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君臣のドグマ  作者: 回天 要人
承章
41/51

要郭編8

 一方、要郭官庁からの大胆脱出を試みた群青は、追っ手から逃れつつ、とある民家へと逃げ込んでいた。浅葱がこのまま自分を見逃すとは、群青は思っていない。浅葱はきっと要郭文官の立場を利用して、自分を捕らえるだろうと予想を立てた。案の定、街中では挙動不審の若者たちが、聞き込みやら張り込みやらに精を出しているらしい。このまま要郭に留まれば、あちらに勝機があるのは目に見えていた。本来なら早々に月旦と合流して、一旦は要郭を離れるべきなのだが、群青は未だ民家でこっそりと身を隠していた。

 民家の名はこう家と言った。庚家は古くから要郭で暮らす農民の家だ。街の中心からは程遠い南のはずれにあり、主に稲作をしている。庚家の周りには田畑しか見当たらず、のんびりとした風景がどこまでも広がっていた。群青はこの地に居る限り、己が追われていることを忘れてしまえると思った。それくらい、庚家の人々も風景も群青の心から重苦しいものを取り除いてくれた。

 庚家に身を寄せて、何日か目の朝が来た。鶏の声と日の出を合図に、庚家の人々は起床し、仕事を始める。田畑に出て草を取り、水をやり、土を均し、種をまく。朝日が庚家の家屋を照らした。木製の玄関扉が開け放たれ、中から灰色の髪の少年が飛び出した。年の頃は十くらいの、快活そうな少年に見えた。少年は家屋の壁に立てかけてある梯子を肩に担ぐと、家屋の側に生える木に近寄った。そして、梯子を木の幹に固定すると、軽やかに上っていった。


「おーい、兄ちゃん!朝だよ!」


 木の上には布が張ってあった。木の枝と枝に布を結びつけ、布の上に人が寝転がっていた。少年は木の上の人物に呼びかけながら、にこやかに梯子を上る。


「悪ぃなあ、毎朝毎朝」

「悪いもなにも無いよ。母ちゃんも父ちゃんも、逆に申し訳ないって言ってるのにさ。そろそろ外じゃ寒いだろ?」


 布の上で寝起きしているのは群青だ。群青は梯子を上ってきた少年に手を振り、挨拶をした。少年は梯子を最後まで上がりきり、布の上に顔をのぞかせた。どうしてか寝転んだ姿勢のままの群青は、顔をのぞかせた少年へ苦笑いをした。

 少年は懐から水と食料を取り出すと、群青の腹の上へ放った。群青は放られたものたちを両手で受け止めた。


「仕事も手伝ってないのに食い物もらってるんだから、それだけでありがたすぎる。これ以上は俺も申し訳ないって」


 群青はそう言いながら、受け取った水筒の蓋を開け、口元まで持ち上げた。しかし、寝転んだ姿勢のままでは上手く水が飲めない。水筒が口にたどり着く前に、水は下へと滴り落ちた。その様を見ながら、少年は困ったように眉を寄せる。群青は場を取り繕おうと、先ほどにもましてへらへらと笑った。


「ねぇ、兄ちゃん…。やっぱりさ、一回街の医者に見せた方がいいんじゃない?荷車なら、俺でも引けるしさ」

「お前の気持ちはありがたいんだけどな、厄介者のために仕事手を割いて街まで歩かせるなんてできねーよ」


 群青は何か言いたげな少年の頭を撫でた。少年は「子供だと思って」やら「厄介なんて思ってないのに」やら、もごもごと口の中で言っていたが、群青が「早く戻って仕事を手伝え」と促すと、しぶしぶ梯子を降りて行った。

 一人になった群青は、もらった食料たちを身体の脇にどけると、天を見上げた。木の葉の隙間から青い空が見えた。こんな日は、外で働くにはもってこいだろう。働けるなら、動けるのなら、群青も庚家のために存分に力を使うのだが、今の群青は働くどころか起き上がることすらままならなかった。


「医者か…」


 群青はため息を吐きながら呟いた。街になど戻れば、途端に武官に捕まるだろう。かと言ってこのまま寝転がっているわけにもいかない。官邸の窓から飛び出した際、着地した足に問題はなかったのだが、窓を突き破った背に違和感があった。今では背骨を動かすと針が刺さったような痛みが走る。ゆえに容易には起き上がれず、歩くのにも一苦労だ。気持ちは早くと焦るのに、身体がついていかない。

 時は少し遡る。群青は官庁から庚家まで、荷車に乗ってやってきた。官邸を出て程なくして、背が血まみれだということに気がつき、群青は顔をしかめた。あまりうろつくと通りすがりの人間が自分の姿を記憶してしまいかねないからだ。また、興奮が冷めてきてからは身体が重く、熱く感じられ、とりあえず一旦足を留めようと、道端に停めてあった荷車の上の稲藁に寄りかかった。寄りかかって、一息ついたところまでは記憶が定かなのだが、その先の記憶が一旦途絶えていた。

