弟以上に仲がよい上に、彼らは対等だった。彼のようになれたら、朔白と、姉上と対等であれるのにと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