 群青が思った以上に群青の身体は悲鳴を上げていたのかもしれない。痛みの感覚は覚えていないのだが、身体が熱かったことだけはおぼろげながら記憶している。その次に群青が気がついたときには、場所は庚家の寝台の上に変わっていた。熱にうなされたのは最初の何日かで、熱が引いてからは、重い身体をどうにか木の上に引っ張り上げ、今に至る。

 朝晩、庚家の一人息子・蒼玉そうぎょくに水と食料を運んでもらう以外、極力誰とも会わないようにして、この地に身を隠した。もっとも、この地にやってくる新参者はほとんど居ない。しかし、近所付き合いは頻繁に行われているので、群青はむやみに家には近づかないことにしている。


「通りすがりの医者でも居ないもんかなぁ…」


 都合の良い呟きが群青の口から漏れた。次いで、群青は寝起きの身体を目覚めさせるために、伸びをしたい衝動に駆られた。が、伸びのために僅かに身体を動かすことでも、身体の芯に痛みが走った。群青は痛みに顔をしかめつつ、舌打ちをする。

 逃げ出すにも月旦を探すにも、庚家のために働くにも、身体が動かなければ仕方がない。ここは自分の正体を明かして、蒼玉に荷車を引いてもらうしかないかもしれない。


「その前に、追い出されないことを祈るばかりだな」


 群青はゆっくりと身体を起こしながら、片頬で笑った。蒼玉が残したままの梯子をこれまたゆっくりと降り、開け放たれた玄関扉まで亀の歩みで近寄った。


「あら、起きて大丈夫なの!?」


 玄関扉の中から、若い婦人の元気な声が聞こえてきた。婦人は蒼玉の母だ。竹で編んだかごを抱えて室内を横切り、群青の側までやってくる。


「いい知らせよ!村に旅のお方が訪ねてこられるのですって。大人数で要郭へお越しになったようだから、もしかしたら中に、お医者様がいるかもしれないわ」

「旅人…?」


 群青は玄関の壁際に寄りかかりながら腕を組んだ。蒼玉の母は、群青の顔色を窺い終えると、にこにこと微笑みながら机に着き、かごの中の豆のさやをむき始めた。


「旅人ってまさか、花冠からの?」

「さぁ…そこまではわからないけれど。村のお米やら作物を買っていかれるそうよ」


 旅人と聞いて群青の頭をかすめたのは、月旦が言っていた花冠女皇のことだった。女皇一行が花冠まで戻るために、食料を仕入れるのは奇妙なことではない。まして、食料を仕入れるだけならば街の中でも事足りるのに、わざわざ産地に出向くのだ。些細なものにも金をかけそうな女皇なら辻褄は合う気がする。


「蒼玉に使いをさせるから、あなたは家でゆっくりしていなさいね。期待させておいて悪いけれど、必ずしもお医者様がおいでになるとは限らないのだし、安静にしていた方が傷が酷くならずに済むでしょう」

「何から何まで、わ」


「悪い」と詫びようとした群青を、蒼玉の母・玉陽ぎょくようは遮った。


「いいの。子供は遠慮しないの。蒼玉も本当に兄弟ができたみたいで楽しいって言ってるのよ。あなたはここに居ていいんだから」


 微笑む玉陽に、群青は微笑み返す。庚家の人々はお人よしなまでに親切だった。群青にとって、その優しさは少々照れくさくもあった。特に蒼玉の父母は、群青を息子の蒼玉と同じように子供扱いする。十七になればそろそろ大人にも近いと思っていた群青には、それが新鮮だ。優しさに照れは生じるが、それは煩わしいものでは決してなかった。温かく優しい庚家の人々には、感謝の言葉しか浮かんでこない。


「いろいろ、事が済んだら…それが何ヶ月かかるのか、何年かかるのかわかんないけど、必ず、お礼しにここに帰ってくるからな。玉陽さん」

「まぁ、楽しみね」


 群青の言葉を冗談半分に捉えて微笑む玉陽に、いくらか罪悪感を覚えつつ、群青は安堵する。医者の心配はもしかしたらどうにかなるかもしれない。天帝は群青を見捨てはしなかったらしい。

 そうなると、別の心配が浮かんでくる。居場所の知れない月旦のこと、医者は居ても傷は果たして癒えるのか、旅の一団が花冠女皇の手の内の者であった場合、どうするのか。


「…万事休す?一番の心配は、やっぱあの皇子様だよな……」


 群青の独り言は、玉陽がむいている大豆の莢の音に掻き消えた。

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